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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

「学ぶ」ということ

3年生の学年末考査中である。ここ近年は最後の最後のテストの時に「国語の授業で『生きるために学んだ』と考えたこと」を書かせる。

それを読んでいると、子どもの学びは多種多様だなと毎年思う。こちらで全く意図していないこと、または意図したこと以上に深い学びを書いてくる。

中にはおべんちゃらもあるのだろうけれど、おべんちゃらの場合は上っ面のことしか書けないが、本当に学んだ場合は「そうか~」と感心することを書いてくる。

意図していないこと、意図したこと以上の「学び」を子どもがしたとき、今までやっていたことは間違いではない、今後も続けていこうと思う。

『学び合い』という言葉が好きだ。「教え合い」でも、「共同(協同?協働?)学習」でもない。「学び」である。

『学び合い』で子どもが何を学ぶかは自由である。自由であるから予測を越える学びをしてくる。そして人間はいつでも何からでも学んでいる。その「学び」を教師は「統制」することはできない。

教室での言動だけを見て「あいつは何もしていない」なんて、おこがましくて言えない。