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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

情報過多では動けない

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在宅で、息子がたくさん持っていたボードゲームを1日1回やるのが日課となっている。というか、気分転換にはとても良い。

先日初めて火星を緑地化するゲーム(テラフォーミング・マーズ)をやった。息子はゲームのルールを教えてくれるのだが、ゲームの全てを教えてくれようと、たくさんの情報を話してくれる。たくさん話してくれるのだが、聞いているこっちは、もうオーバーフロー状態で、結局何をどうすればいいの?と言う気持ちしか無い。そして、「話が早く終わってくれないかな〜?」と思ってしまう。

そのゲームをやりこんでいる人にとっては、その情報は超基本的なことで、「これだけは伝えなければ。」ということなんだろうけれど、こっちとしては、何が重要なことなのか分からない。だから、とりあえずゲームを始めるにはどうすればいいの?と思ってしまう。

こんなのは、世の教室でたくさん起こっている事なんだろうな、と思う。教師は、「超基本的なこと」として、つまずかないように親切心で説明するのだが、来ている学習者は、そんなこと知ったことか、説明長いんだよ、としか思えない。

いちばんいいのは、そのゲームのルールを知っている人とチームになって一緒にやること何だろうけれど、それほど家族が多くないので、それもできず、1人大海に放り出されてゲームをすることになる。そしてゲームの熟達者だけが一人勝ちしてゲームは終わり、「なんだ、つまらないゲームだな。」と思って二度とそのゲームをやろうとは思わない。やり出して、ちょっとずつできるようになり、自分での工夫も反映され、「また次やりたい。」と思って、いつか勝つ、というのが理想なんだろうな。

一昔前よりも、たくさんのボードゲームが市場にあふれ、いろんなボードゲームをプレイする経験を得たけれど、ルールが込み入りすぎて、テーブルにたくさんのアイテムが広げられ、自分の持ち札を見るのが精一杯で、他のプレイヤーがどの程度目標を達成しているのかよくわからないゲームが多いなぁと感じている。ゲーム半ばですでに、「あ、もう勝てないな。」と思えてしまうのって、あまりいいゲームじゃないよな。格差拡大で、逆転ができない。やりこみ要素はあってもいいけれど、一発逆転の可能性も無いと、やる気が失せる。

こう考えると、サッカーというゲームは、よくできたゲームなんだな、と思う。ある程度脚の技術が無いとなんだけれど。