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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

第1回子どもに学ぶ教師の会 静岡


今年も静岡に来られた。上教大院1年後輩(同年齢)のYさんが、満を持して会を開くというので、駆け付けた。今回は、接続がとてもよかったので、約3時間で着いた。上越新幹線は、途中大宮しか止まらないものだったし、今回はちょうどいい東海道新幹線がなく、「ぷらっとこだま」を使わなく、ひかりにしたから、こんなに早く着いたのだろう。スマートEXを使い、新潟から藤枝までApple Watchだけで移動できた。Apple、素晴らしい。

藤枝には初めて足を踏み入れる。そうか、サッカーの街か。藤枝順心高校は、ここなんだな。道路に藤枝順心ののぼりがずらーっと立っている。こんな街、他にあるか?

それはさておき、33℃超のなか、歩いて会場まで行くのは、自殺行為だった。汗だくでなんとか会場に到着する。

会の趣旨は『学び合い』だけではなく、子どもの学びそのものを学ぶという、実は『学び合い』の原点とも言えるところに立ち返るということだった。Yさんらしい切り口だ。我々の大学院の研究は、まさにそこから始まったといっていいだろう。教壇に立っている時には分からなかった子どもの学びを、多面的に記録し、実はどのような学びをしているのかを知ることで、子どもから学ぼうというのだ。

YさんがM1時代、Yさんの授業ビデオを他のゼミ生が見て、あーだこーだ喋っている姿をビデオに撮り、それをYさんが後で見るという、とても「自虐的」なことをした。それがトラウマ(?)となり、この時の思いを今も持ち続けているようだ。その時の私だったら耐えられただろうか?

今回は若手Hさんが自分の授業ビデオを流し、各所でフリートークをしていくということをおこなった。Hさんも勇気があると思った。近くにHさんが座っていたので、いろいろ質問をして、意図を尋ねていった。この単元で何回目の授業なのか、とか、配布した課題はこれだけなのか、とか、どうして立たせたままにしているのか、とか、いろいろ聞けた。

感じたのは、課題がとても難しかったということだ。ざっくりとしすぎる課題は、子どもは何をどう答えていいか戸惑ってしまう。だから、自分が課題をクリアしたのかしていないのか分からない。だから立っていいのか、悪いのか分からなくなっているのでは?と指摘した。

課題設定はとても難しい。近くにSさんもいたので、高校の授業での課題の話に至った。教科の見方・考え方を養うことが目標となると、「みんなが分かる」という課題では十分に目標を達成できないのではないか?という話にもなった。

「子どもに学ぶ教師の会 高校部会」を作って、高校の課題づくり等に特化した研究をしてみたいとも思った。課題が生まれた会だった。

高校生も参加していて、工業の先生になりたいという。専門高校の未来を考えている若い人がいて、なんだかうれしくなった。