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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

「山月記」ラップ

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今日の「中学校高等学校国語科授業づくり演習」は「山月記」ラップを作るという実践だ。うちのゼミの西岡君の今年のテーマ「ラップ」なのだが、国語でラップを取り入れたら、どんな効果があるのか、未知数ということで実践し、意見をもらう授業だ。

ラップを導入するねらいは、「言葉の響き、リズムを意識する」ということだ。私もラップを作ってみて、どんな意識が使われたかというと、音韻の感覚だ。俗な言葉でいえば、「ダジャレ」みたいなものなのだが、なんだかそれとも違う気がする。それでも、私はダジャレが口をついてくるようではないので、かなり苦労した。

ラップはラップでも「山月記ラップ」である。山月記に使われている言葉を用いた方が雰囲気出るし、山月記だからこそ、取り入れると心地いい漢語がふんだんに使われているから使わない手はない。そしてその漢語の韻と同じような別の語も見つけなければならない。というように、かなり頭を使う作業だった。ラッパーはこんなこと事もなげにやっているんだろうか?

私の作品は、こんな感じ。

オレは空谷に向かって咆える
オレは月に向かって咆える
人間の生活を終える
獣の一線を超える
そびえる山 輝く月
おびえる木々 ざわめく露

「クライマックス」の場面から取った。

どこを切り取るかで、山月記へのその人の見方がわかってくる。課題は「李徴の気持ちを表す」だったので、ストーリーが進むにつれて、いろんな場面のいろんな李徴の気持ちでラップを作ることができる。それだったら、いっそう、ラップで山月記のストーリーを語る、という活動もできるな、という話も出た。しかし、「ラップをすることで解釈を深める」というものになり、当初の「言葉の響き、リズムを意識する」とずれてしまう。それなら、群読でもいいはずだ。

また、ほとんど描かれていない袁傪、全く描かれていない妻や子、役人だったときの上司のラップも考えると面白いと話題になった。特に李徴の子のラップをどう作るかは、様々な想像が膨らんで、面白いかもしれない。

山月記には漢詩が載っているのだが、山月記のものに限らず、漢詩の学習では、字数とか韻の場所とか、知識でしか学ばないことがある。それが反映するのは、中国語(古代)で読んだときだけなのだが、漢詩の学習は書き下し文でなされ、音韻的な感覚は、体感することができない。しかし、漢詩をラップにすることで、それを少しでも感じることができるのではないか?と感じた。ラップ以外でそれを体感できる実践はあるのか?これなら、「音の響き、リズムを意識する」方向になると思われる。

西岡君は去年「漢詩の英訳化」という研究をしたが、今年は、「漢詩のラップ化」という研究もしてみると発展するのでは?

西岡「先生」と、私のラップは、YouTubeで。

山月記ラップ 2020/07/02の大学院授業の実践