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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

語る叱る怒る

私が一斉授業しか知らなかったとき、国語やホームルームで国語や学校生活の意義を語っていた。「語っていた」というのは、ある時には「怒っていた」場合もあるし、「叱っていた」場合もある*1

そして、『学び合い』を実践しようとしている今でもほぼ同じ事をしている。語るし、叱るし、怒る。ただその回数は減った。それはなぜかというと、子どもたちの行動の理由が見えてきたから、怒らなくてもいい場面があることを知った。大声を上げて静かにさせなくてもいい場面を知った。いや、静かにさせない方が学習が活性する場面も知った。教師が口を挟まない方がすばらしい学びをする場面があることを知った。

それは『学び合い』という「方法」を会得したからではなく、子どもたちの活動がそれまでよりも見えるようになったから、口を挟まなくてもいい場面を知ったのだ。そして子どもたちは勝手に『学び合い』をする(場面もある)。

しかし、語らなければならない場面はあるし、怒る場面も当然ある。語りたいときには語るし、怒らなければならないときには怒る。昔に比べて、私が怒ったとき、「しら~」としていることが無くなった。それは「怒られることをしたんだ。」と子どもたちは自覚しているときに怒るからじゃないかな?昔は「何でこんなことを怒っているんだろう?」というときに怒っていたかもしれない。

さて、その「○○すべき時」はどうして知ったのかというと、実のところ直感である。しかし、昔のように何でもかんでも怒らなくなったのは、大学院で研究したときに子どもたちの会話を録音し、聞き直したからである。「ああ、脱線しているときは、こんな話をしているんだ。」「課題に関連してこのように雑談し、このように会話に戻っていくんだ。」と分析したからである。

考えてみれば、高校1年までは、授業中よく雑談をしていた。先生に注意されるのではなく、前に座っているクラスの生徒に注意されたこともあったっけ。その後雑談なんかはしなくなった。だから授業中に雑談をすることは全く忘れてしまって、教師になったら雑談をする子どもの気持ちや、状況や、雑談の意義なんて思いをはせることなんて不可能だったんだと今気づいた。

だから、雑談しても見守っていればほぼ課題に戻る。あまりにもひどいときは近寄っていてその子達をちょっといじる*2。そうすれば課題に戻る。子どもたちは「課題をしなければ」という気持ちを必ず持っている。

また、グループでの活動を数時間全くしなかった子どもたちが、突然するようになった姿も見ている。それまでは私が直接そのグループに行って活動を促しても「しら~」としていたのだが、私が離れてからなぜか活動をしだした。「なんで?」とあとで聞いたらそれは「○○が『やろうよ』と言ったから。」という、いたって単純な回答が返ってきた。それって、『学び合い』だよな。私では動かせなかった子どもたちは、子どもたち同士で活動しだした。私にはそんな力はない。

『学び合い』を方法として捉えていると、外見上の教師の行動・活動を真似るしかない。それじゃぁうまくいかない。「『学び合い』は文化である」のだが、その文化の裏には「子どもたちの力を信じる」という信念(?)がある。それがなければ何をやってもうまく行かない。

世の中には子どもたちの力を積極的に信じていない教師が多い。そんな教師が形だけの『学び合い』をやろうが、一斉授業をやろうが、そのクラスや授業は必ずほころびが出る。力で抑えても、その時はおとなしく、問題が無いような姿を子どもたちはするかもしれないが*3、必ず後から表出する。後で受け持った先生のクラスで表出した場合、その先生の責任が問われてしまい、その前の先生は「自分のクラスではいい子でしたよ。」ととぼけたことを言う。あんたのせいだよ!

「『学び合い』をやって子どもが活動しなかったらどうすればよいのですか?」という質問を受ける。どうもこうもない。活動しないのはあなたの授業の持って行き方(具体的には目標設定や活動内容)のせいですよ。それを改善するしかありません。としか言えない*4

そうなると、「活動しない姿を見るのがショックだから『学び合い』*5はしたくない。」と言う教師の何と多いことか。

問題が見えている方が対処がしやすいのも事実である。「活動しない」というのも問題が見えていると言うことだ。『学び合い』をやった時、問題が見えていたら、よくするように対処すればいいだけの話である。一斉授業で問題を表出させないまま授業をすすめて、何が「教育」だろうか。

id:jun24kawa先生のこの記事とコメントを読んで一気に書きたくなりました。

*1:私にとっては「怒る」も「叱る」も同じ事。辞書を引くとほぼ同じ意味です。どうして教育用語では区別されているのかな?子どもにとっては同じ事なのに……。

*2:それが「楽しみ」であったりもする。

*3:問題が表に出ないことが自体がすでにもう問題であるが。

*4:実際はもっとやんわりとは言うが

*5:もしくは話し合い活動