Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

君たちはどう生きるか


2023年 スタジオジブリ イオンシネマ新潟南鑑賞

帰省している次男が観に行きたいというので、カミさんと次男と3人で観に行く。何の宣伝もしていないということで、情報が伝わってこないのだが、次男の友人から聴いた話で、「どんな映画?」と訊いたら「鳥ばかりが出てくる映画」と答えたそうだ。まさにその通りだった。

誰かが観た夢をアニメ映画にしたようなものだったし、簡単には解らない映画だった。「解らない」というのは私にとっては褒め言葉。世の中何でも簡単に解らせようとする表現がありすぎる中、映画を一緒に観に行った人たちの中で、アレはなんだ、これはこうだ、と、語りたくなる映画だった。一度観に行っても解らない。かといって、解ろうとするために二回目を観に行こうとも思わないけれど。

解らなさをずーっと楽しめる映画なんだと思う。

ただ、有名どころが作るアニメは、声を演じている人のチョイスが有名俳優・タレントだったりするので、個人的にはそれは勘弁してほしいと思っている。いつも観ている人が、声だけの出演をすると、「あ、これ、あの俳優の声だ」と気になって、アニメの世界に入れない。有名どころが作るから、お金がふんだんにあり、客寄せのために有名人の声を使うのだろうけれど、簡単に解らせない映画を作るんだから、演じている人も簡単に誰だか解らないようにしてほしいと思った。

国語科授業「掛け違え」あるある


国語科授業を作っていたり、授業を観ていたりすると、「あれ?なんだかずれてきているぞ?」と気づくことがある。学生さんが模擬授業を作るときによくあるのが、

今まで受けていた授業の活動(課題)をそのまま取り入れ、どうしてそれを行うのか全く考えていない

ということだ。だから、「どうしてそれが必要なの?」というツッコミを入れる。そうするとはっと気づいて、その活動の意味を問い直すようになる。

その活動が必要かどうかは

目標を達成するための活動(課題)かどうか

の1点に尽きる。

また、その活動が国語科の目標を達成するためかどうかは、

言葉に向き合う活動かどうか

の1点に尽きる。

まぁ、そんな簡単にいかないことも多いとは思うけれど、今まで収集した「国語科授業掛け違えあるある」を紹介していこうと思う。

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授業者本人も解らない目標を設定する

こんな用語は、指導案にあふれているだろう。

  • 自分の言葉で表現する
  • 豊かな表現を身に付ける
  • 論理的思考を身に付ける
  • 対話をする

学生さんがこれらの言葉を指導案に書いてきた場合、必ずツッコむ。そうすると、説明できない。

「自分の言葉」って、自分の言葉じゃない表現ってあるんですか?
他人からの借り物の言葉じゃないってことです。
じゃあ、あなたが発している言葉は、他人が作った言葉は一切入っていないんですね?
……

きちんと学習者に説明できない用語だったら、学習者だって分かるはずがなく、目標が曖昧になり、学習者は何に向かって学習していいか分からなくなる。授業者本人だって、曖昧だから、評価できないことになる。そもそも「これが自分の言葉かどうか」なんて、誰が判断できるんだろう?

授業者本人は、「誰かが作った答えをそのままいうのではなく、自分の頭で考えて、答えを出す」というつもりで「自分の言葉で」と設定しているのだろうが、それは、本人しか解らないし、本人さえも解らない。厳密に言えば、純粋な「自分の言葉」なんて、存在しないのかもしれない。

「論理的思考」と使っている時、何が「論理的思考」なのか、厳密に捉えていないのが多い。授業者は「自分は論理的に考えている」と思い込んでいるようだが、指導案をネットに転がっているものをコピペしただけの場合もあったりした。これって論理的?

ということで、国語の授業なんだから、言葉には細心の注意を払っていきたい。自分の使っている言葉に向き合うことから国語は始まるのでは?と思う。

テキストの周辺情報が主になる

対象のテキスト*1に向き合って、そのテキストから表現されている内容を探ることが主になるのは当然だと思うが、そのテキストを読み取らせる前に、その周辺情報を与えたり、調べさせたりさせる授業をしてしまう。

まず、作者の生い立ちや、作者の他の作品、使われている語の象徴的意味なんかを授業者が与え、作品内容を理解させようとする。これは、きっと今まで受けていた授業がそうだから、それが当たり前だと思って考えなしに周辺情報を与えようとしていると思われる。

例えば、俳句の学習であれば、

  • 句またがり
  • 切れ字
  • 句切れ
  • 季語

なんかの情報を、学習者がその作品に向き合う前に情報として与えようとする。さて、上記の情報は、その作品世界に触れる初期段階で、必要だろうか?しかし与えようとする。「周辺知識でも、知識なんだから与えておくのが当然だ」という授業文化にどっぷり漬かっている。しかし学習者は与えられた情報に引っ張られてテキストを読むようになってしまう。もし、引っ張られないのなら、そもそもそんな情報は必要ない。

また、自分の授業プランに迷わず沿ってもらうために、「都合のよい情報」を与えようという意図があるようにも見うけられた。

鰯雲」は、「不吉の象徴」だから、この句は、近い将来訪れる不吉なことを恐れている気持ちを表したものだ。

本当に「鰯雲」が使われたら「不吉」と捉えられるのだろうか?

俳句の学習に関していえば、17音というシバリのある表現に対して、作者が語に向き合って苦労して表現した作品そのものに読み手が向き合わず、作品外の情報からその作品世界を覗こうとすることは、「国語」なのだろうか?と言いたい。

中学校学習指導要領(2017年告示)解説 国語編には、以下のようにある。高校編でも同表現がある。

様々な事象の内容を 自然科学や社会科学等の視点から理解することを直接の学習目的としない国語科においては,言葉を通じた理解や表現及びそこで用いられる言葉そのものを学習対象としている。

これは、俳句のような文学作品だけではなく、評論文、随筆等でも言えることだ。テキストに表現されている対象世界を理解するのではなく、テキスト自体を理解することが、国語科の学習である。

要約するって何のため?

国語の授業では、テキストを要約させる課題が当たり前にあるのだが、これって何のためなんだろうか?

その文章を理解しているかどうか確かめるため

と答えると思うのだが、本当に要約できれば、解っているという証明になるのか?

文学作品の要約の意味は全く無いというのは、同意してくれる人も多いと思う。実際そんな課題を出す授業者もいないだろう。あらすじを書かせる課題はあるかもしれないが、あらすじが「正解(正解なんてあるのか?)」だからといって、その文章を理解できたといっていいのだろうか?文学作品なんて、「書いていないところ」を読み取れるかどうかにかかっているのだから、あらすじに「書いていないところ」を書いたら「不正解」になるのでは?

評論文を要約させる場合を考えてみる。

「要約」すると、一般的には本文よりも文章は短くなる。つまり、そのテキストの必要な部分と不必要な部分を選り分けて、必要な部分のみ設定された字数に合わせて書いていくということになる。「不必要」と判断されたものは、本当に不必要なのだろうか?著者は必要だと思って記述し、発表前には「不必要」と思っているものは、記述しない。

著述家は、他者に解らせようと思って、文章を書くのであって、解りにくく書こうとはしていないはずだ。よって、記述されているものは全て必要なのであって、その記述されたものの中から「不必要」を選び出すのは、至難の業なのでは?とも思う。不必要な箇所がどんどん出てくる文章って、それだけで悪文なのでは?悪文を教材にしないだろう?とも思う。

「要約」なんていう曖昧な活動名を付けずに、評論文であれば、「この文章の結論は何か?」で十分なのではないか?「要約」の定義も、やり方も示されないまま課題として提示しているのが現実だ。

「要約文」の課題は、文章を理解しているかどうか?を確かめるためではなく、「その文章を最後まで読んだかどうか?」の確認のためにさせているような気もしてきた。読書感想文と同じに。読書感想文も読書指導で必要無いと思うが。

(意味)段落分けって、どうしてするの?

上記「要約文」作成と同じように、何にも考えずに「段落分け」を課題とする授業も多い。

そもそも、著者が作っていない段落にわざわざ段落を分けさせる必要があるのだろうか?著者が小見出しを付けて、1行空けて「ここまでが意味段落の終わりですよ」と示していないんだったら、「ずーっと続けて読んでね」という意思表明だし、意味段落に分ける必要がないと思っているということが分かる。著者が「必要がない」と思っているものをわざわざ分ける必要があるのだろうか?

このブログは、小見出しを付けて、段落に分けている。それは、「こうした方が分かりやすいし、それぞれの段落が独立していますよ。」という意図の表れだ。段落分けしていない文章も、「分けない」という意図の表れなのだけれど、それを無理矢理分けることで、どんな学習効果を狙っているんだろう?

著者が「分けなくてもどこが段落の切れ目か分かるでしょ?」と思って発表しているとは考えにくい。「どこが段落の切れ目か当ててごらん?」とも考えているはずがない。段落に分けなくてもいいと思っているからだ。いや、分ける必要がないと思っているからだ。

そもそも、段落分けなんて、自由なものだ。見方によっては、分け方が大きく変わる。段落数だって、大きく変わる。何の視点も与えず、「段落分けしましょう」なんていう課題を出しても、学習者は困るだけだ。そもそも、授業者は自分で段落分けをしたことがあるのだろうか?得てして教科書の指導書に示されている段落を学習者に当てさせるのを課題にしている場合が多い。

結局この課題も、「最後まで読んだかどうか?」を確認するための課題なのだろうか?

【問題】
この「(意味)段落分けって、どうしてするの?」の文章を35の段落に分けなさい。

穴埋めクイズはやっていいのか?

