Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

『学び合い』の有時間性2

先日NHKのニュース(全国ネット)で新潟県内の中学校の取り組みが紹介されていた。「勉強のしかた」を学校でマニュアルにして、生徒に配布しているそうだ。授業時間減に伴い、家庭学習時間が減っていくことへの危機感から、学校が作成したそうだ。

その配布により、学習時間が増え、学力が向上したと、報告しているが、不思議な感じがした。考えてみれば、私は勉強のしかたを誰かから教えてもらったことはない(と思う)。もちろん勉強方法はいろんな人から聞いたり、自分で学んだりしたが、その中で効果があったものは取り入れ、効果がなかったものはやらなかったんだと思う。

また、自分自身でやり方を考え、ダメだったらそれをやめて新たな方法を考えていった。

学校がマニュアルを配るというのは、「これが正しい勉強のしかただ!」とのお墨付きを与えているのと同じだ。つまり、方法に介入しているわけだ。中でも、「英単語を何度も書いて覚える。」というものがあったが、たくさん書いたら単語や漢字を覚えられるという人間は6割しかいないということをその学校でマニュアルを作った人は知っているのだろうか?(私は残りの4割の方です。)方法を示して、それに効果がなかったら、学校はどう責任をとるのだろうか?(まぁ、とらなくてもいいけど。)

江川達也の「東京大学物語」で、主人公が家庭教師で子どもに世界史を教えているとき、「世界の勢力図ぱらぱら紙芝居」を作っていた。この漫画を読んだとき、「おお、そういうやり方もあるのか!」と感動した。きっと江川達也さんが高校時代にそのように勉強したんだろう。

しかしこのやり方は、絵の得意な江川達也さんだからこそできるもので、全ての人に効果があるわけではない。

自分で取捨選択をして、最も自分に効果があることを選ぶには時間がかかる。つまり、有時間性をはらんでいる。しかし、マニュアルは手っ取り早く効果を出したいという無時間的な人が飛びつくものである。

なんだもかんでもマニュアル化していこうという学校は、世の趨勢にうといんじゃないかなぁ?「これからはマニュアルが役にたたない世の中です。」という意見を言う人に、「それじゃあ、どうやって生きていくんですか?」と質問する人間しか生み出していけないんじゃないかなぁ?