Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

コイン掃討作戦敗北

電子マネーが普及して、「いつか、両替に使おう」と思って机の奥に貯めていたコインもほぼ必要なくなった。

コインを掃討作戦に打って出た。

Suicaにコインでチャージすれば、かなり消費できる。500円からチャージできるという情報を得た。

やってみたら新潟駅でのチャージは1,000円からだった。手元に集めたコインの合計は500円。すごすご帰ってきた。

ゆうちょ銀行に置いてあるATMではコインでの口座入金が可能だという情報を手に入れた。

始め、25枚以上のコイン入金手数料は110円だと表示されたと思い、25枚以上入れていた私はキャンセルし、10円玉を20枚入れて入金してみる。

そうしたら、110円の手数料を取られてしまった。なんと、25枚までの手数料の表示だった。何をしに行ったのだろう?

え?じゃあ、10円を入金すれば、手数料110円取られるということ?

世知辛い世の中になったものだ。

それは美しいですか?

anime-chi.jp
テレビアニメ「チ。—地球の運動について—」が始まった。マンガで完結まで読んだのだが、初期主人公の声が坂本真綾さんとは、ありがたい。

固定観念や、洗脳や、色眼鏡や思い込みを外して本質を見ることがいかに大変なのかを感じさせる。そして、研究、探究とは、そんな障害を描き分けて本質、真実を明らかにすることである。

「自分が信じているこれが正しいのだ」という思い込みを外して、「本当かな?」と立ち止まってツッコミを入れることがどんなに難しいことか。「チ。」の描かれている時代は、「本当かな?」と思うだけで、口にするだけで死刑になった時代だ。

ところが今の日本は、表現の自由憲法で保障されている。ちょっと立ち止まって「本当かな?」「本当ですか?」と口にしても殺されない。

じゃあ、「本当かな?」と足を止めるきっかけは何か?目の前の現象だ。

主人公ラファウ(cv.坂本真綾)は、地球が世の中の中心にあり、天体がその周りを動いていると信じていた。その天体の軌道を異端審問にかけられ、解放されたフベルトに描くように言われる。ラファウは描くが、フベルトは「それは美しいですか?」と問う。

ラファウは、天動説で描いた天体の軌道には、ちょっと変なところがあるが、そういうものだと納得していたが、「美しいかどうか」で判断していなかった。引っかかるところもあったのだが、そんなことは考えてはいけないと、矛盾に目をつむっていた。しかし、フベルトに美しいかどうかを問われ、地動説だとぴったりはまることに気づく。

目の前の上手く行かない、美しくないことに、思想を傘に目をつむるのは美しくない。

NetflixやabemaTVでも放映するので、ゼミ生は必視です。
https://abema.tv/video/episode/568-32_s1_p1

(804字)

クイックスタートが素晴らしいという話


iPhone11ProからiPhone16に機種変更した。

クイックスタートで、簡単にデータ移行ができるというが、Apple Watchをどうすればいいのか?特にApple Watch内のSuicaは、なんだかデリケートらしい。ということで、以下に手順をまとめておく。

Apple Watch内のWalletにあるSuica、nanakoなどをiPhoneに待避する。

特にSuicaは、残高が引き継げないこともあるということを書いてあったサイトもあったので、慎重に。
他のクレジットカードは、そのままにしておいた。

すぐさまクイックスタートを開始する

サイトを調べると旧iPhoneを最新OSにアップグレードしておくとか、書いてあるけれど、旧iPhone:OS17 新iPhone:OS18でもちゃんとクイックスタート開始して、完了してくれた。

eSIMに変換

iPhoneに刺さっているSIMカードを新iPhoneで、eSIMにするか?と聞いてきたので、OKとしてみた。
これは驚き。スムーズに新iPhoneにeSIMで移行されたらしい。

iPhoneのOSアップデートがかかり、もう一度クイックスタートを始める。

約30分じっと待つ。

Watchアプリを起動して、ペアリングを行う。

クレジットカードは、そのままApple Watchに残っていた。

iPhoneに待避させていたSuicaやnanakoをApple Watchに転送する。問題なく残高表示されている。

iPhoneに保存音楽は新iPhoneにコピーされていた。

ほとんどがCDから転送したもの。

LINEはログイン操作で、SNS認証が必要だが、問題なく移行。

(799字)

朝の読書が奇跡を生んだ

船橋学園読書教育研究会 編著 高文研 1993年

朝の読書との出会いは、テレビ番組だった。そこでこの本が紹介されていて、読んで導入しようという気持ちになった。

私が持っている版は第11刷(1998年)で、教員9年目、3校目に転勤し、仕事にもがいていた時期だ。

久しぶりに内容を確認し、著者は林公さんではなく、「船橋学園読書教育研究会」となっているのに驚いた。

書かれてある内容は、色あせることのないもので、当時の問題意識は今も変わっていない。

日本全体で学校の雰囲気は当時より落ち着いてきているのかもしれないが、「主体的学び」を児童生徒に起こさせようという取り組みの1つの方法として朝の読書が考え出された。