国語科において空欄補充問題は、当たり前のように出されている(私もそういう問題を作成したことがあった)。しかし、言語表現において、特に、文学作品や日常会話において「そこには絶対この言葉しか入らない」、「そこには絶対この言葉は入れてはいけない」ということはあり得ない。

学生さんは、こんな課題を作ってくる。

(  )に入る適切な語を次の語群から選びなさい。

  1. 雨がふってきた(   )傘を差した。
  2. 雨がふってきた(   )傘を差さなかった。

【語群】 だから  しかし

機械的に入れるのであれば、1.には「だから」だろうし、2.には「しかし」なのだが、逆でも十分に表現として有り得る。1.に「しかし」を入れた場合、「誰かから傘を差すなと禁じられていた」と想像できるし、2.に「だから」を入れた場合、「絶望に打ちひしがれていて、どうにでもなれと思い、雨がふっていても関係ないと思っていた」と想像できる。

じゃあ、呼応の副詞はどうなるのか?若者が使っている「全然-肯定文」は間違いじゃないのか?と思う人もいると思うが、芥川龍之介羅生門」では、「全然-肯定文」が平気で使われている。これは当時当たり前のようにそう使われていたのか、芥川独特の使い方なのかは分からないが、日本全国のほとんどの高校1年生はその表現に触れている。

つまり、何がいいたのかというと、「絶対にこれじゃないとならない表現」というものはほとんどないということだ。

ということで、空欄補充なのだが、授業で、特に文学作品の空欄補充をさせる場合、「正解当て」ゲームになる可能性だってある。その部分の表現を考えさせることで、言葉に向き合わせようという意図があるのは承知できるのだが、そもそもその作品を知っていたら、課題の意味が全く無い。「学習者はきっと知らないだろう」と学習者を甘く見ているその思い込みも頂けない。学習者なめんなよ。「知っている人がいたら黙っていてね。」なんて言う。知っている人は全く学びがない課題である。茶番だ。


文学は芸術である。同じ芸術の美術の授業で、上記の図を示して、「ここには何が入りますか?」なんていう授業はとても違和感がある。作品や作者に対する冒涜じゃないだろうか?作品を鑑賞するときは、作品全体を観て味わいたい。

( A )い戦争
Aには何が入りますか?色です。

という問いを示すよりも、

「茶色い戦争」ってどういうことだろう?「赤い戦争」、「黄色い戦争」とどう違うんだろう?

という問いかけで十分な気がするが、空欄を示すことで学べることって何だろう?

言語表現に、文法的な唯一解は無い。特に、自由な表現活動においては。しかし、そういう授業を受けてきた学生さんは、雨と傘の例のように、凝り固まった考えで授業デザインを作ってしまう。そんな授業を受ける学習者は「あ、先生は、こんなことを答えてほしいんだな。」と思い、例外を排除した「答え」を出す。

そんな授業で深い学びができるのかな?

複数人数で1つの作品を作る

グループで1つの作品を作らざるをえないことは国語授業の中でしばしば行われる。しかし、文学作品(詩、俳句、短歌、群読脚本、物語等)をグループで作らせるのは、「無理がある」ということは頭に入れておいてほしい。

国語授業に限らず、グループ活動にする意味は、以下のものが挙げられる。

  1. (全員の意見を採り上げる)時間が無い
  2. 材料が足りない
  3. 話し合わせたい
  4. 意見を集約したい
  5. 役割分担して効率的に進めたい

授業ではいろんな制約があるので、それをクリアーするためにグループ活動を取り入れるのは、当たり前のことであるが、ことに「俳句を作る」というような文学作品創作時に「グループで1つを作ってね」とするのは、止めるべきである。

学生さんは、このような授業プランを持ってくる。「協働的学び」という文言に囚われすぎて、「話し合わせればいいんだろう」と単純に考えてしまうことが一因にある。

しかし、

文学は個人的なもの

である。文学は、その作品が読み手に「刺さる」かどうかが全てだ。多くの人、長い年月「刺さった」作品だったら「優れた作品」と言われるのだろうが、はっきり言えば、「たった一人に刺さる作品」であったら、その文学作品はいいものと言える。

「この作品はどうして自分のことを分かって描いているんだろう?」「この作品は、自分のいいたいことを言っている。」と読み手が思えば、それで十分なのだ。

そこで、俳句のような文学作品創作だって、「個人的なもの」でなければならない。徹底的に自分を見つめ、自分の内面を観察し、自分の内から湧いてくる言葉を紡ぐことで、作品が作られなければならない。

これをグループ活動でおこなった場合、それは本当にグループの作品なのだろうか?忖度、妥協、諦めが入る可能性は充分ありうるし、そんなものは文学作品でも何でもない。そして、完成しても、その作品に責任を持つものはいなくなる。

全員に俳句を発表させる時間が無いから。話し合いをさせたいから。ということで、安易にグループで創作させようとすることは止めた方がいい。ろくな作品は出来ない。

こんな授業プランを持って来た学生さんに「あなた、複数人数で俳句を作ったことある?」と訊くと、「ない。」と答える。自分がしたことがないことを、学習者にさせようとしている。頭だけで授業デザインを作るとこうなってしまう。

「全員の意見を採り上げる時間が無い」ということがネックだったら、ICTを使い、クラウド上で発表するとか、グループ内で句会を開くとか、やりようはある。

テスト中心の授業デザイン

「読むこと書くこと」中心の国語授業から、そのウエイトを減らし「話すこと聞くこと」のウエイトを増そうという文科省が方針が出た時期があった。確かにそれまでは(実は今でも)テキストを読んで、理解する。言語活動と言えば、作文中心だった。

だから、教員向け研修会では、音声言語表現活動を取り入れた授業デザインを提案した。暗唱、音読、群読、スピーチ、ディベート等を導入する。「書くこと」は、作文だけではなく、詩や単価の創作も取り入れる。

提案すると、取り組んだ先生方は楽しんでいることが分かる。しかし、必ず決まってこういう質問をする方がいる。

評価はどうすればいいんですか?

この方がおっしゃる評価とは、「ペーパーテスト」のことだ。ペーパーテストでどうやって評価すればいいのか?という意図だ。

「話すこと聞くこと」の評価はペーパーテストではほぼ不可能だ。だから、授業に取り入れるのは難しいという感想をもらす。

教育というのは、

目標→課題→評価

という構造が必要だ。目標がなければ、教育とはいえない。全ての教育活動には何かしら「目標」がある。それが表にバッチリ表示されている場合もあるし、授業者本人も気づいていない場合もある(のは問題だが)。

到達すべき目標があり、その手段として課題があり、その達成度を測る評価がある。一番重要視しなければならないのは「目標」である。目標が不適当なものだったら、どんな活動がすばらしいものでも、教育としては不成功になる。

しかし、「評価はどうすればいいのですか?」と考え、ペーパーテストでは評価が難しいから、教育目標に掲げないというのは本末転倒になる。

「評価(=ペーパーテスト)」至上主義に陥ると、ペーパーテストで点数に表れるものだけが教育だという錯覚に陥る。高等学校は大学に入学させる予備校的な機関だと思い込んでいる高校教師のなんと多いことか。

ペーパーテストで評価できる教育内容は、ほんの一部、ほんの一握りである。それを中心に据えた場合、育つ国語の見方・考え方は、微々たるものになる。

我々人間は感覚的に「良い話し方」「良い聞き方」「心を打つ作品」「共感する意見」「うっとりする世界を表現したもの」を判断するセンサーがある。「話すこと聞くこと」を評価するのであれば、話したこと、聞いたことをのものを評価すればいいだけだ。ペーパーテストで評価しようと思うこと自体が間違っている。

ペーパーテストで評価できないというのなら、それは評価方法が間違っているのであって、適切な評価方法を考えるのも教育研究の重要な分野だ。

今、わからせようとする

「高校国語授業あるある」を何点か挙げてみる。

教師が教壇で板書しながら、評論文の解説を延々して、たまに「答えてくれそうな」生徒に当てて、答えてもらう。

2020年代の今でも多くの教室でこんな授業が行われている。学習者が分かったかどうかは定期テストで判断する。学習者は板書された「答え」を暗記してテストに臨む。自分で理解したわけではない。先に述べた「様々な事象の内容を 自然科学や社会科学等の視点から理解することを直接の学習目的としない国語科」ということを授業者は全く分かっていない。

受験問題を解くための解法を教えて、その解法を徹底的に仕込んで、受験問題の正解を1つでも多くしようとする。

これも、学習者は「自分で読み取った」ことにはならない。

こんな国語授業を受けている学習者は、

解らない

ということが許されない授業を受けていることになる。解らないまま悶々とするということが許されない。「解らないから忘れる」という思考回路が教化される。忘れれば「解らない」こともなくなる。

内田樹は次のように述べている。

僕たちが使う重要な言葉は、それこそ「国家」でも、「愛」でも、「正義」でも、一義 的に定義することが不可能な言葉ばかりです。しかし、定義できるということと、その 言葉が使えるということはレベルの違う話です。一意的に定義されていないということと、その言葉がそれを使う人の知的な生産力を活性化したり、対話を円滑に進めたりすることとの間に直接的な関係はないんです。むしろ、多義的であればあるほど、僕たちは知的に高揚し、個人的な、個性的な、唯一無二の定義をそこに書き加えていこうとする。でも、それは言葉を宙吊りにしたまま使うということですよね。言葉であっても、観念であっても、身体感覚であっても、僕たちはそれを宙吊り状態のまま使用することができる。シンプルな解に落とし込まないで、「中腰」で維持してゆくことができる。その 「中腰」に耐える忍耐力こそ、大人にとっても子どもにとっても、知的成熟に必須のも のだと思います。
内田樹「言葉の生成について」 内田樹の研究室 2018/3/28)


なんでもすぐに「答え」が見つけられる世の中、「簡単に解る」ということがもてはやされる社会で、「中腰に耐える」力が弱くなっているのだと思う。耐えられないから諦める。思考放棄する。

しかし、世の中で直面する問題は、そんなに簡単に「正解」は見つけられない。身の回りの人間関係だって、マニュアル通りに簡単に行えば、却ってこじれてしまう可能性だってある。即座に対応すればいいものもあるし、時間をおいてじっくり見守っておけばいいものもある。対応策が「簡単に解る」ものではない。

国語の免許を取ろうとしている(国語の先生になろうとしている)学生さんは、「国語は、解法通りにぱきぱき当てはめていけば、点数がよかったので、楽しかったです。」という。だから国語の先生を目指すんだという。しかし、受験問題とは、そのようにしたら解ける問題が用意されているので、「誰かの思考回路に沿って考えれば正解に到達する」ものだ。

