かまいたちのネタに、「おれ、となりのトトロ見てない!」というものがある。見ていないことを自慢する大好きなネタなのだが、見ていないからこそ、これから見る楽しみがあるということを自慢するのだ。
そういうことってあるよな、と思う。初読というのは、人生のうちに1度しか経験できないのだ。初読を人生のどの時期に充てるかによって、その作品のとらえ方が全く違ってくる。夏目漱石「こころ」は人生のうちで最も再読している作品だが、初読は確か20代だった。これを10代で読んでいたらどんな感じになったのだろう?10代だったらきっと高校の現代文の授業でだっただろうが、悲しいかな、私が通っていた高校では「こころ」を授業で扱わなかった。
ある程度読み取りの力が付いていた時に読むか、そうでもない時に読むかで作品のとらえ方は全く違ってくる。読み取りの力が付いていたほうがいいかというと、そういうことでもない。なんでも「わかった気」になって読むと、作品は楽しめないと思うからだ。しかし、読み取りの力が一旦付いてしまうと、それを削って読むことができなくなる。
あの頃には戻れなくなる
のだ。
今、「傷物語」を再読している。最初に読んだのは2018年。次男が中学校から借りてきて、私も読んだのだ。「化物語」シリーズのアニメはAmazon Prime Videoで見ていたが、「傷物語」はAmazon Prime Videoのリストには無かった。小説が先だったような気がする。物語シリーズは、時系列やその他設定が、前ぶれ無く降ってくる。「なんで?」、「なんで?」と思いながら、アニメを見るしかなかった。事前情報を全くなくアニメを見出したからだ。しかし、それだったからこそ楽しめた。原作者の西尾維新はまだ発表していない「続き(時系列的に過去の場合もある)」を前提に書いているので、「一体過去に何があったのか?」と思いながら、シリーズを順番に見ていくしかなかった。
一通り見終わった後、じゃあ、時系列で見よう、副音声を聞きながら見よう、とか、3〜4回は通して見ている。
しかし、1回目のあの分けのわからない不安で、ワクワクする気持ちは、もう2度と訪れない。今、原作本の2回転目を読んでいるのだが、ある意味「確認作業」のようなものになっている。それでも面白いのだが。
これから「物語シリーズ」を初めて見る人がうらやましい。