Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

朝の読書と『学び合い』

以前から朝の読書と『学び合い』は通じるところがあると思っていた。なぜだろう? と考えていた。朝の読書は『学び合い』の文化のもと行われる「方法」というとらえでいたが、どうも違う気がしていた。

考えてみれば「朝の読書」というネーミングで表しているものは「方法(読書方法) 」ではない。そのバックグラウンドにある理念、文化である。

朝の読書には4原則がある。

  1. 毎日
  2. みんなで
  3. 好きな本を
  4. ただ読むだけ

たったこれだけのことなのに、学校現場ではそれができない。不思議だ、不思議だと思っていたが、『学び合い』自体も、分かってみると、教師としては簡単なのだが、現場でなかなか受け入れられないし、どんなに言葉を尽くしても、わかろうとしている人に話しても、分かってくれない「壁」みたいなものが存在する。

その「壁」は何かな? とかねてから思っていたが、分かった。
それは何かというと、「子どもを信じているかどうか」ということである。

『学び合い』では、何を身につけさせたいか、何を学んで欲しいかを具体的に話す。そして子どもを信じて任せる。「話し合わなかったらどうするか?」、「取り組まなかったらどうするか?」と必ず聞いてくる人がいる。それに対する私の答えは「そのうちやるようになります。」しかない。

朝の読書も必ず読書の意義を語る。そして読む時間を確保する。そうすると読むようになる。しかし、「読まなかったらどうするか」と聞いてくる人がいる。それに対する私の答えは「そのうち読むようになります。」だ。

『学び合い』ではどうして子どもたちが学ぶのかというと、「周りがいるから」だ。朝の読書もどうして本を読むのかというと、「周りが読んでいるから」だ。だいたい本を読む自体が「学ぶ」ということだ。本から学び、仲間から学ぶ『学び合い』そのものだ。

朝の読書は『学び合い』の方法ではなく、『学び合い』を具現化したものだとも言える。4原則そのものが「子どもを信じている」そのものだ。信じていない人が朝読を実施して失敗しているのもうなずける。