Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

書いた文章はどのように「伝わ」ってほしいか?

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論文や、ブログやSNSなんかに私は文章を書く方だと思う。ブログは毎日は更新していないけれど、「長い文章が書けると何かいいことあるの?」という問いを院生のGちゃんに投げかけてみた。Gちゃんはそれに頑張って答えを見つけようとしている。来年度の研究テーマだ。

それは置いておいて、自分が書いた文章がどのように伝わってほしいか?ということをまとめておきたい。

 * レベル0:何が書いてあるかわからない

若い頃は、頼まれた原稿をやっつけ仕事で書き上げて提出したことがあった。それを読んだ先輩からは「何が書いてあるかわからない」と言われた。その通り、やっつけ仕事だから、読み返してもいない。私は若い頃、今から考えると不思議なのだが、点検し直す、読み返すというのが大キライだった。

学生時代定期テスト、共通テストでも、時間いっぱいやって、ちょっと時間が余ってもそれを読み返さなかった。なんだか自分で完成したと思ったものを再度点検するのが嫌だったのだ。そりゃあ、「何が書いてあるかわからない」ということになるだろう。文章作成で最悪のレベルだ。

* レベル1:意図が伝わらない

書いてあることは文法的に正しい、かかり受けも間違っていない。でも、「そういうつもりで書いたんじゃない」という文章だ。自分本位で書いているとそうなる。相手はどう捉えるか?という気持ちが無い時にこんな文章を書き、誤解を生む。

* レベル2:気持ちが伝わる

上記「レベル1」の「意図」が伝わった文章だ。普通の文章だったら、これで及第点である。書き手の意図、書き手の熱意が伝わる文章が作れれば、それでゴールだ。こんな文章をスタンダードに作成できれば、国語科教育レベルのゴールと言えるだろう。

論理的に書ければ、どんな文章でも伝わるのかというと、そういうわけではない。論理的すぎて伝わらない場合もある。「読み手」の「論理=思考回路」に合わせた文章が書ければ、客観的なものごと以上の情緒的な部分も伝わると思う。

作家はこのレベルでいいのかというと、きっとこれだけではダメで、次のレベル3まで行かないと職業作家としてやっていけないんだと思う。

* レベル3:書き手の意図していないことも伝わる

「この物語は、自分の物語だ、自分のことを描いている。何でこの人は自分のことをこんなにわかっているだろう?」と思わせる物語が最上の物語だと思う。

もちろん作家は読者の事情なんて知っているはずもない。読者は行や行間から、書いてあること以上のことを読み取れている結果だ。書き手はそんなことを意図していなくても、普遍性のある内容を書き、読者はそれを自分に当てはめて読むから、「自分の物語だ」と読み取る。

こんな文章が書ければいいのだが、私が書けていたら職業作家になっているだろう。

しかし、「文章」を「授業」に置きかえるのであれば、「職業教師」としてやれたと思えた経験は少なからずあった気がする。