自分が触れたことが無い世界に対して、「興味ない」というのはまだしも、否定的な見解をする人がいる。
それを体験していなくても、好きで熱中している人に対しても、「理解できない」と公言する人もいる。
スポーツとか、アイドルとか、プロレスとか、その他諸々。
いわゆる「食わず嫌い」と言うことなのだけれど、食ってから嫌いになれ、食ってもいないんだったら、嫌いかどうか本当は分からないだろう、と思う。
それを見たり聞いたり触れたり体験したりする前に、「楽しい」、「面白い」、「効果がある」という担保がほしいということなのだろうが、本当の楽しさ、面白さ、効果というのは、実際にやってみないと分からないし、担保をもらっても、自分がやって「楽しくない」、「面白くない」、「効果がない」と感じることは十分ありうる。そういう人は、そうなったとき、勧めた人のせいにする。
小学校時代から、あれやれ、これやれ、上手くやる方法はこうやるんだ、効率的に伸ばす方法はこうやるんだと与え続けられた人は、自分からそこに飛び込んでみようという力が衰退してくる。好きになろうという力が減退してくる。それをやっていて、楽しんでいる人を横目に見て、自分がやった時に上手く行かないで悔やむことを避けるために、自分がやらないことを正当化する。やらないまま否定的な感情を持つ。「酸っぱいブドウ」だ。
だいたい、上手くいっているということが表に現れているのは、ほんの一握りで、ほとんどの場合失敗したり、そこそこの成果だけで、尻すぼみになったりしている。しかし、やらないままに否定的な見解をするよりまだましだ。「やってから言え」だ。むしろ、その「失敗」がネタになる。教訓になる。そうなれば「失敗」は失敗でなくなる。
間違わない、失敗しない確実な方法は、「何もしない」ことだ。そういうことを子どもに強いている現状がある。エラーを恐れちゃトライはできない。(808字)