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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

人生はサッカーのよう

人生はサッカーのよう

サッカーというのは、どんなに努力しても、どんなにスタープレーヤーがいても、ゴールが決まらないと評価されない。逆に、ダメダメのチームでも、名もない選手だらけでも、ひょんなことからゴールが生まれてしまうこともある。

だからといって、選手がやることはサッカーの練習を地道に続けることなのだ。シュート練習をし、ディフェンスの練習をし、パスの練習をする。努力努力で練習の時間を費やす。必ず次の試合にゴールを生み出すことを信じてやる。

スポーツの中で、努力を点数で割った場合、きっとサッカーがいちばん効率が悪いだろうと思われる。サッカー選手になった人で、人生のうち、1ゴールも上げられず選手をやめる人もいるはずだ。しかし、自分がゴールを決めるためではなく、仲間のゴールのために人と当たり、ボールを追いかけ、足をかられて倒れ、ボールをぶつけられたりする。

だからこそ、1点を挙げた時の喜びは大きい。自分が点を決めていないにもかかわらず、みんなで喜ぶ。

これらはまさに人生だ。

点を挙げて日の目をみる選手もいれば、1点を挙げるために、地道にディフェンスを行う選手もいる。努力が報われず点が取れない選手もいれば、目の前にボールが転がってきて、それを蹴ったらラッキーにも点を入れられる選手もいる。地道な努力が報われる選手もいれば、報われない選手もいる。しかしみんなは1点のために同じ方向に向かって時間を費やし、1点を入れられることを信じて歩んでいく。常に前を見て進んで行く。こうしなければ点は奪えないし、勝利も見えてこない。

仕事なんかも、日の目をみる仕事もあれば、日の目をみない地道な仕事もある。派手な仕事もあれば、ほとんど目立たない仕事もある。でも何のために仕事をするのかというと、みんなの幸せのためである。どんな仕事でも意味がある。人の役に立たない仕事なんて無い。みんな「みんなの幸せ」というゴールに向かってボールを蹴っているようなものだ。

勉強も同じだ。「わかる」ということは、地道な努力をするしかない。時間を費やしてコツコツをやるしかない。「答え」だけを暗記して、それに臨んだとしても、たまたまヤマが当たってラッキーな点を得ることがあるかもしれないが、残念ながらそれは本当の勝利には結びつかない。次の試合にはそれが使えないからだ。

今日はアルビレッジのフルピッチでサッカーをやってきた。ド素人の私(サッカー歴2年ちょっと)はもちろんゴールなんか奪えないが、自分なりに走って、自分なりにボールを追いかけ、自分なりにボールを蹴り込んだ。それぞれの動作に意味がある(はずだ)。我がチームは点が奪えた。そのための努力だ。結果でなくて経過に意味がある。経過なくして結果だけでは、結果が出ても喜べない。結果が出なくても経過があれば、すがすがしい気持ちは残る。今日は天気もよく、すがすがしく1日を終えることができる。

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