世の中にあるテキストは、そんな単純なものではない。また、世の中で直面する問題に「解法」はない。受験問題が解ければ、世の中を上手く渡っていけると錯覚させる授業は、受験対策以外に活きることはない。

*1:文中で使っている、「テキスト」という語は、言語で表現されているもの(作品、著述、会話、論述等全て)という意味で使っている。国語科の場合は主に日本語で表現されているものである。国語の「教科書」や「題材」的な意味やもあるし、「文字(列)」的な意味もあるし、国語科の題材であれば、文字ではない音声言語も含むし、「テクスト」的な意味も含む。つまり、「国語で扱う主となる教材学習材全般」という意味である。

キングダム 運命の炎


2023年 日本 イオンシネマ新潟西 鑑賞

前作は「キングダムⅡ」だったのに、「Ⅲ」じゃなくなった。
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「Ⅲ」を付けなかったのは、この作品からでも観てほしいと思ったからなのか?でも、この作品から観るのはかなりハードルが高い。お盆で家族が揃ったので、全員で観に行くことにした。長男がキングダムを全巻持っていて、ちょくちょく私は読んでいた。次男もだいたい読んでいた。カミさんは全く読んでいなかったので、Amazon Prime Videoで初回を自身のiPhoneで観、「Ⅱ」はみんなでNetflixでその日の午前中に観て、午後から「Ⅲ」を観に行った。この数日キングダム漬けだった。

NHK大河ドラマのような、豪華キャスト、(たぶん)海外ロケーションでかなり制作費が高いだろうと思われるのだが、見終わった感想は「いったい、どのくらいまで制作を続けられるんだろうか?」ということだ。現在発刊されている原作の本の初期の初期までしか映画化されていない。「Ⅱ」は昨年上映だったが、年に1回ペースで今後上映できないだろうし、配役も変更していかなければならないだろうし、かといって、「Ⅲ」の続きはストーリーでいえば「次の朝」なんだし。何でここで終わるの?という感じ。

昭和の他作シリーズ映画じゃあるまいし……。

とはいえ、戦闘シーンが迫力あり、上手く描かれていて、見応えがあった。でも、だんだん飽きてくる。もうちょっと戦闘シーンを圧縮して、軍師の戦略、個人と個人の戦いを見せてほしいなぁという感想を持った。

きっと「Ⅳ」も観ると思うけれど。

長澤まさみ、あれだけ?「Ⅱ」のエンドロール後の予告で出しときながら、「Ⅳ」の予告にしか出てこないの?そりゃあ詐欺だよ。

特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~

2023年京都アニメーション イオンシネマ新潟南視聴

新潟ではイオンシネマ新潟南でしかやっていない。ミニオンズカード得点で観られるのかと思いきや、一律1,500円だという。70分の映画で1,500円かぁ、とちょっとコスパが引っかかっていたのだが、響け!ユーフォニアムは、映画館で観るべきものだった。音が全く違う。音楽映画は家のしょぼいテレビで観てはいけないというのがよく分かった。腹に響くブラスの音が心地よかった。

響け!ユーフォニアムシリーズは、ずいぶん好きで、再放送から追って、dアニメストアを契約して再度観て、映画化されたものも追って、既に追いついていたので、最新映画も観に行った。そして2024年春から新たなシーズンが始まるというので、観に行くおっさんは俺だけでは?という懸念も振り払って、勇気を出して観に行った。そして、こういう映画は、あっという間に上映終了するということを身に染みて分かっているので、上映開始の次の週に観に行った。最近はイオンシネマ新潟南の常連と化している。

京アニは高校部活ものが大得意で、作るアニメは全て自分としては共感してしまう。高校時代、夏の暑い日、部活動頑張っていたし、高校教師時代も夏の暑い日、むやみに指導していた。自分の高校時代や、高校教師時代の部活動に関して、光や闇、酸いも甘いも、かなり知っているつもりだ。そんな微妙な感じや雰囲気を上手く絵がているのが京アニ高校部活動ものだと思っている。だからこんなに見入ってしまう。

自分は音楽をやっていたわけではないけれど、「コンテストなんて嫌い」という登場人物、「コンテストは必要か?」と思いながら、コンテストに打ち込む登場人物、そこら辺の矛盾と折り合いをつけながらもがいている登場人物に共感してしまう。

だから、最近、ステレオタイプ的に「部活動無用論」、「部活動顧問拒否運動」と、部活動なんて打ち込んだこともないし、顧問にもなったことがない人が息を荒くして言っているのだが、残念ながら、そういう人には、つらさや切なさや味わい深さや達成感や充実感や自己マネージメント力なんて、味わったり、育ったりしない。

自分がコントロールできそうなものしか体験しない人、経験しない人、接しない人は、きっとそれほど「複雑な」人間にはなれない。

ちょっと話は大きくなってしまったが、京アニ高校部活動ものはそういう葛藤を描いているから、面白いんだと思う。

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル

2023年USA イオンシネマ新潟南視聴

インディ・ジョーンズシリーズは、高校時代から、映画館で見ていたのだが、年老いたハリソンフォードがそのまま出るというからといって、観に行くつもりはなかった。しかし、ヒロインの吹き替えが坂本真綾ということという一点で観に行った。

字幕版の上映は新潟ではほぼ終わっていて、吹き替え版のみになっている時期、イオン新潟南は平日ながら人でごった返していたが、上映スクリーンは、年寄りばかり(もちろん、自分も含む)10名くらいが見ており、スクリーンの中でもほぼ年寄りが出演していた。

最近のMI6は見ていないのだが、トムクルーズぐらいの年齢だったら、まだアクションに切れはありそうだが、ハリソンフォードは、そうはいかない。ちょっと心配になるくらい。そりゃあ話題にもならず、上映館も少なくなるよな。しかもタイムスリップものになっちゃっているし。

ストーリーはともかく、坂本真綾の声を聴きにいった。それだけでも価値がある映画だとは思う。

終盤の「おはよう」という声が、とても低く、痺れてしまうほど艶があり、この声を聴くために、いろんな吹き替え映画を観に行きたいと思った。

ミニオンズイオンカード契約で、1本1,000円で映画が見られるのを初めて使った。年間30本が、10月から12本に少なくなるという。うーん、踊らされて契約されてしまった。でも、イオンシネマに年間12回も行かないか。

学生さんと対話の時間


学部2年生授業「教育実践基礎論」の前期の授業が終わった。その最後の時間は、学生さんたちとの対話の時間を設定した。私は今まで伝えたいことがあったら、スライドを作って、投影し、それをもとに話していたのだが、なんだか伝わらない気がしてきて、プレゼンをおもしろおかしく作っても、その時は注目してくれるけれど、単に流れていくような感触があった。だから、「対話しましょう」と半期、訴えかけてきた。

幸い、模擬授業づくりで、対話の時間を持つ班がほとんどで、学生さんたちと対話をして授業を創り上げて行くことができた。

最後の時間は、クジで学生さんを選び、1人ずつ5分間対話の時間を持った。学生さんが疑問に思っていること、分からないこと、質問、意見など私にぶつけてもらって、それをもとに対話を持つという時間だった。個人的にはとてもいい時間を持てたと思う。しかし、私が喋りすぎて対話にならなかったきらいがある。対話はなかなか難しい。

以下、文字起こししたものを掲載する。誤字脱字等はご容赦いただきますよう、お願いします。

教員の仕事ってたいへんですか?(Mさん)

[片]お願いします。なんか、なんかありますか?これの内容とか授業に関係してないことでもいいですよ。

[M]私姉がいるんですけど、姉が今年から教師を小学校教員始めたんですけど、私が実家に帰ったら毎回姉が愚痴言ってて、愚痴しかなくて、絶対 3 年以内に辞めたいとか言ってそれで。3 年目までくらいが本当にきついっていう話よく聞くんで、その新人の時ってどうやって乗り越えていくのがベストなのかな?っていうのが聞きたくて。

[片]大変だと思います。というのは、例えば授業づくりが全て 1 から全部自分で作るみたいな。なのでどう乗り越える?困ったね。困った質問ですね。乗り越えるか、スチャラカ教員になってればいいんじゃないかなと思います。あの、いろんなこと言われると思うし、新人はいろんなことさせられると思うし、またはパワハラまがいのものもあると思うんだけども、全部真に受けないっていう。

精神的なことね。精神的なことは全部真に受けちゃダメですよ。どうせ大したこと言ってないのに、力ずくでなんか言おうとしてるなって、そういう人にはね。そう思って受け流す。それから。なんか信用できる人っているわけですよ。

必ずこの人みたいになりたいなとか。その人とつながるっていう。そのことで 3 年間もやってれば。なんとか、なんとか授業作りもコツも覚えるし、前回やった授業、それを援用するっていうか修正してやるっていうのもできるだろうし。

あとは趣味を持つかな。趣味も学校以外のところでなんかやる趣味とかね。なんかスポーツとかやってるんですか?あれですか?趣味的なものはあるんですか?

[M]映画見たりするのは結構好きで

[片]今あれじゃないですか?私の時代ともう平成元年時代とは違ってネットで繋がれるじゃないですか?当時ネットってなかったんですよ。びっくりでしょう。パソコン通信っていうのがあってそれはいいんですけども。趣味でつながるってことはできるじゃないですか?

そこで、学校外で何か発散するとか表現するっていうところがあるといいのかなって思います。

[M]バイト先に結構教員の方々が、宴会とか。そういう時に若手の人たちが幹事任されたりとか、あとはなんかお酒注ぎに行ったり、いろいろ回しててすごい大変そうに見えて、学校ごとに雰囲気は全然違うんですけど、やっぱ大変そうだなと思って。

[片]どこですか?どこでバイトしているんですか?

