理科の授業では『学び合い』が進んでいるように思える。言い換えると、『学び合い』を意識する理科を担当する教師の数(割合?)が国語と比べて多いように思えるということだ。
国語でやっている学び合いは、ほとんどが「伝え合い」であって、単なる発表の場を教師が設定しているだけのように思える。
何が違うのか?というと、危機感なのかな?とも思う。「理科離れ」という言葉はあるが「国語離れ」という言葉はまだ成立していない。「活字離れ」はあるが、「国語は全ての教科の基本」なんておこがましいことを平気で言う人もいるし、それを表立って批判する人はいない。
危機感があるからこそ、「何とかして意味ある理科授業を」というのが出発点で、結果的に『学び合い』に行き着いている人が多いのではないだろうか?未だに教師の言っていることをノートにとる授業が王道だと言っている国語教師の何と多いことか。それを理科でやったら理科離れは加速していくと理科の教師はわかっているんだろう。
何をしても離れていかないと思っている国語教師が多いということか。生徒の思い(やり)に依存する授業はやめなければ。