Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

引き受ける」ということ

仕事をしているといろんな仕事を押しつけられたり、引き受けたりする。仕事だから当たり前である。仕事を配分する人もいれば、仕事を請ける人もいる。配分するか、請けるかはその仕事によって交代する。どちらの立場にもなるということだ。

しかしいったん引き受けたのだったら、それはその人の責任で完成するのが「仕事」というものだ。「自分のところではできないからやっぱりお願いします。」と配分した人のところにもどすのはどうかと思う。

なぜなら配分した人は、それを任せることにより、他の部分のことを考えたり、他のところに手を回したりできるのに、配分したそのままが返ってくると計画が狂ってくる。

いったん引き受けたらどんな手を使おうとも、完成させるのが「プロ」というものではないか?

私は配分する立場になるときも、請け負う立場になるときもあるが、配分する立場になっていったん任せたら、その人の能力を信じて任せたんだから、できあがりに対して一切文句を言わない。なぜなら、請け負った人が、配分する立場の人の顔色を気にしていたら、配分する人の予想を上回る仕事は期待できないからだ。

もし、ひどく低いレベルのできだったら、次からその人に仕事をお願いしないだけだ。(「教育」する必要が無い場合。)

というか、「お願いする」「お願いされる」ということではない。「自分に何ができるかを見つけて、それをする。」というのが『学び合い』の根本じゃないか?

根本から違っていると、その結果は間違ったものになってしまう。「自分に何ができるか」を考えられない場合は、何もしない方がいいのかもしれない。