[M]Yという洋食屋さんです。

[片]あの、私のゼミに入ると幹事させられます。初めての幹事。いろいろツッコミ入れながら、その席順は違うなとか、それでも、幹事が大変かっていうと、私ぐらいの歳になると幹事は楽しいって思えるようになるんですよ。

だって幹事っていろんな段取りつけて喜んでもらうことじゃないですか?だけど、若い人ってそれに気づけないっていうか、例えばお酌をするっていう文化がそこの学校にあるかどうかわかんないけども、コップにビールがないとか日本酒がないっていう時に、「ああの人ビールないな」って思ってお酌しに行くって、この絶妙なタイミングをして喜んでもらえるって。

俺としては嬉しいんですよね?でも幹事できない人って自分ばっかりガンガン飲んで他の人のコップが空いてるのって気づかない。つまり、視野がどのぐらいあるの?これはあれですよ。あの。教室内で、視野がどこまで行けてるのかと同じことなんですよ。自分で授業しながらもあの人なんかつまらなそうだな。とかあの人なんか寝てるなとか見えるようになるんですよね。だから学級担任は?サッカーのミッドフィルダーと同じだと思って、全部をこう全方位視野で見られるようになるといいので、幹事、今のうちからやったほうがいいですよ。

はい、そんな感じで 5 分ですが、ありがとうございました。拍手。

本当にさ、お酒が好きな人って注げないよね。本当に怒っているんですよ。いつも。

あれ?Sさん。かかったっけ?休みかあ、ごめん。休みだ。Kさんはかかった。これかかった?

卒論のテーマって、いつから決めるんですか?(Uさん)

[片]その冊子からでもいいですし。他でもいいですし、何でもいいですよ。よろしくお願いします。

[U]聞きたいこと 2 つあって一つ目はこの卒論の話なんですけど。どの時期から卒論のテーマって決め始めるのかなと思って。

[片]ゼミによるんですよ。うちのゼミはもう(ゼミに)入ってから。12 月ぐらいから?いつから入るんだっけ?12 月には決まってると思うんですよね。だからそこから研究というものはこういうもんだよっていうのをちょっと、1週 、2週目ぐらいやって3週目ぐらいから、じゃあ「ちょっと自分の興味があるテーマを出してみて。それについていろいろディスカッションしようよ」っていう形で 12 月ぐらいからやりました。でも、(他のゼミの人から)「もうそんなやってんの?」って言われたとか言って。だからゼミによってはまだ決めてない。

今の時期でね。決めてないところもあるのかもしれませんが、あ、でもね。3 年生の 4 月ぐらいからはやらないと、ちょっと間に合わないかもね。

いや、ゼミによるのでゼミのアドバイザーの指導によります。私のところ入ったら 12 月からやります。

[U]もう 1 個が。今年から今年からかわかんないですけど、3 年生から教採が受けれるようになったりとか、教採の時期が早まるような噂を結構聞くんですけど、そのそれこそ卒論だったりとか教採であったりとかのこのこれからのビジョンが全然見えなくって、どういう風に計画していけばいいかなと思うんですけど。

[片]自治体によるわけですよね。3 年生から受けられるというのはね。だから 3 年生から受けられるんであれば。みんな 2 年生、来年の今頃。頑張って勉強するわけですよね。受かりゃいいけどね。受からなかったら……。

4 年生も来年の今頃から勉強しなきゃいけないっていう、ちょっと大変ですね。それこそ卒論してる時間ないなと思ってそうですよね。4 年生のあの夏ってか?6 月 7 月ぐらいから受けるっていうのだと。

(卒論の)中断期間を私のゼミはつけていて、教育実習が 5 月で終わる?で、その後、採用試験に専念してね。ってことだから、教育実習期間からずっと中断期間ですね。4 年生ね。

卒論に関して卒業研究に関しては、「自分でやってねー」とは言ってるけれども、その卒論に関するゼミはずっとない。だから、ゴールデンウィークぐらいからだから 4 ヶ月中断。で、残りの 9、10、11、12。4 ヶ月で執筆しなきゃいけないって結構大変ですよ。だって、今中断してる 4 年生は一応先行研究とか調べてなんとなくビジョンはあるんだけども、調査に行ってないんですよね?

調査ができてないので、調査は教員採用試験が終わって、9 月ぐらいからやらなきゃいけない。調査どんくらいやれるのかと。授業実践やるんだったら、まあ 1 ヶ月ぐらいとかそれの準備に充てて、じゃあその後執筆しなきゃいけない。

執筆もスラスラ書けりゃいいかもしれないけども、なかなか書けば書くほど粗が見えてくる。自分でね。これが足りない。これがちゃんと繋がってないといろいろ見えてくるので、3 ヶ月で書き上げなければいけない。結構厳しいですね。

そうですね。それが 3 年生の時も。採用試験があるとか。受かればいいんだけど、受かれば 4 年生まるまる何もしなくていいわけですよね。教員不足で教育委員会はそんなこと、させてるけども、それが本当にいいのかどうかわかんないけどね。

[U]6 月に早まるっていうのも何でかなと思って。それこそ 4 年生だったら実習終わってすぐじゃないですか。それがえーっと思ってたもんね。

[片]そうですよね。採用試験勉強全然できないですもんね。結局は人手不足で先に確保したいっていう風に思ってるだけであって、大学生たちにとっていいことなのか。

でもみんなが。同じ条件、ちゃあ条件だからしょうがない。しょうがないというか対応していくしかないですかね。はい、5 分経ちました。ありがとうございました。

いろんないろんな話題が出て面白い。

国語が考えなくてもできるので、授業デザインはどうやって作れば?(Mさん)

[M]お願いします。国語の免許を取ろうと思ってるんですけど。国語は、何だろう?結構おもろい、楽しいっていうよりは割とできちゃう教科だったので、あんまり。国語面白いって思わせられる想像がついてないんですけど、片桐先生が国語の先生になろうと思った理由とかここがおもろいって思うとことかってありますか?

[片]やっぱり私も国語ができたので、国語の先生になりたいと思って。一番のきっかけは古典を読んでると楽しいな。音読してるとだから、古典はずっと音読ばっかりしてました。で、音読してると、なんか点数取れるし音読してるとその言葉が自分の中に入ってきてなんか自分の、言語活動を豊かにしてるなって感覚があったから。

だから授業では音読ばっかりさせてました。音読、あと、暗唱させて暗唱テストとかね、はい。生徒はめんどくさいなとか思ってたかもしれないけども、でも暗唱できるとなんか生徒、楽しそうなんですよね。

だから何が面白いのかっていうのを?自分で分析して「これを伝えたい 」っていう授業を作っていけばいいのかな?それでも教員やってると、「国語ってこういうことだったのか?」っていうのがどんどんわかってくるので、それも学ばせたいとか思ったり。

例えば文学作品と中学で言えば説明文とか高校で言えば評論文とかあるじゃないですか?小論文っていうのは、社会的な言語とか言語じゃない?表現。文学作品ってのは個人的なものだっていうのもやってて分かってきて。

例えば文学作品でよくあるあるの問題。「この作者の気持ちはどうの?」とかいう、本当に今そういう風な問いを出してる人がいるのかどうかわかんないけど、もはや作者の気持ちなんかわからないんだよ。

わかるわけねーじゃん。っていうツッコミを入れられるかどうかなんですよね?個人的なものなんだから、それを読んで自分はどう感じたのかっていうのを文学作品は学んでいくっていうか感じることを表出していく。

とかね。そういうそういうのがだんだんわかってくると、じゃあこういう風な視点で授業を仕組んでいこうとかなる。でも今まで通りのはありきたりの。例えば古典は文法やってほんでもってそれを覚えさせるものだ、なんてやってたらそれはね。

自分は楽しいかもしれない。私も助動詞とか覚えるのと好きだったから。でもそれは楽しいかもしれないけど、授業やる意味があまりなかったり、とか、こう自分の楽しいとか面白いっていうのを客観視してなんでかな?って思っていくのがいいのかなぁ。

なんて思うんですが。どんな感じ?俺ばっかりしゃべっちゃうね。ダメだね。対話にならないね。はい、どうですかね?

[M]漢文はなんかパズルみたいな感じがして、結構楽しいなと思ってたんですけど。現代文かー、てなっちゃうと。

現代文かー、てなっちゃって、それもなんか。まあ実質あまり楽しくない。パズルみたいな気がしちゃってて。一応できた方だったので、

[片]国語は現代文の解法とかなんかいろいろ習ってやったりしたでしょ?面白くないよね。

[M]漢文の方がもっとパキパキパズルっぽくて組み合わせっぽくて。楽しいんですけど。なんか難しくて、現代文って。という感じです。

[片]その内容、書かれている内容をわかるっていう風な形の授業が多いんだけども、国語はそれは求めてないので、その書かれている内容を理解しなくてもいいっていうのは学習指導要領解説にちゃんと書いてあるので読んどいてね。

内容とか関係ないんですよ。表現方法とかどういう見方考え方でそれを表現してるかっていうのが国語を学ぶものなので、多分いろいろ読んだりすると奥深いなって国語もね。思うんじゃないかなと思います。

はい、時間です。ありがとうございました。

[M]ありがとうございました。

小学校の授業って毎回毎回こんな時間かけて考えられないですよね?(Sさん)

[片]お願いします。

[S]お願いします。あの、授業づくりについての質問なんですけど、今回 30 分の授業を作るにあたって十数倍の授業時間に対して十数倍の時間をかけて作ったんです。

みんな作ったと思うんですけど、実際に教員になった時、私小学校の先生を目指してるんですけど、小学校の授業って毎回違うの考えなきゃいけないし、毎日 6 時間とか新しい授業を作っていかなきゃいけなくて、一つの授業にそれだけの時間を割いていたら時間有限なので足りないと思うんですけど。

あの、今のその小学校の教員の方たちは、その一つの授業に対してどれだけの時間とか労力とかかけているのかなっていうのが気になりました。こだわろうと思ったらいっぱいこだわれると思うんですけど、それも時間が関係してくるので、どこまでこだわっているのかというその ラインを知りたいなと思いました。

[片]先ほども言ったように、新人はもうゼロから 1 から作るので、かなり大変だろうなとは思うんです。

ベテラン、これも全然参考にならないかもしれないけども。私も本当に 30 年ぐらい高校教員やってきて、この単元どうするかなって、思ったりするんです。初めてやる文章。どうしようかな?明日授業なんだけどもなーって頭悩ましながら寝てると降ってくるっていう感覚があって、この評論文、これ視点でやればいいなっていう風な感覚になるんです。

まあそれは究極なので、授業準備は実際にこうやってカリカカリカリやらなくて、頭の中でいつの間にか自分で作ってるんだろうなとは思うんですけども、その間は何だろうな。パターン化できるかどうかが問題なのかな?

