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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

冴えない授業デザイン(国語)の作り方

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教員養成大学の教員なので、学生や院生の模擬授業、現役の先生の公開授業を観ることが多い。国語の授業を観ていると、「え?これ、国語なの?」と思ってしまう。国語教科書の内容を扱っているのだから、国語だと考えてしまうのだろうけれど、その授業を行うことで、どんな力がつくのかを意識出来ていない場合が多い。

国語授業とは?

目標や課題の種類を大きく分けると、2つある。1つはテキストそのものを読むもの、もう1つは言語活動をおこなうものだ。教科書作品の内容理解は「テキストそのものを読むもの」であり、話し合い活動、感想を述べる、作品を作り替える、小論文を書く、というように、言語を駆使して表現力を磨くのが「言語活動」である。

全ての教科で「言語活動」を導入しなければならないのだが、言語活動の力を付けることを目標にしているのは国語だけである。他の教科において、言語活動は手段であるが、国語にとっては、手段であり目標でもある。

冴えない授業デザイン(国語)の作り方

とは、この2つの目標をごっちゃにすると簡単に作れる。

例えば、詩を取り扱ったとして、「この詩は四季の移り変わりの美しさを描いているが、皆さんが感じる四季の美しさを絵に描いて周りの人に説明しよう。」という課題を考える。そしてその詩を学んだと勘違いしてしまう。

教材として選んだ詩をざっくり読んで、その詩のテキストから離れた課題を設定し、言語活動をさせ、その詩を扱ったと授業者が勘違いしてしまうのだ。こういう国語の授業をさんざん見てきた。テキストも読まず、話し合って、伝え合って終わりにする。内容理解も言語活動もどっちつかずで何を学んだか分からないという冴えない授業が行われる。

話し合って終わり

話し合って、伝え合って終わりだったらコミュニケーション力の授業であり、もちろん国語はコミュニケーション力を付ける教科でもあるので、そっちにフォーカスすればよい。究極にいえば、教材はその詩ではなくてもよいということになる。さらにコミュニケーション力を付ける目標だったら、どうなればコミュニケーション力がついたのかという評価基準も設定されていない。授業者はコミュニケーション力を付ける授業に設定していないからだ。

模擬授業の場合は、時間が限られているので、目標をテキストの読み取りにするのか、言語活動にするのか、どっちかにすればいいのに、と思うのだが、その違いを理解していないので、このようなことが起こる。現場の実際の授業の場合も、言語活動だけをやらせただけで、テキストを読み取った授業だと勘違いしている場合がある。

じゃあどうするの?は、次回。