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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

教科の見方・考え方を身につける授業デザイン研究会 創設に当たって

【高校部会】

高等学校の授業は、今どうなっているのか。(もちろん例外はある)

「成績」が良い人たちが多く通っているところでは、大学合格者数(特に国公立大学合格者数)を気にしていて、「受験勉強」中心で、そこでは、知識注入と「受験テクニック」の伝達が主になされている。高校受験を「暗記」でやり抜いてきた子どもたちは、勉強とは「暗記」だと思ってしまっているので、そのような授業は分かりやすく、すんなり受け入れる。となると、受験と関係ない、または受験に役に立たないと生徒が判断した場合は、生徒は内職、睡眠をするようになり、授業者はそれを正そうとはしない。地域トップの「進学校」でも平気でこういうことが起こっている。

中頃の高等学校では、大学合格者数も気にするが、別のところでも特色を出そうとする。それは部活動だったり、課外活動だったりする。その特色を出すために教科教育が連携していればいいのだが、分断している学校もある。部活動だけやっていればいい、として、学習者の興味・関心のない(興味・関心とは連携していない)教科内容を押しつける。得てして受験勉強を薄めた授業内容となっている。だから教科の授業において、寝ている人が多発するし、授業者はそれを正そうとはしない。

学校の成績を何とかして上げようとあまり思っていない生徒が多く通っている高等学校では、授業をどのように成り立たせるのか?と苦労している先生もいれば、力任せに押さえつけようとする先生もいれば、自分を変えようと思わず、授業が成り立たないことを生徒の能力のせいにしている先生もいる。そこでは授業を成り立たせることが目的となり、寝させず、立たせず、騒がせなければOKという授業がおこなわれている。どんな力がついているのかは関心がなくなる。

果たして、通う学校において目標が違っていていいのだろうか?あるところでは受験テクニックの取得、あるところでは授業内容は関係なく、単位取得、あるところでは静かに座っているということが求められる。そして本当に子どもたちにとって必要な、例えば人間関係とか、アンガーマネージメントとか、タイムマネージメントなどは、「生徒が勝手に身に付けろ」とか、「上級学校でやってくれる」とか、「先送り」にされている。本当に生徒が勝手に身に付けられるのか、上級学校で身に付けさせているのかの検証は全くないにもかかわらず。

子どもにおいて、必要なのは、学んだことが生きること。将来生きるために必要な力を身に付けること。国語科の授業では、「言葉による見方・考え方を働かせる」力が生きるために必要となってくる。このことをある学校では身に付けさせ、ある学校では身に付けさせないことなんてあってよかろうはずがない。

訪れたいくつかの高等学校では、子どもの将来に必要な力を見すえ、全ての教科授業でその力を付けさせるための授業改善に取り組んでいる。そうすれば、職員同士が教科の違いは関係なく、教育について語れる、生徒について語れる、ということが起こっている。(小学校では当たり前のことなのだが。)こんな高等学校がもっと増えてほしい、まずは教師個々の意識からと思って創設したのがこの
教科の見方・考え方を身につける授業デザイン研究会」だ。学校種、教科、進路先の違いを超えて語り合いながら授業を通して身につく力を考えて行きたいと思っている。