それは授業のその課題でもあるだろうし。学習者が学ぶシステムだったりするんだろうし。例えば、どこだったかな?例えばホワイトボードに書かせて前に出させるっていう。これも一つの授業のスタイルなんだけども、そのパターンがわかるとすべての授業に応用できたりするわけですよ。

グループで一つの考えを考え出して、それを出してそのホワイトボードに書かれてある内容を比較する。これ一つあるだけでいろんな教科で応用できるし、それを軸に自分の授業スタイルってのはこういうものなんだっていうのが作れると、それ軸に課題も作れていく。

ので、本当にいろいろやって自分のスタイルを作っていくと楽になるよって。例えば、私の国語の最後の方の授業は生徒に疑問点をガーッと書かせてそれを出させて、それをみんなが課題を解決するっていう授業をずっとしてたんですね。

それやると楽ですよ。自分は教材研究しなくていいんですもん。

なんかそういうパターンはどうやって学べるのか?というのは、ここ(大学)でも学べるだろうし、またはいろんな授業の研修会なんかもあるだろうし、そこでいろんなパターン、軸っていうのを学んでいくといいのかな?

[S]でもお話聞いてパターンを見つけたら、それを応用していけば少しは楽になる。それを見つけるまでがちょっと大変というか。でも今回の授業でいろんなパターン、あったじゃないですか。それも参考にできるし。

[片]まず最悪なのが、最悪ってか、ただ教科書の内容を伝えて覚えさせる。で、つまんないから、つまんないな。教師がつまんないなと思うとだんだん病んでいくので。いろんなことをやって試してみるといいのかもしれません。ありがとうございます。

[S]ありがとうございます。

教員の仕事って飽きませんか?(Nさん)

[片]まだまだ時間がありますね。Nさん。

お願いします。

[N]お願いします。いろいろ考えてきたんですけど。まず最初聞いておきたいなって思ったのは何で先生は大学の先生になろうかなって思ったんですよ。

[片]あんまり言えないことばっかりなんで。あの、飲んだ時に。そうですね。表向きはこれから教員になる人を育てたいって思ってたんですけども、裏は、いられなくなったっていう。いられなくなったっていうのは別に不祥事を起こしたってわけじゃなくて。

このまま私、この仕事してっても。ストレス溜まるだけだなって思って。いつか飲む機会があったら、その時に 30 分くらいかかりますよ。管理職の悪口とかずっと言い出しますからね。

[N]いや、なんか今聞いてみて、ちょっと共感したのが僕、結構一つのことをすごく長く続けていくのが苦手なタイプだなって、経験則で思っててって。というのもこう、何か一つのことをやり始めて、それがある程度ルーティーン化されて、あんまり考えなくてもできるようになっていくと飽きちゃうんですよ。気が狂っちゃうっていうか、なんか単純作業のバイトとか絶対できないんですよ。

1 ヶ月ぐらいで飽きちゃうんじゃないかなと思って。逆にこう。毎回こうちゃんと考えて自分で行動選択をしてやらなきゃいけなかったりとか、型は決まってるけど、その中に自由度があって、今日はこんな感じでやりたいなみたいなのが自由にできる環境だと長く続くんじゃないかなってのは最近わかってきて。

今、大学の始め、1 年の 5 月から続けてる、バイト、今まで 14 ヶ月。今まで続いてるのは多分そういう自由度がすごくあって環境はいいからじゃないかなと思うんですけど、今スターバックスで働いてて、コーヒーがすごい好きで、接客も学びたいなっていうのでやってて。あそこの直江津のところでなんですけど。

[片]ちょいちょい行くので、探してみよう。

[N]月、木土にいます。あの、なんか今までそうやってあんまり長く続いたことなくて。このバイトが初めて、こんなに長く続いてるんですね。

それでそのやっぱ自由度がある方がいいんじゃないかなっていう風なのを思ったんですよ。正直言うと、僕、教員は何か続かないんじゃないかなって思ってる節があって、実際にやってみて、すごく楽しくなって続けてくっていうのがあるんですけど、なんか、どっかでルーティン化、勝手にされすぎちゃってなんか?面白くなくなったり飽きちゃう時あるのかなって思って。なんかそういうご経験ありますか?(教職が)ルーティン化されすぎてあんまり考えなくなっちゃったとかってのありますか?

[片]毎年毎年生徒が違ってるので。これ、同じようにやっとけばいいな、とはならなかったし、毎年毎年本当に質が変わって、質っていうか何だろうな。前まではこんな風に言えば伝わったのに、これが伝わらなくなったっていう風なのは感じるし。

毎回イライラして、毎回嬉しかったり、泣かされたりとかあるから。学習者とか生徒が変わるから全然そんなことは感じなかったかな?この授業も、この大学来て何年目かな?4〜5 年やってるんですが、毎回毎回違って毎回毎回イライラして、毎回毎回感動したりとかしてるので面白いなあとか思いますよ。特に何でそうなったのかっていうと、みんなに任せてやるからいろんなものが出てきて、それが面白いんだろうなとか思うので。児童生徒にやらせると多分飽きないと思いますよ。

[N]わかりました。

まあ、でもなんか。多分いろんなことに面白さを見つけたりとかは得意な方だと思うんで、なんかそれは多分。実際にやってみてわかる?面白さはすごいたくさんあるんだろうなって思ってます。なんか今、先生、その学習者に任せてっていう風におっしゃってたんですけど、なんか僕は結構、何て言うんだろう?人に頼れずに自分で溜めちゃいがちなことがあるんですね。それはずっと前からわかってたんで、意識して人を信頼して。助けを求めたりとか手伝ってって言えるように意識はしてるんですけど、なんか、ここぞって時に信頼できない人がいないわけじゃなくて、たくさんいるんですけど、こんなに頼んでいいのかなとか。

なんか自分で頑張ればいっかって結局なって溜め込んじゃうところがあって、なんか人をこう信頼して何かを頼んだり、助けてもらったり協力してもらうって難しいなって考えてるんですけど。

[片]難しいと思います。教員になると自分でやった方が楽なんだけども、それを児童生徒に任せるっていうのも教育なので、児童生徒の方が児童生徒の互いのことはよく知ってるのでよく任せてました。ちょっと彼女、ちょっと不安だから、ちょっと見てて、とか、私なんか見てても気づかないことを児童生徒たちは分かってるので。

時間です。ありがとうございました。

[N]ありがとうございました。

卒論のテーマと進路相談(Yさん)

[片]Yさん、Yさん。

[Y]お願いします。卒業論文の冊子読ませていただいたんですけど、具体的に先生が大学生の時はどのようなテーマで卒業論文を書かれましたか?

[片]私の大学生(の時の卒論のテーマは)伊勢物語です。伊勢物語で、あれも文献研究なので、調査とか全くしないで、文献のやつ、伊勢物語とそれの研究所を読んで。

結局今も昔も「好き」だとか「嫌い」とか「別れる」とか、同じだなっていう。その程度の結論だったので、今回国語の(模擬)授業でやった、その「恋愛観」みたいなもんですね。はい。

[Y]物語は興味もともと興味があったから伊勢物語で決められましたか?

[片]伊勢物語の主人公って在原業平と言われている。昔男じゃないですか?プレイボーイです。あの、その人に憧れたんですね。自分もそんな風になったらいいな。なれたらいいなとか思って。あれはあの業平のすごい所っていうのは語るとまた長いですけども、光源氏は物語の中だけでも、在原業平は実際にいて、そんでもって、在原業平って、もう上は 99 歳から、下は 17 歳からの女性を相手にしてるんですよ。すげーなって思って。惹かれちゃった。高校時代に本当にその物語の主人公がいいな。その人いいなと思ったから。

[Y]ありがとうございます。

[片]そんな感じでテーマ見つけて全然構わないと思いますよ。

[Y]ありがとうございます。

[片]あ、終わらせようとしてる?何か興味あることあるんですか?

[Y]全く違う話になるんですけど、中学生とか高校生の進路相談とかあったと思うんですけど、進路面談とかあったと思うんですけど、その時に気をつけていたことはありますか?

[片]教員である私が生徒が進路相談を受ける時に気をつけていたこと?何だろう?たくさん喋らせるって事かな?しゃべらせる。しゃべってもらう。進路相談なんて、悩み相談なので。しゃべってもらうように心がけていたし、保護者面談もそうなんだけども。

保護者、喋りたいんですよ。だから喋ってもらう。小学校は何ですかね?そういう進路相談とか?(保護者の時)呼ばれたことないな。学級懇談会とかあったかもしれない。まあ、とにかく保護者に喋らせて、ほんでもって、(私が)若い時は、その子の悪い所とか気をつけてほしいことをこう言ってたけども。それじゃあダメだなって思って。そんなことを重々保護者は知ってるので。こんないい面がありましたよ。と、こんな活動をしていたんですよ。っていう風に水を向けて喋ってもらう。だから、一度生徒への、その進路相談。

もうなんか、水を向けて、水を向け、あの、こんなことあったよね。とかどうとか言って喋ってもらうっていうことを気をつけていた気がします。こんな感じで。

なんか興味のあることあります?水を向けて。あと 45 秒ぐらいあります。

[Y]興味あることは今あんまりなくて。なので大学生のうちに何か探そうかなと思ってます。

[片]終わらせたいですか?そうですか。アニメとか見ません?アニメの話しか、皆さんと共通話題がないんで、こんなこと向けてるんだけど。

[Y]アニメとか漫画が、あんまり興味がない。

[片]なるほどあ、そういう若者もいるんだなって、若者の基準が自分の息子だからね。はい、わかりました。ありがとうございました。

勉強しない子にどんな指導をすればいいのでしょう?(Nさん)

[片]次Nさん。お願いします。何かありますか?

