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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

グループ学習の必要性

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本日学部2年生ゼミで、「グループ学習の必要性」って何だ?という話題になった。「模擬授業でも、当たり前のようにグループ学習を入れるけれど、グループじゃなくてもいい場合があるよね。グループ学習が本当に効果がある時って、どういうときだろう?」をディスカッションした。

機材が無いとき

例えば実験の機材が学習者人数分用意できない場合は、グループ学習が必要になる。経済的に節約できるという効果がある。

時間が無いとき

例えば、歴史新聞を作るとき、グループで1つ作らせる。そうすると仕事の割り振りをして時間を節約することができる。しかし、理想的には1人がいろんな記事を考え、1つの新聞を作った方が、その人の学習にはなる。仕事の分担が起こると、全てを学ぶこと無く成果物を完成させてしまうというデメリットが起こる。

発表相手を確保したいとき

スピーキングの相手を確保する。発表の相手を確保するというときに、グループを決めた方が活動相手をわざわざ探さなくても良くなる。「近くの適当な相手に説明して」という指示の場合、全員が説明しているかどうかを1人の教師が把握することはとても困難だ。その場合グループを決め、グループ単位で活動しているかどうかを把握すると、全員の活動を見とることができる。これは学習者側の「発表相手を見つける」というちょっとの労力の節約と、教師側の全体把握の労力の節約になる。時間と労力の節約のためであり、学びが効果的かどうかはあまり関係ない。

コミュニケーション力を訓練したいとき

「好きな自分が選んだ人とディスカッションして」という指示の場合、多くが、自分が話しやすい人を選んだり、積極的に選ぼうとしない人同士で集まることなる。話しやすい人とは、ディスカッションは気心を知っている予想どおりの内容になるし、積極的に選ぼうとしない人同士では、ディスカッションは盛り上がらない。グループを決められることになり、そこら辺が緩和され、馴染んでいない人とのディスカッションを行い、「気心が知れていない人」との訓練を全員することとなる。しかし、これはコミュニケーション力の訓練であり、その教科の授業で無ければならないということでは無い。

緊張感を確保したいとき

自分1人だったら、「この程度でいいか」と学習がお座なりになる可能性が高いが、他人がいると、「自分だけいい加減じゃだめだ」という緊張感が増して、しっかりと課題を考えようという気持ちになるという意見が出た。そうすることで課題のクオリティが上がっていくという。今回模擬授業をグループで考えて、それを実感したというのだ。1人での模擬授業だったら、その結果の責任は、自分で引き受ければいいのだが、グループで行うと自分の失敗やなまけが、全員の責任となってしまう。そのため緊張感をもって取り組めたというのだ。

これは、グループ学習がいい面で働いているのだろう。逆に、「自分は何もしなくても他の人がやってくれるからいいや」というケースも起こりうる。Zoom授業での20人でのブレイクアウトセッションでは、常時それが起こっているそうだ。いやいや、そんな大人数のブレイクアウトセッション、私でもイヤだなぁ。じゃあ、最適なグループ人数って何人なんだろう?という話にもなった。

もう始まっているゲームに入りたい(入らせたい)とき

上記「緊張感を確保したいとき」と似ているのだが、4人グループで、3人が取り組んでいた場合、残りの1人が例えば前時欠席なんかしていた場合、その学習に入り込みやすい。これがグループ学習では無かった場合、欠席していた人は、ぽつねんと取り残された状態で過ごすことになる。しかし、グループだったら、その学習に乗りやすいのではないか?欠席では無くても、授業の前半眠くてぼーっとしていたが、他の人たちが乗り気でやっていれば、途中からでも入り込みやすくなる、というか、自分一人だけ何もしないというのは、場の雰囲気で許されないと感じる場合は多い。もちろん、そんなの意に介さずに過ごせる強者もいるにはいるが、それに毎時間耐えられる強者はあまりいないのではないか?

大切なのは、「意味」をわかって行うこと

模擬授業を作らせると、必ずグループにならせて交流させようとするのだが、本当にそこにグループ学習の意味を見いだしているか?と問いかけたい。グループでは効果的ではなく、むしろ、デメリットしか生まれない「グループ学習」もある。そんなことにも気づきだしたゼミ生たち、今後が楽しみだと思った。