Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

かもしれない詐欺に気をつけろ

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最近、外出する時は、マスクをつけている。「外出する時はズボンをはくべきだ」と同じ感覚でマスクをつけている。特に店舗などの室内に入るときは、絶対につけなければならないとさえ思っている。散歩の時はつけないときもあるけれど、ランニングするときは、3,000円で購入したごっついマスクをつけている。おかげで心拍数があっという間に170を超える。

新潟県内は、今日現在1週間以上新コロナウイルス感染症PCR検査陽性者が出ていない。でも、マスクはつけるべきだとも思っている。それは、自分が感染しないためではなく、「飛沫が飛ぶかもしれない」ということを誰かに思わせないためである。だから、「変態かもしれない」と思わせないためにズボンをはくのと同じなのだ。

新型コロナウイルスが飛沫で飛んでくるかもしれない」「把手にウイルスがついているかもしれない」「床にウイルスが落ちているかもしれない」と考えながら行動するのは必要なことなのだが、それがあまりにもひどすぎると、「かもしれない詐欺」となって、行動、いや、思考を制限する。

  • 口裂け女がいるかもしれない
  • こんな事を言ったら、叩かれるかもしれない
  • こんな事を書いたら、予算を削られるかもしれない
  • あの人と結婚したら、周りに何か言われるかもしれない
  • 高校を卒業しないと、将来幸せになれないかもしれない
  • 部活動をやっていないと、就職に不利かもしれない
  • 宿題をやらないと、成績が悪くなるかもしれない
  • 授業時間を減らすと、学力が下がるかもしれない
  • テストを実施しないと、勉強しなくなるかもしれない
  • 大学進学しないと、幸せな将来が来ないかもしれない

全てエビデンスが無いものだ(「口裂け女」はいないかもだけれど)。エビデンスが無いにもかかわらず、それを信じてしまい、それによって行動が縛られる。だいたい、「今までそうやっていた」というのが「根拠」に挙げられているが、「今までそうやっていた」というのが「効果的である」という繋がりは証明されていない。

だから今、「新型コロナウイルス感染症に感染するかも(感染させるかも)」と思いながら、行動するのは当然なのだが、実は全くわからない部分が大きい。「ウイルスは自分の住んでいるところにいるかもしれないし、いないかもしれない。いるかもしれないから、注意して行動しよう。」ということなのだが、この、ウイルスが「存在するかもしれないし、しないかもしれない」というのが不安を煽っているものなんだと思う。

そこでふと気づいた。「存在するかもしれないし、しないかもしれない」というものに「世間様」というものがある。「世間様」を盾にとって、自分が「世間様」の代表であるかのように、大上段にものを言う人、批判する人、行動を制限させようという人がいる。それは「かもしれない詐欺」だ。エビデンスがないにもかかわらず、ぼんやりとそうなんじゃないか?ということをバックに自分の意見を押しつけようとする。「近所の人になんて言われるかわからないよ。」「周りの人になんて思われるかわからないよ。」というように欺してくる。

そう言っている人はとても視野が狭い人なんだと思ってしまう。それ以外の選択肢だってたくさんある。でも、そう言っている人も「かもしれない詐欺」に引っかかっているから、「かもしれない詐欺」は増殖する。簡単に。「不安」や「恐怖」というものをエネルギーにしてどんどん広まる。そしてたまーに当たることもあるからたちが悪い。

2020年3月22日のK−1の試合を観戦した人で、感染した人が出たという報告が未だ無いということへの検証が必要だと思う。開催を叩くばっかりで、その後どうして感染者が出なかったかを学べないのだろうか?みんなあのこと忘れたのかな?