[N]塾のバイトで個別で一対一なんですけど、なんか授業学校の授業でもやってるはずなのに、もう全然わかんない。みたいな子が結構いて、私が授業をしてもその 1 時間の授業で結局教えきれないっていうか理解させることができないから、ちょっと学校の勉強に支障が出ないようにぐらいのプリントで復習してきてねって言うんですけど。

もう 1 回、1 週間後に授業であった時に全然覚えてないみたいな感じで。なんか家庭学習のその週間のやる気っていうか、それを出してあげられないからどうすればいいのかな?みたいな。学習塾ですけど、将来教員になった時もそれは言えるのかなって。

[片]そんなことがわかったらね。うちの息子もね。ちゃんと、ちゃんと勉強してたと思うんですけど。結局必要感を持ったかどうかなので。

本人は必要じゃないと思ってるんだよね。勉強することが。

[N]めんどくさくて、ゲーム先やっちゃったとか言って。でも人をその勉強がやだなっていう気持ちは自分もわかるから怒れないし。

[片]小学生?中学生?

[N]中学生です。なんか受験対策的な。内容?中3 と中2 なんですけど、やってくれる子はすごいやってきてくれるんですけど、その差を感じちゃって。

[片]だって、受験勉強しなくても高校入れるんだもん。じゃあいいじゃん?しなくて。ダメですかね?ダメなのか?例えば、うちの息子は高校受験の時に 11 月 10 月ぐらいからガーッと勉強しだしたんですよ。塾に行って。

なんでかなーと思ったら。なんか仲間と一緒にそこの高校行きたいって思っただけであって、その勉強が楽しいからじゃないんですよね。そういう必要感があればやるし、なければやらないって。

それだけの受験勉強なんてその程度のものなんですよ。それと、例えば皆さんが小学校の先生になった、中学校の先生になった、高校の先生なったで勉強させるのって多分違うんですよね。

その学ぶ世界が面白いと思わせれば勉強するんだろう。そうでもなければ、別に受験勉強しなければ勉強しないんだろうな。家庭学習しないんだろうなって思う。必要感を持たせられるかどうかで、その子は塾に通わせられて勉強する時間を確保させられているんだと思うんですよ。

親か誰かから。でも、本人は、必要ないんだからしなくて当然じゃないです?そこで夢を語ってやらせるとか。いろんな手はあるけれども。みんなに適合することじゃないし、勉強頑張ったらN先生に褒めてもらえるなっていう。

それだけで勉強する人もいるだろうし。いや、そんな褒めてもらうのが必要ないと思う人もいるじゃない。人それぞれなので。それしか言えないです。

[N]やりました。私もそういう考えなんですけれど、塾長がうるさいなみたいな。

[片]ですよね。塾ねー。

[N]ありがとうございます。

[片]まだ 30 秒あるので。

[N]全然話変わっちゃうんですけど、人に怒るのが苦手で。あの、なんか児童とか生徒が本当にやっちゃいけないことをした時とかに。強く注意するっていうのができないんですけど、そういうところは?

[片]できなくてもなんか寄り添う感じで話聞くのでも全然大丈夫なんですか?もう強くというか大きな声で言わなきゃいけない時は、瞬時に言わなきゃいけない時は、命に関わる時だけです。その時は即座に止めさせて、でもう腕を掴んでも止めないと死んじゃうっていう時、または怪我しちゃうって時はやめさせなければいけないけども、それ以外は語ればいいんじゃないですかね。

聞く耳をまず持たせるっていうのも必要ですけど、別にね。怒ったからって。反発するだけじゃないですか?人それぞれですけど。時間です。ありがとうございました。

卒論のデータ収集、アンケートなんかでもいいのですか?(Oさん)

Oさん。

[O]お願いします。2 つ気になる気になってたことがあって、まず 1 つ目が卒論のいろいろでデータを集めるみたいなことが書かれてあったと思うんですけど、その去年、今の時期とかもいろんな 4 年生さんとかが卒論のデータ集めるために、授業、 2 年の必修の授業の時になんかアンケート用紙を配ったりしてデータ集めたり。

あと、2 年の LINE の学年グループに、このアンケートを答えてください。みたいないろんな集め方してると思うんですけど、あれってちゃんとした?その?偏りがない、人からデータが集められてるのかな?ってすごく気になってて。

[片]集められてないと思います。

教育研究でアンケートじゃないとできない調査もあるのだけれども、アンケート調査なんて本当にね。ごまかしですよ。ごまかし。ごまかしで、例えばうちの大学生内、または学部は 2 年生内だけでやったとしても、それは汎用性がなくて、うちの大学の 2 年生はこうだよ。っていうものを明らかにしたいんだったらいいかもしれないけども。だから大学生はこうだよ。なんていう風な汎用性、全くありません。

[O]気になってたので。あともう一つがその、小学校でも中学校でも高校でも研究授業ってあるじゃないですか?

今ふっと思い出したのが中学 3 年の時に研究授業があって社会の授業だったんですけど、1 週間前ぐらいからこの日の。この社会は研究授業でいろんな人が見に行きますって言われて。

生徒側もちょっと緊張するじゃないですか?で、実際の授業が普段やってた授業と全然違くてなんか?もう私たちが準備した模擬授業みたいに、先生めっちゃ時間かけて準備してたんだな、みたいな。今まではただ教科書読んで黒板にツラツラ書いて聞くみたいな授業だったのに、なんかワークシート使って班活動して、発表し合って、もう。これをその研究授業を見る人が見て、いつもと違うのに何を研究するんだろう?みたいにすごく気になりました。

[片]体裁を整えてるんでしょうね。でも、その授業がその研究授業でその授業がいいんだと、その先生が思ってるんだったら、いつもやらなきゃダメだよね。先生、なんだ。これ、いつもやらないんですか?って聞いたりして。そうしないと中学生だから、そんなこと聞けないかもしれないけども、そうしないと。自分の授業だからね。そっちの、そのワークシートを使って、グループの方が楽しかったり学んだりしたんでしょ?

じゃあ、もう中学には戻れないので、自分の授業ではそういう風にするとか、研究授業、何年? 5 年前ぐらいの話ですか?6 年前?中3?5 年前ぐらいですかね?まだまだそうだったんだろうね。

研究授業だ、特別だみたいな。なんか晴れ舞台だ、みたいないうのが徐々に変わっては来てはいるし。でも変わんねえのかな?結局指導主事とかに見せる授業でも指導主事も、それがいい授業だというふうに思って、じゃあ実際にやっていたのかっていうと多分違うんじゃないかなと思ったりしてね。

[O]研究(授業)って何のためにやってるのかなって思って。

[片]体裁を整える授業?。

[O]はい。

[片]いや、研究だからその人の研究になったんじゃないですか?これやるとなんかみんなが生き生きと活動するなってわかったりして、じゃあその後また変わらなかったんですか?

[O]はい。

[片]あ、変わんなかったんですか。じゃあその研究にならなかったってことですね。だから研究のためにやればいいので、チャレンジングなことすりゃいいんですよね。チャレンジングなことをして、バッシングされてもどこが良かったのか、悪かったのかっていうふうなことを
考えて、良かったところをそのまま継続すればいいので、もし先生になって研究授業やって、もし、バッシング、そんな授業じゃないとか言われたらいやここの部分は良かったから、これ研究の成果です。みたいな言っちゃえばいいんだよ。

[O]ありがとうございます。

[片]時間ですね。はい、ありがとうございました。

授業中、臨機応変に対応できません。(Yさん)

[片]Yさん。時間的に全員に回らないかもしれませんね。緊張して待ってる人申し訳ないですね。ちゃんと クジなんで。お願いします。

[Y]模擬授業とかやって思ったんですけど。日常生活とかでもそうなんですけど、決められたことをやるのはできるんですけど、アドリブみたいのができなくて、例えば模擬授業だったら。生徒に答えさせて、それに対しての評価とかそういう時に何言えばいいかな。

台本がないから、その生徒の答えによって変わるじゃないですか。だからそうなると何言えばいいかわかんなかったりとか。たりするのが悩みです。

[片]大変でしたか?大変でしたか?でしょうね。普段そういう風なツッコミとかアドリブとかしていると楽なんですけど。

だからといって授業なので、何でもかんでもアドリブでやっていいのか?受ければいいのか?って。そういうわけじゃなくて。これも話したかもしれませんが、評価基準があって評価基準。評価基準でその回答がどうだったのかって返事をするっていうのが基本だと思います。

そうですね。T高校で授業やって、 3 年生が授業やってきたんですけども、その子もすごく悩んでいました。で、国語の授業で俳句なんだけども。「鰯雲」っていう俳句があって、「鰯雲」っていう言葉があるけれども、課題を出したのは、例えば「空を見ました。でも鰯雲だけ目に入るわけじゃないよね。で、他に見えたにも関わらず、景色の中に他にも何かあったにもかかわらず、どうして「鰯雲」を選んだんだろう?と思う」っていうのが主になる課題で。

じゃあ鰯雲の他に何が見えたと思うっていうのを導入としてやった。そしたら「天国」とか書いてある人がいて。「天国」ってことまで書いたりして。いや、違うでしょって、後からね。

出すのは「目に見えてたものと、他にどんなものが見えたと思う?」っていう。その評価基準を自分でポーンと忘れちゃって「天国」って言われて、そのまま天国ね。「あんた、天国見えるんだね?」っていうツッコミが入れられなかった。

でも評価基準をしっかり持ってると返答、回答に対するツッコミとか評価ができる。もしなかなか思いつかなかったら。しゃべったことをそのまま、「なんとかなんとかなんとか」だね。ってオウム返しにするだけでも発言したことを受け入れてくれたんだなっていうふうに学習者を思うことが多いので、とりあえずそこからやってみるといいかもしれない。

普段はどう?会話とか?どうですか?ツッコんだりしてます?

