英語の大多数の先生から「何言っているの?」と言われるかも知れないが、英語の習得と他文化の理解は全くリンクしていない。英語の授業では英米文化(特にアメリカ文化)の理解に時間が割かれることが多いが、「それって、日本語で書かれているアメリカ文化についての文章を読めばいいですよね?」と思ってしまう。更に、英語で日本文化について書かれてある文章を読ませる教科書もある。これって何のために?英語の習得のためだけだったら分かるのだけれど。
そして、とりあえず、目の前の中学生が大人になる頃まで、英語の習得をしなければ食っていけなくなるということはないと思われ(楽観的?)、自動翻訳システムが今後どんどん進化すれば、英語なんて喋れなくても日常会話はもちろん、ビジネス会話さえもそれでまかなえると思われる。じゃあ、多文化理解は母国語で行い、必要な人だけ英語を学べばいいの?ということになる。
私の大学院授業「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題(今年度終了)」で先日中学英語を扱った。担当者が持って来た教科書のコピーの単元は、現在進行形「be動詞+ing」という、超基本的なものであった。その教科書には様々な写真が掲載されており、アメリカの中学生がスクールバスに乗っているものや、授業間の移動時間で、ある生徒はスポーツシューズを持っていて、ある生徒は楽器を持っている姿などが写っていた。
なぜそのような写真を掲載しているのか?教科書の意図は、「アメリカの中学校は、日本のとは違って、ほとんどの人がスクールバスで通っていて、歩いて通う日本とは違うでしょ?」とか、「アメリカのカリキュラムは、各人が必要な授業を履修して、ほとんど決められている日本の中学校とは違うでしょ?」というものなのだろう。その違いを英訳して、アメリカの学校文化を知ろう、というものだと想像できる。
しかし、程度差もあるが、中学生に選択授業はある。そして地域によっては日常的にスクールバスが運行しているところ(例:新潟の山間部の地域)はある。この写真によって「違いがあるでしょ、文化の違いでしょ?」と示すのは、無理があるる。編集者は大都市の中学校しかイメージできなかったのだろうか?
話は逸れるが、
日本語で
彼女は英語を勉強する。
という表現は、「今」勉強している姿にも使うし、「日常的に」勉強している姿にも使う。
映像作品を作って、女子生徒が英語の教科書を開いて勉強している動画にナレーションを付けるとき、「彼女は英語を勉強する」としても何ら違和感はない。そして、大人になって、仕事を持っている女性が仕事が終わった後日常的に英会話教室に通っている姿を映したナレーションに「彼女は英語を勉強している」としても違和感がない。
つまり、「する」にも「している」にも、どちらも「進行形」の意味があるし、それを取り除いた意味もある。日本語は区別を付けないのだ。
ところが、英語で
She studies English.
とした場合「日常的に」学んでいることになる。中学生で3年間学ぶのかな?と捉えられる。そして
She is studying English.
とすると、今まさに学んでいるという意味にしかならない。
教科書の写真の話に戻ると、日常的にバスで通っているのか、今日はたまたま遠足で生徒みんながバスに乗っているのかは、この「進行形」を使うか否かで言い表すことができると言うことになる。教科書編集者はそれを狙っているんだろう。
今だけのことなのか、日常的なことなのか、アメリカの「日常」を意識し、英文で書き分けることで、アメリカのカリキュラムを知り、文化を意識するということに繋がる。
つまり、英文法に現れた「英語の見方・考え方」でアメリカ文化理解をしていこうということだ。こうすることで、英語を学ぶ意味が見えてくる。
先日の授業では、新たな発見があった。