Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

劇団四季コーラスライン

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10年ぶりにコーラスラインを観に行った。
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たまたま本日休みを取っていて、そして、たまたまこの日の公演を観に行けない人がカミさんの知り合いにいて、譲ってもらったのだ。こんないい席頂けるの?と驚きだった。10年前に行ったときは、かなり後ろの席だったなぁ。

コロナ禍の中、この公演は入場制限は全くなく、通常どおりの客入りだった。え?こんな隣に他人がいるのって、10カ月ぶりくらいなんだけれど。ビッグスワンという屋外でも隣に人を座らせないのに、これって、大丈夫なのか?だったらビッグスワンでも、入場制限しなくていいじゃん。山下達郎コンサートだって普通に再開出来るよ。なんて思ったりして。

10年前は新潟県民会館だったけれど、今回は新潟テルサ。こっちの方が収容人数少ないのかな?それでも幅が広くてステージが広いから、コーラスラインにはぴったりなのかもしれない。

コーラスラインの映画が好きで、レーザーディスクも買ったり、サントラも買ったり、観劇に出かけたりして何度も観たのだけれど、今更ながら、

どうして舞台監督は、オーディションを受けに来た人の自分語りを聞きたがったのだろう?

という疑問が急に湧いてきた。歌と踊りのみでオーディションすればいいのに、自分語りをさせる。おぼろげな記憶を元に、10年前の公演は、登場人物は日本人という設定だったような気もする(完全なる曖昧な記憶。間違っているかも。)が、今回は、ブロードウェイでの公演のオーディションということで、北中米出身の登場人物だった。だから、人種、性別、性的嗜好、生まれなどの偏見、差別に対する自分語りがある。黒人という設定がなかったのは、舞台が1970年代で、それを表立って表現出来る雰囲気がなかったからか?

そして、なんとなくこうかな?と思ったのは、「表現活動というのは、自分をさらけ出すことで、すばらしいものが生まれるから」なのだろうか?だから、コーラスラインというミュージカルでは、登場人物それぞれが主人公であり、特別カリスマ的な存在はいない。舞台監督と以前恋仲だったダンサーも、主役を張ったが、今は表舞台から退いて、今回バックダンサーとしてオーディションを受けている。それだからこそ、自分をさらけ出させることで、最高のパフォーマンスを引き出そうとしていたのだろうか?

オーディションに受かりたい、バックダンサーとして踊りたい、仕事が欲しいと登場人物は訴える。その訴えって、コロナ禍で公演がどんどん中止になっている今だからこそ伝えたい、パフォーマーの叫びなんだな、と思った。だからこそ、劇団四季は、コーラスラインをかけているのか。

実は、前日の日曜日は上越公演だったのだが、1人の役者が発熱症状が出て、結果的には新型コロナウイルス感染症陰性だったのだが、中止となっていた。新潟公演はどうなるかと危ぶまれたが、決行した。上演するのには勇気もいっただろうが、「Show must go on」公演することに意味があった。いや、それだけではなく、公演もすばらしいものだったのだけれど。

公演終了後、ステージに引いてあるラインが、スポットライトで浮き上がるのをみると、やっぱり泣けてきた。