[Y]もともとコミュニケーション取るのが多分結構下手なので、なんかペアワークとかで知らない人とペアになってその決められたことをしゃべるのできるんですけど、その余った時間とかで全然話ができなかったり。

あと、バイトの時とかもお客さんにその、全然違う話をされた時も何にも言えなかったり。

[片]バイト何やっているんですか?

[Y]Kっていう焼き肉屋です。

[片]あ、そこ。焼肉、まだ行ったことないや。そうか、そういうとこ、そういう時に何でも関係ないことを話しかけられるのってやっぱり嫌ですか?

[Y]嫌でもないんですけど、結構他の先輩方も全然どっから来たんですか?とか、どこからですね。みたいなそういう話もするので、そういうのはコミュニケーション能力上げるためにもしたいんですけど、実際に自分がしゃべった時にお客さんから何か言われたら、言われた時になんかうまく返さないと。「そうなんですね。」とか、「すごいですね。」とかしか言えないという。

[片]せっかくいい環境があるんだから。頑張って返したり、「アニメ好きですか?」とか。言わないか、焼肉屋で。Kって中国か?韓国か。キンパ売っています?

[Y]キンパ売ってます。

[片]最近キンパにはまってましてね。はい、もう手に入れられるキンパはだいたい手に入れたよ。食いまくってるんですよね。行きます。はい、じゃあそんな感じではい。ありがとうございました。

趣味がないんです。(Sさん)

[片]Sさん。お願いします。

[S]さっき趣味の話、出てたと思うんですけど。なんか趣味がなくて、で、教員になってからとかも息抜きのために趣味とかあった方がいいなと思うんですけど、なんかおすすめとかありますか?

[片]フットサルとかいいんじゃないですか?

[S]なんか一応ソフトテニス、ずっとやってて、そういう運動系は結構まああるんですけど、なんか運動以外って

[片]運動以外で……。サウナに行くの?自分の自分の趣味を押し付けてるんです。

[S]温泉が、温泉があまり……

[片]温泉がないサウナもあるんですけど。スポーツ系じゃない趣味?スポーツ系じゃない?自分がやらないスポーツ自分がスポーツやらないっていうのは、週末にスタジアムに行こうとじゃないですかね。Jリーグの?地元どこですか?

[S]地元は長野。

[片]長野 2 つもあるじゃないですか?アルウィンスタジアムとか、長野のやつ、松本対長野なんて、すごい盛り上がるわけですよ。1 回行ってみるといいんじゃないですか?全然興味ないですか?サッカー。

[S]テレビで普通にやってたら見るけどみたいな感じですね。そんなそこまで……。

[片]ちょっと簡単ですよ。手使っちゃいけないぐらいしかルールないので。J 3 に行っちゃった。アルビが新潟が J 1 になったから長野のスタジアム行けなくなっちゃったんだけども、いや 1 回絶対行くべきですよ。

地元の、その松本対長野の試合は度肝抜かれますよ。そういう点で血が、血沸き肉躍る感じとか好きですか?そうでもない。

[S]あ、でも、ずっとスポーツやってたから全然戦うのは……。

[片](テニスは)個人プレーなので、なんかね。集まっても多くて 4 人じゃないですか?ダブルスで。フットサルだと 10 人ぐらい集まるから 10 人知り合いが。もういっぱい周りで応援してるので、だから学校外でいろんな人と付き合う。っていうのは大切、大切っていうか、気晴らしになるんじゃないかなあと、なんかないですか?引っかかりそうな今ちょっと気になる。趣味みたいな。

[S]普通に音楽聞くの好きなんですけど、なんかそれって多分みんな好きじゃないですか?すっごいハマってるわけじゃなくて、

[片]あのハマるといいんじゃないですか?そこまでじゃない?

[S]普通に暇な時に聞くくらいなんですよ。ただ流してずっとかけっぱなしみたいな。だからハマってるわけじゃなくてなんかもっと趣味なんですか?って聞かれたらちゃんと答えられるような趣味が欲しくて。今探してるんですけど。

[片]サウナが野尻湖畔にあるThe Saunaってあるんですよ。ちょっとね。今3,000円でね、2 時間でね。高いですけどもあそこはちょっとぼーっとするにはいいし、多分あなたが隣の人に話しかけたら喜んで会話してくれると思います。

6 人で暗い中いるんですけども、どこから来たんですか?とか言って、そこで知り合いになったりして。婚活じゃないか?あと 1 分ありますよ。あと何ですかね?みんなみんな何?今は部活とかは入ってない?

[S]テニスやってます。趣味と違うっていうか?なんか特技、特技っていうか?特技とは別で趣味が欲しいんですよ。ガチでやらなきゃいけない。もう絶対な全然もうすごいゆるくやってるんですけど、なんかテニスが趣味っていうのはちょっとなんかやというか

[片]昔の人みたい、昭和時代みたいな感じだから?そういうわけじゃない。

[S]何ですかね?この先も別にやらなくていいっていうかやろうと思わないんですよ。大学卒業してから。だからなんか違う趣味が欲しくて

[片]やっぱフットサルです。フットサルで、この地元の、なんかそういうクラブチームとかあるんじゃないですかね。

入れば歓迎されますよ。きっと今から入れます。時間です。ありがとうございました。

こんな研究テーマはどうでしょう?(Yさん)

[片]Yさん。

[Y]お願いします。なんとなく卒論で書きたいことが思い浮かんでて、教育の地域差みたいな地域による違いみたい。なんかに興味があって。なんで生まれ、その差が生まれちゃうのかなと思って。大元の学校教育法とか指導要領って一緒じゃないですか?

なのに。地域ごととか学校ごととかで、例えば授業の時間が違うとか 45 分が基本なのに、例えば付属小とか 30 分じゃないですか?そういう違いが生まれるのは何でなんだろうなって思ってて、まず地域差。

[片]それ、学校差じゃなくて、地域差、新潟県と長野県では教育が違うとか。そうですね。付属小があんなに違うのはあれは付属小だからなんですよ。実験台ですので、生徒はモルモットです。何でもありの、あれ、そこで研究が進むので、附属小はまた別で考えなきゃいけないですね。

でも地域差と、あと何ですかね。新潟、例えばなんでこんな違うなんでかね。

[Y]自分小学校東京で、中学校の長野で過ごしてたんですけど、例えば椅子に防災ずきんがないとか。

[片]避難訓練やる。東京ではあったってこと?

[Y]避難訓練の数が圧倒的に違うとか。修学旅行がなくてそういう違いとか。がすごい気になってて。

[片]それは?東海大地震がくるくる、言われて。そういうことじゃないんですか?

[Y]そうなんですかね。

[片]教育の差っていうのはもっともっと違うところじゃないの?本質的なところ。それの差はあまり感じない?

[Y]それも感じるんですけど、それって結局先生一人一人の技量の差によるものなんじゃないかな?って思っちゃってて制度の違いなのかな?

[片]制度の違い。

[Y]なんとなくしか思い浮かんでないんですけど。

[片]例えばある?あんまりこう言うと支障があるけども。ある県ではなんか軍隊形式の指導が今でもなされてるとか言いますけどね。なんでか?そこまで踏み込むと、いや、もともと学制、学校を作る前の時、何から始まったかとかいう歴史から見ていくと、その差が現れてくるのかどうなのか。ただ、新潟県なんかは私が教員になった当時なんかは、大学受験の進学率が全国最下位とか言われて、それじゃいかんつって。

進学率上げろ上げろんみたいに言われている。でもなんで最下位で最下位だから何で悪いの?みたいに私は思ってたんだけども。そんなに大学進学一辺倒だったんですよ。それって地域差じゃ?

例えば東京だと結構高いのかはわからんけども。なんでそうなるの?っていうのがちょっと研究のとっかかりになるかなとも思うんですけど。そういうことじゃなくて。そっちだと思います。なんとなくですけどね。

どこからそれを、その差があるっていう風に明らかにできるかどうかじゃね。これ、差だね、って。まずは差を認められないとあれなので。データで、データから見いだすしかないのかもしれないし。でもなんでそうなったの?っていうのがこれまたなかなか難しいですね。原因を探るのがね。

近いところで、近いところでこっちの自治体とこっちの自治体みたいに近いところで比較すると。なんか差が明らかになるかもね。新潟県と北海道とかさ、遠いところでやったとしてもそれはなんか文化が違うからでしょみたいになるんだけど、近い新潟だったら新潟市長岡市でこんなに。もしね、差があるんだったら違うんですよ。っていう風に近いところで差を見つけた方が研究しやすいかもしれない。まずはみんなにアンケートなのかもしれないけども。ね。2 年生に全員アンケートしてもそれが出るかどうか分かりません。

はい、じゃあ時間です。ありがとうございました。

[Y]ありがとうございました。

小学校の先生と、高校国語の先生、迷っているのですが。(Sさん)

[片]ごめんね、最後です。当たらなかった人、残念。申し訳ないです。Sさん。最後、最後ですので。楽しんでまいりましょう。お願いします。

[S]お願いします。私、小学校の先生になりたくてこのコース、入ったんですけど。副面は国語が好きなので、日本語が好きなので国語とってて。

本当に小学校の先生になりたいのかなって思い始めたんです。

[片]高校の先生になりましょう。高校国語指導しますよ。

[S]やりたいことが。いっぱい出てきちゃって、国語の先生にもなりたいし、おいしいケーキを食べたら、ケーキ屋さんになりてー、とか。

[片]パティシエになる?パティシエールか、女の人は。

[S]結婚式って感動したらウェディングプランナーなりてーとか、

[片]お嫁さんになりたいとか?

[S]ウェディングプランナーとか。私は何をしたいんですかね?

[片]ウェディングプランナーになったら、授業はできないけども、先生になったらウェディングプランナーみたいなことはできる。まあ別に結婚式あげるじゃなくてもイベントを自分で作ってできるじゃないですか?だから先生いいんじゃないかなと。

先生は何でもできるってか、自分の裁量でイベント立ち上げてできるし。授業もできるし、国語もできるし、先生ってすごくいろんなやりたいことができる職業だなって私は思っているんですよ。小学校と中高の国語?

[S]現実的にはその二択なんですけど。それはいつまでに決めといた方がいいんですかね?固めといた方が?

