Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

ナンバーワンとオンリーワン

いっとき、「ナンバーワンよりもオンリーワン」という言葉が世に出回った。スマップの歌で世間に知られたのだが、もともとは槇原敬之、そしてそのおおもとは丸山浩路さんの講演である。丸山浩路さんの講演を聴いて、勤務校に講演に来てもらい、挙げ句の果てに私は息子に「唯一郎」という名を付けた。

それはいいが、つい先日の新聞の記者の記名連載記事に「オンリーワンはいかがなものか?それって自己満足じゃない?」という意見で取材されたものが載った。自己満足ではなく、社会の尺度でナンバーワンを目指すべきだという主旨だ。

なんてつまらない記事を載せるんだろう?なんで新聞もこぞって「ゆとり教育」→「学力偏重締めつけ教育(一昔前の偏差値教育)」を賞賛する風潮になるのか?風潮に迎合して記事を書いているだけじゃないか。なんの主張も無い。

まぁ、「ナンバーワン=偏差値教育」という構図があり、その反省のもと、「オンリーワン=個々を認める教育→ゆとり教育*1」各種メディアだって、結局それをもてはやし、スマップの歌はあれほど売れたのだ。

しかし、「ゆとり教育」失敗により、「偏差値教育」にまた戻ろうとする風潮で、このメディアもそれに乗っかる形で記事を書いている。まぁ、そうすれば、共感する人も多いから、新聞を買う人も多くなるということなんだろうけど。

メディアというものは、体制批判や、世に警鐘を鳴らす役割があるんじゃないか?「偏差値教育」に戻ろうとするのであれば、それに対して「ちょっとまてよ」という記事も載せるのが使命だ。

きっと「ゆとり教育」の象徴的存在「総合的学習の時間」が導入されたとき、メディアも乗っかって、「こんなすばらしいことを学校がやっている!」とこぞって紹介していたはずだ。結局今後また「偏差値教育」が崩壊して、「ゆとり路線」に戻るのは目に見えている。そんなことは何十年、何百年と繰り返されていたはずだから、振り回されるのは、子どもたちだけなのに……。

さて、『学び合い』は「ナンバーワン」か、「オンリーワン」かと考えてみたが、出た結論は、どちらでもない。なぜなら「ワン」は目指していないから。つまり、「偏差値教育」でも、「ゆとり教育」でもないと。だって、『学び合い』をしている子どもは、「締めつけられている」とも思わないだろうし、「ゆとりがある」とも思わないからだ。

じゃあ、何教育?名前が思いつかない。

今までに無い教育の理念だから、たくさんの教員に、思ったよりも受け入れてもらえないんだろうなぁ。

*1:本当はこの構図は大義名分(=嘘)であり、本質的には「教職員の労働時間短縮教育」である。しかも、「ゆとり教育」なんていいながら、子どもたちは「ゆとり」を実感していない。土曜日の授業が無くなった分、それを確保するために毎日の終業時刻が遅くなったんだから。