大学院科目「中学校高等学校国語科授業づくり演習」が始まった。昨年度とは打って変わって少人数となったので、一昨年のように、各時間1つの題材を取り上げて、参加者であーだこーだ対話しながら読み深め、「核になる課題」を考えていこうと思っている。
授業内での対話の概要を記録する。今回も新たな発見ばかりだった。
疑問点、不思議な点
男はどうして気づかなかったんだろう?
- いくら雨が降って、雷が鳴っていたとしても、鬼が女を食う時に男が全く気づかないなんておかしくないか?
- どうして男は女を蔵に押し入れて戸口にいたのか?ずーと一緒にいればいいんじゃないの?好きなんだから。近くで守ればいいんじゃない?
- 鬼に食われた時には気づかず、しばらく経って、夜が明けてきてから気づくって、それまで女が大丈夫か見にいかなかったのか?
- 絵巻では、男は女に近くで守っているよね?
と、いろいろおかしなところが出たが、「実は」という種明かしがある。
種明かしをするのが授業としていいのか?
- 教科書の出典は大系だが、教科書としては敢えて歌の後の「兄たちが女を取り返しに来た」という部分を削除している。
- 伊勢物語は、現在の形になるまで、いろんな人の手によって加筆、修正されているから、歌の後の文章は後から付け加えられたという考えもできる。
- 歌の後の文章が示されていると、「なーんだ」となり、面白味が半減する。授業でやる場合も種明かしが初めからあっては、やりにくいかも。
- 「実は」ということを教師が小出しにする授業は、あまりいい授業とは思えない。全ての素材を生徒に初めから提示すべきなので、教科書にこれが掲載されているのだから、歌で物語が終わっているとして授業では課題を考えた方がいい。
「芥川」ってどこ?
- 教科書の注には「大阪府高槻市を流れる川」かもしれないと書いてあるけれど、京都府中心部から30㎞近くあって、遠すぎるよね。
- 宮中から盗み出したとしたら、1日で芥川に行くのは不可能じゃ無い?女を背負っているんだから。
- そもそも宮中から盗み出すのは不可能じゃ無いかな?
- 女がどこか外出した(方違えとか)時に、監視の目が緩くなるから、それをついて盗み出したんじゃ?
- 「芥川」って、本当の川じゃ無くて、汚いものを流す「下水」という意味があるとも書いてあるよ。
- それだったら、京都中心に流れていても不思議じゃ無いね。
- そもそも、男が目的地に設定しているところって、どこなんだろう?知り合いの家かな?
- 絵には女を背負って歩いているけれど、牛車じゃすぐに追いつかれるし、深窓の令嬢と馬に2人乗りなんてできないから、背負うしか無いかな?
- 男はかなり疲れるよね。
という話になり、男はあまりにも疲れて、実は寝てしまい、その間に女を鬼に食われた(奪い取られた)のでは?という話にもなった。
歌物語なんだから、「歌」を読み取る課題がいいのでは?
この歌はいつ詠んだ?
- 「足ずり」をしている時だったら、変だよね。泣いている時にこんなことを詠めたら、それほど悲しくないということになる。
- ちょっと冷静になって「消えてしまえば良かったのに」と言っているのだから、この事件が終わって、ちょっと経ってから、または、ずいぶんと経ってからか?
- 過去を思い返して詠んだんだろうね。
「消えなましものを」
- 「消えなましものを」:「消えてしまえば良かったのに」という訳だけれど、何が、誰が「消えてしまえば良かった」?
- 自分。
- 女も?
- あの時消えた方が幸せだったと言うこと?
「問ひしとき」
- いつのこと?
- 逃げている時。「からうじて盗み出で」た時。
- 一番幸せだった時?今までこんなにくっつけたこと無かったんだから。
必死で逃げている時に、女が「白玉か」なんて言っている。自分はお前を背負って逃げているのに、なんて悠長なことを言っているんだ?それどころじゃ無いんだとイラついているのかも。盗んでいるんだから、必ず追っ手が来るはず。男は必死なのに、女はそれほどでもない。男と女の気持ちは実はすれ違っている?男の切実さをわかってくれない女にイラついてしまっているのかもしれない。女は寒いしハラも減って、不平不満を男に言ったのかもしれない。女を蔵に押し込めて、ちょっと距離を取って男は戸口にいたのかもしれない。
何で男は答えなかったのか?
- それどころじゃ無かった。
- 何を言っているのか、何を質問しているのかわからなかった。
- 聞こえなかった。でも、まだ雷が鳴っていないんだから、背負っていたら聞こえたはず。
- 答えたくなかった。「露」と言いたくなかった。消えてしまうかもしれないから。
- 女はわかって質問していた?女は今消えるのが一番幸せだ(美しいと)わかっていた?男はそれを認めたくなかった。
それで「核になる課題」は?
- 不思議なところをいろいろ見つけさせて、どうしてそんな不思議が残るように書いているのか考えさせる。
- 「問ひしとき」って、いつ?どうしてその時に消えてしまえば良かったの?
- 「実はこれは、兄たちは女を取り戻しに来てたんだ。」と種明かしをして、どうしてそんなように書いているのか考える。
- 男が女の問いに敢えて答えなかったとしたら、なぜだと考えられるか?
- 男はこの歌を詠んでいる時に「消えたい」じゃなくて、「問ひしとき」に消えたかったと詠んでいるのはなぜか?
恋愛は、結ばれた時が一番幸せで、それは「芥川」では、盗んで逃げ出した時であり、それがクライマックス。そのクライマックスの時に終われば「ハッピーエンド」になるという思いか?
授業の振り返り〜物語の読み方〜
「芥川」を「実際は」と現実的に詠むべきか、そのままロマンチックに詠むべきかというと、教科書に書かれていない資料をもとに読むのは「国語」では無い気がする。「実は」という種明かしも面白いと言えば、面白いし、教師としてはちょっと優越感(自分が情報を持っているという)に浸れるのだが、それ無しで充分に読み応えがある作品なのだから、教科書掲載部分で勝負をするといういい例だろう。
国語科授業デザインづくりのセオリーの1つとして、「テキストを読み、テキストから離れ、テキストに戻る」がある。「実際は」として授業を終わると、テキストから離れたまま、テキストに戻ってこないことになり、「なんだ、先生が答えを知っているんだから、それを探ればいい。」と生徒は思い、テキストを読もうとしなくなる。
テキストを読んでいて、「疑問点」がどんどん増えてくるのが楽しいし、「答え」なんてなくてもあーだこーだ考えを巡らすのが「中腰」のまま読むという内田樹の言う「読解力」に繋がる。簡単に答えを求めたり、与えられたりしていては、その「読解力」はいつまでたってもつかない。
この「芥川」は、高校教師になった30年前以上から読んでいる物語だが、今回も対話してみて新たな発見ばかりだった。こういうことに耐えうる作品が、言い教材になるのだなと再認識した。
来週から、この授業での対話をClubhouseで垂れ流す予定。興味がある人は、私をフォローして聞き耳を立ててみて下さい。