[片]教員採用試験じゃないですかね?あ、ここの自治体は小学校で受けて、ここの自治体はは例えば高校国語で受けるっていうのも可能じゃないですか?

合格した方、合格してから決めるみたい。だからまだまだ保留、保留はできますよね?

T高校連れて行きますよ。私のゼミ入ったら。T高校の生徒さん、すごく良くてさ。いやー。本当に、なんて、こんないい生徒だから授業がまあまあ何事もなく終わったんだけど。面白いですよ。国語、教科、その教科だけに特化してやるっていうのは自分のその研究というか、研究じゃない?教科への思いも満たされるし。あと授業作るっていうのも満たされるし。小学校の先生って大変だと思いますよ。本当に全部の教科全部のやつを。一生懸命やったらまあちょっと大変だけども。

中学高校ってこの授業作ったら使い回せるわけですよ。2 年 1 組これ 2 年 2 組これ 2 年 3 組って。3 回できるんですよ。3 回目が一番いいのかっていうとそういうわけじゃなくて、だいたい 1 回目が良かったりするんですけども。

でも小学校の先生、なかなかそれができないですもんね。まあ、あの理科専科とか家庭科専科とかなればいろんなクラスを持てますけども。ね、普通だったらね。これ失敗したなと思って。その次の授業がないとかね。

悩みますね。でも別に上教大に入ったからといってね。小学校の先生に必ずなれとか。それがいいってわけじゃなくて、例えば中学高校の先生こそ、教育学部から出た人になってほしいなって私は思ってます。

だって、高校、高校の先生なんて教育学なんてほぼ学んでないんですよ。学級経営なんてほぼ学んでないで教員になるから大変なことがたまに起こったりするわけですね。大昔の昭和時代の教育そのまま今の令和の生徒にやったらそれはね、支障は出ますよね。だからちゃんとうちの大学で学級経営もまたは授業づくりも学んだ人が高校の先生になってほしいなって私は思ってます。うちのゼミ生、一人、今、社会の、地歴の先生で新潟県で働いてますけどね。

悩んで採用試験の時でもどちらでも選べるので。まだまだ大丈夫ですよ。決めなくて。ありがとうございます。

[S]ありがとうございました。

[片]ありがとうございます。ちょうど時間ですね。じゃあそういうわけで終わりになります。課題が出ています。ちょっとハードな課題かもしれませんが、PDF で今までの学びをレポートしてねっていうやつです。

条件も様々書いてあります。締め切りは 2 週間後ぐらいだと思いますので、それ楽しみに読ませてもらいます。では半年間。前期ありがとうございました。ご苦労様でした。

授業づくりビフォーアフター

学部2年生の授業「教育実践基礎論」の模擬授業が佳境を迎えており、連日各班との「対話」で互いに授業を作っていく。「対話の時間を取ってください」とメールが来る。いい傾向だ。それでも「対話」といいながら、私が授業デザインを押しつけてしまう場合もあるから、そんなことにならないように気をつける。

「対話」のいいところは、この打ち合わせの時間の前には思いも付かなかったアイディアが対話の後に生まれ、ワクワクする授業デザインが生み出されることだ。

授業プラン(特に目標)を持ってくると、私は徹底的に質問する。「何のため?」「どうしてこれをやるの?」、それに対して説明できないと、持ってきた授業プランを見直すきっかけになる。そんな感じで学生たちが作っていった各教科の授業デザインのビフォーアフターを紹介する。

英語《ビフォー》正確なアクセントを身に付けよう

英語はアクセントを正確にしないと伝わらない。だから、正確なアクセントを身に付けて、英語母語話者に伝わる英語で話す力を身に付ける。

というものを持ってきた。それに対する対話(というか、主に私のツッコミ)は、以下のもの。

  • 本当に伝わらないのか?
  • 街を歩いていて、日本語話者じゃない人に話しかけられて、アクセントが違って伝わらなかったことがあるか?
  • 英語母語話者と、今後話すことはあるのか?
  • コミュニケーションを取るのだったら、Google翻訳アプリでいいのでは?
  • コミュニケーションを取るために、本当に必要なのはアクセントなのか?

などとツッコみ、「コミュニケーションを取るために一番大切なのはコミュニケーションを取ろうとする気持ちだ」ということに気づいたようだ。

そもそも、街を歩いていて、外国語話者から、日本語で話しかけられた経験を、学生さんたちは持っていないということが分かった。大学生活開始からCOVID-19禍だから、しょうがないといえばそうかも知れない。「綺麗な発音、正しいアクセント、イントネーションで英語を話そう」ということを高校までに植えつけられ、そうじゃ無いと伝わらないと洗脳されているのだ。その思い込みを持って、これから英語教育をしたら、そんなコミュニケーション不全を生む授業が再生産されてしまう。

英語《アフター》正確なアクセントじゃ無くても、どの程度伝わるのか、伝わる範囲を理解しよう

日本語だって正確な発音、アクセントじゃ無くても伝わる場合もあるし、「箸」と「端」のように、シチュエーションによって、伝わったり伝わらなかったりする。だいたい会話なんて、文脈で理解するのだから、そこ文脈で出てくる語のアクセントが違ったとしても、伝わるのだ。そんな経験をすれば、英語を喋るときだって、無闇に「美しさ」「正確さ」を追求しなくても伝わるし、コミュニケーションを取ろうとする意欲だって生まれるだろう、という考え方で授業を作っていった。

算数《ビフォー》「速さ・道のり・時間」の関係を生活の場に即して計算できるようにしよう

最初に持ってきた授業プランは、「速さ・道のり・時間」の公式を、旅行プランに当てはめて、どれが最も効率のよいプランなのかを考える、というものだった。それぞれの計算は、きっちり小数点第1位まで答えを出し、複数のプランを比較して検討させようとしていた。それに対する対話(というか、私のツッコミ)は、以下のもの。

  • 日常生活で、小数点第1位まで考えることってある?そんなに日々細かく物事を考えているの?だいたいで考えてない?
  • そもそも、早いとか、料金が安いということだけで、旅のプランって決めている?
  • 「速さ」「道のり」「時間」ってどういうものだか考えたことある?
  • 「速い」って、どういうこと?
  • 空を飛んでいる飛行機と、地面を歩いている蟻、それほど速さが変わらないように見えるのだけれど、何で?

そんな対話の流れで、「見かけの速さ」という話題になり、それを計算してみたら?ということになった。そんな公式があるのかどうか分からないが、算数的なきっちりと数値で表せる「速さ・道のり・時間」は、もう身についているのだから、それを駆使して「見かけの速さ」をどうやって算出すればいいのか、単位はどういうものにしたらいいのか、考えさせてみようという流れになった。

算数《アフター》見かけの速さを算出する公式と単位を考えよう

こっちの方が、生活に即した(生の人間の感覚に即した)ものにならないかな?だいたい時間なんて、人それぞれ、流れ方が違うんだから、全世界、全世の中同じと考えている算数・数学の公式では測れないのではないか?

国語《ビフォー》和歌を読んで、昔と今の共通点や相違点に気づき、和歌に親しみを持つことができる。

この《ビフォー》の目標は、よくあるもので、「親しみ」を持つために共通点や相違点を探るというのは的確な方法なのだが、どういう相違点を想定しているか?と訊いてみると、「言葉が違う」ということだった。そりゃそうでしょう。古典の和歌を取り上げるんだから。こんなふうに対話でツッコんだ。

  • 相違点は限りなくあるし、短い時間の模擬授業では、それを洗いざらい出すことは不可能じゃないか?
  • 対象に親しみを持つ時ってどんなとき?
  • 相違点は、文化や社会制度によるものがたくさんあるんだから、そんなに違う環境でも共通点があると思えば、親しみが湧くのでは?
  • どんな共通点があると思う?
  • 恋愛に対する昔と今の相違点、共通点は何だと思う?

と、恋愛談義に移行していった。訊いてみると、学生さんたちは、「昔のように重い恋愛はしないのでは?」という意見が出た。そうか、和歌に詠まれているのは「重い」恋愛が多いのか。最近ヒットしている歌の歌詞ではどうだろう?という話になり、教科書掲載の短歌と、最近の歌の歌詞を比較してみようということになった。

国語《アフター》和歌を読んで、現代の歌詞との共通の恋愛観を見つけ出し、親しみを持つことができる。

恋する女性の夢を詠んだ短歌と、授業者が示した3つの歌詞を比較して、もっとも短歌に近い歌詞を選び、その共通点を可能な限り挙げるという授業デザインになった。「恋愛観」という語を用いて来た。個人的には現代大学生の恋愛観にとても興味がある。

どの教科も、ビフォーアフターで、アフターの方が、ワクワクする授業プランになっていった。学生さんとの対話で、学生さんも、私もどんどんアイディアが出てくる。こんなことやったら、学習者は没頭して取り組むのでは?とイメージが湧く。

終わりに

今まで自分が受けてきた、目標もぼんやりとし、評価基準もいい加減な(というか、むしろ示されない)授業を再生産しても、授業改革はなされない。今まで受けてきた「スタンダードな」授業は「本当に面白かったのか?」という自己ツッコミを経ないと、本当に学べる授業は作れない。

私の授業は、とりあえずスタンダードなお茶を濁す、時間だけをつぶす授業をしてしまうと、評価は低くなる。いや、評価の問題では無く、教育大学で、今まで自分が受けてきたような授業を再生産するだけでは、将来の教育は良くなるはずが無い。授業に向き合い、学習者に向き合い、「本当の力をつける授業とは何か?」をディスカッションしながら、対話しながら、創り上げられる時間は、大学にいる今しかないのでは?とも思う。もちろん、教員になってからも時間を作れるのだが、没頭できるのは今しかないと思う。その時間をいかに作り、その時間でいかに授業を創り上げていくかが大切なんだと思う。

もうそろそろこの「教育実践基礎論」も最終回を迎える。2学年前期に移動したのだが、前期に移動してよかったと思う。2年の初っぱなに授業づくりに真剣に取り組む時間を作る必要があると思ったから。

最終回は学生さんたちと対話する時間を作って行けたらと思う。