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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

セレモニーの意味

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全国一律休校の措置が講じられて、卒業式がたくさんのところで中止になった。残念だ、開催してあげたいという声が上がる一方、「そもそも児童生徒は式なんかに思い入れは無いよ。」なんていう教員の書き込みも目にした。

実際に卒業式が中止、縮小となっていき、それでも動画のみを通じて卒業式を配信したり、縮小して卒業式をおこなったり、なんとか開催しているところもあった。そんな中でMinecraftを使って電脳世界で卒業式を開こうという小学生たちもいたようだ。これらから、「式なんかに思い入れは無いよ」という発言は、子どもたちをみていない教員の発言であることがわかる。

学校にはいろいろなセレモニー(式)があるのだが、何のためにセレモニーを行う必要があるのか、それの意味を感じない人には「思い入れなんか無い」という考えしか無いのだろう。セレモニーに意味を見出せなければ、その意味を子どもたちに伝えることもできない。

高校教師時代、在校生から「なんで我々が卒業式に出なければならないんですか?」と聞かれたものだが、「今まで在学していた卒業生を温かく送り出すとともに、来年、再来年の自分の姿をそこに見いだし、あのような姿に自分を作っていく自覚をするためだ。」と伝えていた。卒業式は、イメージトレーニングの一環でもある。

また、全てのセレモニーは、「句切り」の意味もあるし、「終わった」や「始まった」などの意味を植えつける作用もある。機能BSで放送していた「たけしのこれがホントのニッポン芸能史」で解説していたが、漫才の「ツッコミ」みたいなものだ*1。ぼんやりしたものに意味を与えるものがセレモニーである。

上越教育大学は、卒業式も入学式も中止であるが、戦時中中止になったものが、何年かたった後、開催されたことがあるように、「あの時の卒業生、集合」という形で2019年度卒業式として開催されることになるのだろうか?

*1:このシリーズの番組、久しぶりに面白かったし、ためになった。