「主体的・対話的で深い学び」の「主体的な学び」*1とは?と聞いてみると,「自ら進んで学習に取り組む。」と答えるのが一般的だ。
私は学習において,3つの場面での「主体的学び」があると考えている。
- 学習過程
- 目標設定
- 学習結果
の3点である。
「学習過程における主体的な学び」とは,一般的に考えられる「自ら進んで課題に取り組んでいる」ということだ。授業中嫌々取り組むのではなく,その学習の必要性を感じ,強制されるのではなく,取り組んでいる姿が「主体的な学び」だ。教師側から見ると,これほどすばらしい学習の姿はない。とても理想的だ。教室内のみんながそうなってほしい。と願う。「主体的に学べ!」と言いたくなる。でも,言った時点で「主体的な学び」ではなくなる。
多くの教師が第1に上げるこの「主体性」は,実はこれだけでは成立しないものである。このような学習者の姿になるためには,次の「目標設定の主体性」が必要になってくる。
「目標設定の主体性」とは,課題が与えられ,学習者は学習方法や自らの目標を決められることができるということだ。課題に到達するために,まずは何をクリアすべきなのか(目標設定),どのような方法を使ったら,自分はその課題を解決することが出来るのかを考え,決めることができるということだ。
教師がやり方を決めたり,細かい目標設定をして,必ずそこをクリアすることを求めると,途端に学習者はやる気が無くなる。やる気以前に,やり方を決定したら,学習過程の主体性自体も自然と消滅するのは必然だろう。
教師が課題を設定し,学習者がやり方を選び,各自最適な方法で課題に向かうということで,学習過程,目標設定の主体性が生まれてくる。
そして最後の「学習結果の主体性」だが,課題がクリアしたときに,それまでの学習の意味を自ら見つけられるということだ。学習者が同じ課題をクリアしたとしても,学習者は個々にその課題の意味の受け取り方が違っていいものだ。
ある学習者は言語活動の重要性を知り,言語の意味を見つけ,ある学習者は仲間と繋がることの重要性を知り,ある学習者は自然現象を理解する上で,自分の書けている部分を知る……ということは,1時間の授業のうちに起こりうることである。いや,起こって欲しいことであり,教師はそこを目指さなければならないと思う。
1時間の授業で,全員が同じ受け取り方を教師が求めてしまうと,その次の学びに繋がらない。「その次の学び」こそが「深い学び」に繋がるものである*2。
つまり,「意味は自分で見つける」ということだ。意味を自分で見つけられる指導,授業を仕組んでいくことで,「主体的・対話的で深い学び」を実現することが出来る。