学部生の授業づくりの授業を持っていて,どうも私の考えが伝わらないというもどかしさを持つ。そうしたら,レポートで次のようなことを書いてきた学生がいた。
今まで国語は答えがないから学習者が考えたことは何でもOKという考えだったが……
そうか,そういう考えを持っていたのか。
国語教育専門で学んでいる学生ではないが,もちろん国語科教育指導法を学ばなければ小学校の免許を取得できないので,履修しているはずだ。
国語の模擬授業をみていて,授業者の授業デザインで,教材としたテキストから根拠を求める設問をする学生が少ないと同時に,学習者で根拠をもとに発言する(課題に取り組む)学生も少ないので,上記の考えを持っているのは,その人のみということでもなさそうだ。
センター試験はクローズドクエスチョンに近いもので,高校でそれに合わせた国語を学んでいた反動でそのような考えになっているのか,大学の授業を履修してそのような考えになったのか,不明である。
国語の授業において,オープンクエスチョンを出すことが悪いということではないが,オープンクエスチョンだけでは何も学べない。単に思いつきを言語化すればいいということになってしまう。SNSで思いつきを拡散していれば,言語能力が高くなるとも思えない。
国語なんだから,「テキストである言語から何を読み取り,言語で何を表現するか?」ということにこだわるべきである。テキストから離れて自由に読み取り,思いつきを表現し,「いろいろな考えがあっていいね。」と評価するのは,別に国語の授業である必要がないのではないかな?と,今年も思う。