世界中が……2
教科書にも出てくるM社のハンバーガー店が世界中に浸透したのはなぜか?現在アップル社の携帯端末が世界中に浸透しているが、どちらもアメリカ発の企業だ。
じゃあどちらも教科書にある「アメリカナイゼーション」なのかというと、どうも違う気がする。
M社のハンバーガー店が世間に浸透したのは、1つの理由にライフスタイルの変化があったと書いてある。つまり、世間が簡易的な食べ物を望んだんだし、M社もそれに乗っかったと言うわけだ。M社が出店しなければ、きっと他の会社が出していたと思われる。はっきり言えばM社でなくてもよかったのかもしれない。
また、ファーストフードが世に出なかったら、世間が簡易的な食べ物をほしがらなかったかというと、そういうわけでもないだろう。ライフスタイルは店とは関係なしに変化しているのだから。
アップル社の場合はどうなのか。スティーブ・ジョブズは「われわれはそれが目の前に出てくるまで本当にほしいものが何かはわからない。」と言っている。世間はiPhoneやiPadをほしがっていたのかどうかはわからない。しかしそれを世に出したからみんなが求めたのだ。
アップル社は世間の要請を受けて商品を出したのではなく、商品を出したからわれわれのライフスタイルが変化したのだ。ここの点がM社と大きく違う。
かつてわれわれがM社のハンバーガーを買い求めたのは、「アメリカナイゼーション」という名の実態のない「アメリカ」である。しかし、われわれがアップル社の携帯端末を求めるときに、その携帯端末に「アメリカ」は求めていない。「アメリカ」ではない、何か別の「快適な社会」であり、「快適なライフスタイル」である。もしかすると「スティーブ・ジョブズ」であったりもする。
その携帯端末を手に入れたから本当に「快適なライフスタイル」を手に入れたかというと現実はそうではないかもしれない。実際の所それを手に入れることによりちょこっとした不具合やトラブルに煩わされたりするのが現実で、完璧な「快適なライフスタイル」なんて手には入れていない。
この点、「実態のない快適な社会」を夢見るところでM社のハンバーガーを求めたことと共通しているのかもしれない。
まぁ、商品を買い求めるということは、多かれ少なかれそんなことになるだろう。