Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

こんな今だからこそ取り入れたい! 音声言語表現活動の実践と効果

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(一社)アナウンス発声協会主催オンラインセミナー講師を勤めた。

群読繋がりで、協会会員のKさんと知り合いで、依頼された。Kさんは、私が大学でおこなっている「音声言語表現活動研究会」にもオンラインで参加していただいていた。

アナウンス発声協会のメンバーは主にフリーアナウンサーの方々で、音声言語表現のプロである。そんな皆さんに私がどんなことを伝えられるのか?と思った。聞いてみると、子どもたちに対してアナウンス講座を開いたり、学校に入って読み聞かせをしたりと、子どもたちにたいしてレクチャーする機会が多いということだ。そこで、自分の経験を伝えられるのだが、その経験がどのような教育的意味を持っているのか、子どもたちの成長にどのように関わっているのかを知りたいということだった。そういうことだったらアナウンス技術が全くない私も話せる。

また、おこなう活動で、アナウンス練習、朗読練習だけではバリエーションが無くなってくるので、「群読」というものを知りたいということで、群読の紹介もふんだんにおこなった。2015年、私が高校教師を務めていた頃、放送部顧問として部員たちに「外郎売り」の群読を演じてもらったビデオもしれっと紹介してしまった。きっと講座参加者の皆さんは、喉がかれるほど練習した「外郎売り」だが、どんな反応をしてくれるのかな?と思っていたら、「外郎売り」の台詞、ところどころ新潟の地名や名産に変えて演じていた部分に温かく反応してもらえていて、満足だった。

Zoomでの講座だったので、互いの声を聴きながら発声がうまくできないというもどかしさがあったが、むしろ「対面で群読をおこなってみたい」という気持ちに皆さんなってくれたようで、「次回は実際に演じましょう」ということで締めくくった。

俳句ラップ群読もことのほか受けてくれた。

以下は、講座で使用したスライド
katagiri41.wixsite.com

白い牛のバラッド


2020年 イラン・フランス シネ・ウインド鑑賞

新潟日報の年間シネマベストテン(2021年)に投票し、そのプレゼントとしてシネ・ウインドの無料鑑賞券が当たった。期限が4月末だったので、スケージュールが空いて、観られる、観たい映画を選択したらこれになった。

イラン映画はもしかしたら初めてだと思う。こんな機会が無いと観ないな。映画とはいえ、イランの日常生活を映しだしている映像も初めて観たと思う。ニュースの映像は、ほんの一部の切り取られた扇情的なものばかりだし。当たり前のようだが、日本の風景とそう変わらない。iPhoneを使い、高級車もあり、ボロいアパートから高級マンションまである。当たり前のことなのだが、そんなことにも思いを馳せられない。ニュース映像だけの切り取りでイメージを作っていたのだな、と思った。自分は自分が思っている以上に偏狭な視野の持ち主だ。

冤罪による死刑がテーマ。ドキュメント映画では無いのだが、イランでは上映中止になってしまったそうだ。

宗教により社会のシステムを構築していく怖さを覚えた。科学や、人間の理解をもとに社会システムを構築せず、宗教の教えが主となるのが、思考停止を生み出し、いかに理不尽なのかということを考えた。これは、今連載している「チ」でも描かれている。

日本には死刑制度が残っている。野蛮な前時代的な制度だと思うのだが、被害者のみならず、世間の人々の「感情」に配慮して残しているのだと思う。死刑制度があるから犯罪抑止力があると本気で思っている人はいるのだろうか?しかし、「死」は完全に不可逆なものであるということを本当に理解しているのだろうか?とも思う。過去、日本でも冤罪による死刑(公的なものも、公表できないものも)が数えきれないほどおこなわれていた。「死人に口なし」として冤罪であろうが何であろうがそれで終わりにして、思考停止をしたいのだろうとも思う。

映画の中の1シーン

「どうせ人はいつか死ぬ」
「どう死ぬかが大切なの」

最近触れたフレーズに「「死」のみが、その個人が引き受けられる唯一のものだ」というものがあった。それ以外はある程度代替可能ということだ。権力やいろんな力による「死」を与えられたら、人間として不条理としか思えない。

それにしても、この映画のラストシーン、一体どういうことなのだろう?と考えてしまうのだが、この映画を観ている身近な人もいないと思うから、語り合えない。語り合ってみたい。

香川一区

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2021年公開 高田世界視聴

2021年10月総選挙の香川一区(小川淳也)を追ったドキュメント映画。この映画だけを見ても、面白いのだが、1作目「なぜ君は総理大臣になれないのか」を見ていると、最後のお子さんの挨拶では完全に涙腺が崩壊してしまう。私が観たドキュメント映画でウルウルしたのは初めてかもしれない。

payforward.hatenadiary.com

マスコミ資本の映画では無いため、配慮とか、忖度とか、宣伝とかそんなことは無縁だと思える(思いたい)。地方議員がどんな活動をして、どんな苦労をして、どんな圧力を受け、どんなバッシングを受け、その周りの家族がどんな思いで、どんな苦労をしているかをそのまま撮影している。