朝の読書が、『読み聞かせ—この素晴らしい世界』(ジム・トレリース著 亀井よし子訳 高文研 1987)から生まれたことが書かれてある。(402字)

諦めたらそれで……

これまで様々な状況の授業をしてきたり、参観してきたりした。

整然とした授業もあったし、わちゃわちゃした授業もあった。学習者の学びが多い授業もあったし、教師主導でストーリーに強制的に沿わしている授業もあった。

学習者が明らかに学びに向かわない、向かっていない、取り残されている、諦めている時に、教師は手立てを講じなければならないはずだ。

私は過去に、窓際の学習者が寝だしたら起こし、廊下側の生徒が寝だしたら頭を揺さぶり起こし、ケータイをいじりだしたら取り上げ、マンガを読みだしたらしまわせ、パソコンで他の授業課題をやりだしたらパソコンを閉じていた(於:大学)。

もちろん、私の授業に興味がないから、学習者はそういうことをするのだが、だからといって、「仕方がない」と諦めたらそれで教師失格であると思う。教師である資格は、学習者を学びに向かわせたいという意欲があるかに尽きる。

もう8年以上も前にはなるが、高校教師終盤の授業では、学びに向かわない学習者はいなかった*1

それができるかどうかは経験値や教師レベルが上がっているかどうかによるが、諦めない気持ちは、経験がなくとも、初期レベルでも持てるはずだ。

「自分の思想ややり方は間違っていないから、いつか学びに向かうはず。いや、これでダメならしたがない。」

なんていう教師は学校現場にいてほしくない。

高校までと大学での授業の大きく違うところは、高校はほぼ未成年で、大学は成人しているということ。つまり責任の所在が違うということ。高校生だって自分の責任で学んでいるが、なかなかそこに向かえない生徒には、「学ぶか学ばないかは学習者に丸投げ」ではなく、学ばなかったら学ばせる環境を作る努力はしないとね。(806字)

*1:はずだ。もちろん、体調、気持ちの高低により常時学習意欲が高かったというわけではないけれど、全般的に見て、学びに向かわない生徒はいなかったと言える。

言葉を大切にするということ

後期授業「中学校高等学校国語科授業づくり演習」が今日から始まった。

ここ数年に無いほど履修者が集まった。

この授業では、国語の授業をどうやって作っていくのか?というのを履修者がそれぞれ担当し、題材を提供しながら、対話しながら固めていくものなのだ。今日は初回なので、私が話題提供をした。

国語の授業をするには、ことばを大切にする気持ちが大切

ということを話した。

保健体育科の授業をするのに、いつも体を蝕むような行動をしている人は、資質が無い。

家庭科の授業をするのに、添加物がたっぷり入った体に悪いようなモノを食している人は、資質が無い

理科の授業をするのに、地球環境を壊すようなことを積極的に行っている人は、資質が無い。

以上のことは、学問と授業は違うということ。マッドサイエンティストのように、環境や人体を破壊する学問をしている人はいるが、そんな人は授業はしちゃいけないと思う。

そういうことと同じように、

国語の授業をするのに、言葉を大切にしていない人は、資質が無い。

と言える。

言葉を大切にするということは

  • 言葉に注意を向けるということ
  • 分からない言葉は使わないということ
  • その言葉が分かるかどうか、自分で意識するということ
  • 言葉を間違えないということ
  • その言葉が相手にどう伝わっているのか意識すること
  • 言葉を間違えたら、修正すること
  • 言葉で表されている思想、文化を理解しようとすること(受け入れるかどうかは別)
  • 言葉によるコミュニケーションをとろうと努力すること(暴力に訴えない)
  • 言葉により相手を理解しようとすること
  • 言葉の力の有限性を見極めようとすること。

など、上げればきりが無いのだが、人に見せる文章に誤字脱字を紛れ込ませて平気でいられる人は「言葉を大切にしている」とは言えないんだよな。(791字)

114. 復活してほしい商品・サービス

復活してほしいというか、もう一度食べてみたいのは、ガンダム焼きそばです。

私が中学生の頃、ガンダムが流行りました。母親がガンダム焼きそばを持ってきてくれました。その当時あまりカップ焼きそばは種類が無かったような気がします。物珍しさもあって食べたら、これが美味しい。ソースに海老の風味が合わさって、食べ終わると、海老の風味が口の中に残り、後味を楽しんでいました。

カップの形状が不思議で、楕円形です。カップの中の左と右に麺が別々になって入っていました。当時、どのように湯切りをしていたのか、想像がつきません。

検索してみると、パッケージの画像が載っています。
http://pikihouse.cocolog-nifty.com/pikihouse/2010/05/post-60e6.html
製造元はカネボウで、そういえば、うちは、カネボウ化粧品を売っていたから、そのツテで手に入ったのだと、今わかりました。(408字)