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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

問を立てる

問を立てる

現代文では各自が問を立てるという活動をおこなっている。問を立てる力がつくと、現代文はめきめき力が上がる。自分のわからないところがわかるようになるのだから。

問を立てられない人は次のパターンに分けられる。

1)全てがわかりつもりになり、問が無い人
2)どこがわからないかわからない人
3)わからないで引っ掛かるところはわかるんだけれど、問を立てる言葉を持ちあわせていない人

1)はほとんどいないだろう。でもたまにいる。

全体を把握し、わかった感じになる。質問されれば何となく答えることができる。しかし、テスト問題では答えられない。そういう場合は、自分でテスト予想問題を作り、それの正答例を作ってみる。このように言語化することで考えがはっきりしていく。

2)はかなりたくさんいる。

そういう人は、言葉と言葉を一つ一つ繋げてみる。「それ」は何か?「つまり」は何を言い換えているのか?「だから」で何と何を繋げているのか?その比喩表現は何について書いてあるのか?その繋がりがわからない場合は、それが問になる。

3)は2)段階から一歩抜け出した人である。

そういう人は、問のパターンを覚える。「○○○の○はどういう意味か?」とか、「○○○の理由はなにか?」とか、「○○○は何を指しているか?」とか、そういう問のパターンに自分のぼんやりしている部分を当てはめてみる。そうすると問が立てられるようになり、客観的にその表現を考えることができる。

しかし、一番重要なことは、問を表明すること。共有すること。せっかく立てた問も共有しなければ何のために立てたのかわからなくなる。共有することで、ヒント、アドバイスを受けられるようになる。問を放置してはいけない。表明することで誰か(自分も含めて)がその問を扱う(解明する)ようになる。

今日の授業でも、素朴な疑問を出してくれた人がいた。その人に対して説明することで、まずは説明した人が整理できた。疑問を出してくれた人は、何が疑問なのか自分で整理できた。私もどこに引っ掛かるのか発見することができた。なるほどーと思った。みんなの学びにつながった。いいことずくめである。