今日の大学院授業「中学校高等学校国語科授業づくり演習」では、今年度から始まった「現代の国語」の実用的な文章を取り上げ、みんなで「どんな課題を設定して授業をしたらいいのか?」と、考えた。その教科書には「実用的な文章」として学級日誌が例の1つとして挙げられていた。
学級日誌って、高校でしか使っていないということを知ってびっくり。そういえば、小・中では連絡帳みたいな感じで教師と児童・生徒はやりとりしている。だから学級日誌って、無かったのか?とも思ったが、そもそも学級日誌って何のためにあるのだろう?と考えた。
「日誌」という名称だけあって、記録のためにあるのだが、日々その授業の科目名や担当教師名、欠席者名などを書いて、それは「実用的」になっていたのだろうか?と思い返した。
※学級日誌の実用的な側面
- 遅刻、早退などがあった場合、出席簿に表れない(選択授業など)部分での生徒の記録で確認する
- 昨年の今頃、どんな連絡をしていたのか確認する
等が思い当たったが、それほど頻度は高くない。
私の場合、「交換日記」的な側面があったかもしれない。
生徒には、ある程度の量の記事を課していて、それに必ずコメントを付けていた。週番が日誌を書くことにしたのだが、その週番の生徒とのコミュニケーションに使っていたとも言える。今となっては、20年以上(写真上)、約8年(写真下)前の記事を見て、懐かしがるという意味しか無いのかもしれない。
本来は「日誌」なので、その日の連絡などを記入して、聞き漏らした人がそれを閲覧して確認するという側面もあっていいはずだが、朝膨大に伝えられる連絡を記入するのは難しい。日誌には全くそれらが書かれていないのは、考えてみれば、朝の連絡を伝えていたのは週番だったからかもしれない。
「現代の国語」での授業では、どのように扱えばいいのか?とアイディアを出し合ったが、
学級日誌をもっと実用的なものにするため、どんな記入欄を設ければいいのか、レイアウトをどうすればいいのか?
を考えるというものが挙がった。
または、
日誌というのは、その日あった出来事を記載するものだから、「記事」と「所見」の欄を分け、事実のみを記入する練習をするのも面白い。
とも挙がった。
各教科書会社、「実用的な文章」の取扱いには、迷走しているようだった。