Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

世間と社会

みんなは自分の直接の知り合いに対しては必要以上に情け深く接するが、それ以外には全く関心を示さないどころかむしろ冷たく接することがある。

例えば私が朝教室に来て「おはようございます」とあいさつをするがそれを返す人なんてほとんどいない。これはどういうことなのか?友達がそのように言ってきたら必ず返すでしょ?それは世間には手厚いが、社会に関心がないということだ。

「世間」とは自分が直接接している人、関わっている人。友達、親や兄弟、親戚。隣近所。その人たちにはあいさつはする。何か困っていることがあれば、熱心に対応する。しかし、「世間」の外側には「社会」がある。その社会に関心がないから、全く接しようとしない。

先日小学校であいさつ運動をしている子どもたちの近くに立っているPTAの方から連絡が来た。うちの高校生はほとんどあいさつをし返さない。どういうことだと。

学校内では先生に挨拶をしたりする人が多いのは感心する。しかし、それは「世間」の中だけのこと。「社会」に目を向けていないから、通りすがりの小学生なんて眼中にないのだ。あいさつされてあいさつし返さなければ、小学生はどう思うかなんて全く関心がないのだ。

私が教師になった時、高校時代の部活動の顧問の先生がまず私に言ってくれたことは、「あいさつはきちんとしなさいよ。」だった。私はあいさつはしていたつもりだったが、その先生にとってみれば、私のあいさつなんてしていないも同然だったのだろう。そうアドバイスをしてくれたのだ。その言葉を大切に、「おはようございます。」「お疲れ様でした。」を言うように心がけた。人間にとってあいさつはその人となりを示す最初の場面なのだ。

自分の内輪だけで完結して、社会に関心を向けない。そんなことし続ければ、いったいどういう大人になるというのだろう。自分たちさえ良ければ、周りはどうなってもいいということにならないか?

みんなにとっては私は「世間」の中には入っていず、「社会」の範疇にいるんだろう。別にそれでもかまわないが、あいさつを仕返さないということは、「社会」に関心がないということだ。「社会」に関心を向けなきゃ、みんなは立派な大人になれない。

自分の勉強だけを大切にしているからそういう人になっているのかもしれない。それではいけない。世間を広げて、社会に通じる人間にならなければ、社会に貢献なんてできるはずがない。社会に貢献できない勉強なんて、役に立たない。社会に役に立つ人間になろう。