前回の「なぜ君は……」とは違うところは、「なぜ君は……」の知名度が上がり、対立候補がそれを意識し、撮影妨害をしようとしたりして、政治の闇(というか、選挙で利益を得ようとしている人たちの利害関係によるドロドロした部分)も描かれて、ざわざわしてしまった。しかし、それが現実なんだろうと思う。初めはいい顔をしていたが、だんだん情勢が不利になっていくと同時に、どんどんイヤな部分が見え始めてくる。人間はそうなんだ、と思える部分でもあるけれど、そこは、当選することが全てと思っている人と、当選してからが大切と思っている人の違いなのかもしれない。

それでも、「善悪」の構造となってしまっているのが、前回と違うところで、ちょっと「あれ?」と思ってしまった部分でもある。

選挙って面白いなぁ。と昔から(投票権を得る前から)思っていたが、ここまでえぐって映しだされると、人間模様が本当に面白い(端にいる場合だけれど)。こんなイベントに参加しない(投票しない)のって、もったいないなぁと思う。

高田世界館で、4月15日(金)まで上映している。新潟市のシネ・ウインドでも2月に上映していたが、高田世界館で観ようと思って見るのを伸ばしていた。1作目「なぜ君は……」は、Amazon Prime Video他の配信サイトで400円(Amazon Prime Video)で観られるようなので、こちらを観てから観ることをお勧めする。

真冬のサウナの入り方と、脱週イチサウナ宣言

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上越の雪はすっかり解けて、もう春である。1月から回数券を買って、週1回かわら亭に通い詰めた。3カ月10回5,000円である。1回500円。しかし、3カ月で使い切るには、週1で行かねばならぬ。

真冬のサウナは、外気浴がもう、修行だ。気温5℃以下なんてざらだ。かわら亭の水風呂なんて、10℃よりちょっと上ぐらいなのか?と思うくらい、キンキンに冷えている。1分と入っていられない。

そこでの外気浴、体を十分に拭いて、露天風呂のヘリに座り、足は露天風呂の中に入れておく。これが良い。真冬の外気浴で辛いのは、足である。足もとが冷たいと、それが気になって自分に入り込めない。足もとだけでも暖かくすると、いい感じでいつまでも座っていられるのだ。

だから、理想の外気浴は、外に足湯があるところなのだろうけれど、そんな施設はどこにもない。

まぁ、これで真冬のサウナでは、結構ととのえる。しかし、これは、ととのっているのか、あまりにも寒くて凍えているのか、ちょっと混乱しながら、寒い寒いと思ってサウナ室に入ると、至福の時を迎えられるのだ。

サウナに入った後、積もった雪にダイブ!ができるかな?と思っていたのだが、今冬の妙高は、雪は多かったけれど、結構湿った雪で、かわら亭に積もっていた雪は、ガリガリの雪だった。降りたてだったらよかったのかもしれないけれど。

《脱週イチサウナ》
新潟には、サウナメインの施設が皆無だ。温浴施設にサウナが付いていたり、温泉がメインで、サウナは申し訳程度に付いていたり。サウナメインの施設も最近できたのだが、水風呂が海だったりと異端だ。

だから、新潟にはまだまだサウナ文化が根付いていないと思う。サウナ文化とは、何かというと、「サウナでのマナー」を守る人がサウナを楽しむ施設がたくさんあるということだ。サウナメインの施設があれば、当たり前のマナーを守れる人に愛されるだろうし、店側もそれを発信するはず。水風呂に汗を流さず入ったり、サウナ室で喋ったり、サウナ室で汗をだらだら床に落としたりというようなことは少なくなるはず。

サウナしきじや、ホテルニューウイングのような施設が新潟にできないものだろうか?

サウナを知って6年だが、新潟県内の主たるサウナに入っていったが、サウナメインの施設というものは無かった。ところどころ残念な部分があり、残念な客がいた。

「今年は週1でサウナに行くぞ!」と新年の目標に掲げていたが、毎回、「今日は当たりかな?、外れかな」とビクビクしながら行っている自分がいて、「これって、癒しになっていないよな。」と思ってしまった。もちろん、広い風呂に入れるとか、真っ裸で外気に当たるということは、アパート暮らしではできない体験なのだけれど、1人マナーを守れない人がいるだけで、せっかく500円以上払って行った癒し空間が台無しになる。

最近はコロナのせいで、サウナ入室人数も制限されていて、平日夜行っても混んでいるときもあり、「あ、今のうちサウナに入らなきゃ。」「あ、今のうち水風呂に入らなきゃ。」なんていつも気にしていなければならない。目の前では、ガチャガチャした色のあふれたテレビが流れていて、心の中もそんなことを常時思っていなければならないし、全く癒しにならない。これを週1で行い、たまにある、客が少ない「最高の時」を体験するために、他のほとんどの「イライラする時」を我慢するって、本末転倒だな、と思った。

だから、この回数券がなくなったら、しばらく常時サウナに行くのはやめようと思う。その分お金を貯めて、比較的近い「The SAUNA」とか、ちょっと遠いナスパニューオータニのサウナとか、2〜3カ月に1回行ければいいのかな?とも思う。

それでも、もっとお金を貯めてサウナの聖地に旅行したり、はたまた、テントサウナを買うしかないのかな?

ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男

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2019年 アメリカ 於:高田世界館 今年4本目の映画館での鑑賞

#たまむすび #アメリカ流れ者 で #町山智浩 さんが照会し、その映画の内容を聞いて衝撃を受けた。テフロン加工には、ペルフルオロオクタン酸(PFOA)が含まれ、それは生物が分解できないものであり、どんどん体内に蓄積されていくという。そして様々なガンや不妊を発生させるという。地球上の90%以上の生物に蓄積されていて、99%以上の人類の体内に蓄積されていると映画では言っていた。

そんな有害物質の規制が始まったのは2019年だった。もちろん日本でも規制はされている。

www.meti.go.jp

え?知っていた?そんなこと話題になった?2〜3年前じゃん。それを知ったとき、うちの家庭ではそれよりももっと前に購入したテフロン加工(商標だから、本当はデュポン社の物しか使えないらしい)の鍋がたくさんあった。そして、長年使っていたから、そのテフロン加工が剥がれているところもあり、その剥がれた部分は料理とともに我々の体内に蓄積されているのは確実だ。

それを知ってすぐさま鍋を全て取り替えた。最近のは「ダイヤモンドコート」と言っているそうだ。これも商標かな?

テフロン加工は鍋だけではなく、撥水性があるので、防水加工のレインコートや傘などありとあらゆるものに使われている。そしてその製造過程での排水にも大量に含まれていて、不法投棄(デュポン社は、有害と知りながら垂れ流していた)されていた。

ある農場夫の訴えを聞いた主人公の弁護士が、大量のデュポン社の資料から、不正(犯罪)を立証し、被害に遭っている住民のために補償を勝ち取ろうとする話だ。ネタバレになるが、驚いたことに、今でも訴訟は続いている。

これはこの事件に限ったことではないが、様々な葛藤が描き出されていた。

  • 金(給料)のために不正に荷担するのか、正義のために金にならないことをするのか。
  • 正義のために家庭を省みないのか、家庭を優先させて今の仕事を縮小するのか。(「正義」を「自分の体」にも置きかえられる)
  • 体や精神に悪いと思いながらも、生き延びることを選ぶのか、体に悪いことはきっぱりと止めるのか

「正しいこと」、「正義」を貫くためには、それ相応の時間と労力と精神力が必要になる。それらを折るために「敵」は時間をかけて、相手の心を折らせるという手段をとる。「敵」は、人手と財力があるから、いくらでも長引かせることができる。戦うには心を折らさないことが必要になる。

派手な、綺麗な、カタルシスが生まれる映画もいいけれど、スポンサーの関係で、テレビでは絶対流れない、いろいろなものを暴いて描く映画も観たいと思ってしまう今日この頃。

さがす

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新潟県内では、先月イオンシネマ新潟西で1〜2週間、J-MAXシアター上越で1週間かけられた。こりゃあ、上越で観に行かねばと思い、予定を組んで行った。#たまむすび で、#町山智浩 さんが、「今シーズン今まで観た中で最高傑作」と言っていたので、期待して行った。内容的には、ドロドロぐちゃぐちゃで、誰にでもお勧めできないとも言っていた。

こういう映画は必ず観に行くことにしている。絶対に巷で話題にならないし、テレビでも放映されないし、サブスクでも見られるかわからないからだ。サブスクで見られるとしたら、数年後になるかもしれない。

町山さんの評の通り、ドロドロぐちゃぐちゃで、「ざわざわする映画」だった。観ていて気持ちのいいものではない。殺人が当たり前のように行われる。でも、中学生の娘の伊東蒼のキャラが、コメディーチックに変えてくれる。もちろん主人公の佐藤二朗のキャラもあるのだけれど。伊藤蒼は「おかえりモネ」の学生役だったのか。

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日常の中に当たり前に狂気を持っている人(森田望智=殺される人、清水尋也=殺す人)と、どんどんと狂気に引きこまれている人(佐藤二朗)と、それでも日常に引き戻そうとする人(伊藤蒼)が平素の世間の中に存在しているのが、引いてみるとコメディーで、当事者になるとシリアスである、というチャップリンの言葉のように描かれていた。

ざわざわしてイヤな後味のまま終わるのではなく、ちょっとほのぼのと終わるのが面白い。父親と娘の物語だから、町山智浩は、「ベスト」と評したのかな?娘を持っていない私は、よく分からない感じだったけれど。

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