Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

Kは長門有希だった

K(こころ)は長門有希涼宮ハルヒの憂鬱and消失)だった。

と「涼宮ハルヒの憂鬱」、「涼宮ハルヒの消失」を見終えて思った。もう過去に何度見返したのだろう?「憂鬱」は3回目、「消失」は2回目だが、今気づいた。繋がった。

自分の鑑賞記録、または知っている人に訴えたいための記事なので、これから見る人がいると思うから、ネタバレはしない。

Kが自殺した理由を私(先生)はこのように私(書生)に手紙で書いている。

すべての疑惑、煩悶、懊悩、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳込んでいるのではなかろうかと疑始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺ながめ返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻したらば、まだよかったかも知れません。

だいたいの教科書掲載部分には、上記が載っているのだが、掲載されていないところには、書きのようにも載っている。

Kは正しく失恋のために死んだものとすぐ極めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易くは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄っとしたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。

だいたい国語の授業だと、「理想と現実の衝突」というところで決着する。しかし、それほど単純なものなのだろうか?という気持ちがずっとあった。「淋しさ」という簡単な言葉だが、具体的な明快に説明できない「何か」がKを急に襲ったとも考えられる。

しかし、それじゃあ授業としては明確ではないので、分かりやすい「理想と現実の衝突」で落ち着けようとする。文学の読みはそう単純なものじゃない。

そこで、「長門有希の陥ったものと同じだったのでは?」という繋がりに気づく。それでいいのではないかとも思う。複雑すぎる「こころ」(=小説の題名、人間の心」なんて、簡単な言葉では説明できない。だから、「これは、アレだな」と繋がれば、いいのではないかとも思う。

もやもやしたものをずーっと持ち続けて、「あ、そうか」と分かると非常に面白い。そんな「中腰」状態を続ける読み方が「読解力」と内田樹は言っている。文学の読みなんて、超個人的なものでいいのだ。

それにしてもキョンは罪深い。

そして、「長門有希チャンの消失」に繋がっていく。うーん、京都アニメーション、奥が深い。

高橋源一郎の「これは、アレだな」こそが「深い学び」