Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

念願の伊集院さんにメールを読んでもらえた


先月の誕生日の前後ぐらいにニッポン放送から封筒が届き、ステッカーが入っていた。

え?投稿読まれたの?いつ?何?ニッポン放送だったら「伊集院光のタネ」なのだけれど、
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最近何送ったかな?でも、ステッカーには「まとめ聴き」と書かれてあるから、それで読まれたのか?それともスペシャルウィークだったから、単に投稿した人の中から抽選で当たったのか?ともんもんとしていた。「タネ」はradikoで全て聴いて、私の投稿は読まれていなかったはず、という確信はあったのだが、すっきりしない。

そういえば、「伊集院光のタネまとめ聴き」で「サンキュー、チャック」の事を話した回があると言っていたな。映画「サンキュー、チャック」の事について投稿した覚えがあったから、「まとめ聴き」で読まれたのか?と思い、7月に入り課金した。これは課金コンテンツなのだ。
ij-matome.bitfan.id

そうしたら、この回の一番初めに読まれていた。超うれしい。光栄。伊集院さんのラジオにはずいぶん昔からいろいろ投稿しているけれど、初めて読まれた。誕生日近くに送られてきたステッカーは今世紀最大級の誕生日プレゼントとなった。

投稿は以下の通り。

「サンキュー、チャック」を次男と観てきました。先日伊集院さんが、番組でこの映画を観てきて、「なんだか分からないところで涙が出てきた。」というお話を聞いて、行こうかどうか迷っていた私ですが、背中を押されて見に行きました。

そして、伊集院さんが涙が出てきたというところは、想像するに、台所でおばあちゃんがチャックをダンスに誘ったシーンじゃ無いでしょうか?

私はそこでグッときてしまいました。

大人になったチャックが初めて会った女性をダンスに誘うシーンと同じ動作で誘うところが「繋がったー!」って感じです。

どうですか?

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私の投稿に伊集院さんがコメント付けてくれるなんて、最高だ。あと1年間はこれだけで生きられる感じ。
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今年の目標の6番目が達成した。というか、4ももうすでに達成しているかも。

還暦前後で、削られることも多いけれど、ラッキーなことも多い。スマホゲームのガチャで、欲しいキャラが比較的簡単に複数名手に入り、なんだかこのまま調子乗ってて大丈夫かオレ?と思う今日この頃。削られる分、ラッキーもあって、人生トントンだと思うことにする。

Michael/マイケル


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2026年/USA イオンシネマ新潟西鑑賞

カミさんと次男と3人で観てきた。「ボヘミアン・ラプソディ」は素晴らしかったので、あのようなものを期待していたのだが、「あれ?ここで終わり?」という感じだった。

きっと続編が作られると言ったら、次男はそんなことは無いでしょうと否定した。

でも、それからの方が波瀾万丈でドラマチックなのに……。

これを読んでいるので、そう思ってしまった。

「ボヘミアン・ラプソディ」では、ヒット曲がどのように作られたのかが描かれていたが、これは「スリラー」ぐらいしかそんな描かれ方がされていず、父親の毒親ぶりが前面に出ていて、どんどん暗い気持ちになっていった。

それでも演奏シーンは圧巻で、それを聞いているとき、じっとしていなければならないのはちょっと苦痛だったかな?応援上映を観に行きたくなる気持ちはわかる。

十中八九、続編はあると思う。この映画と

を繋ぐものとして描いてほしい。

Level 60 Celebration Meeting


還暦パーティーを、現役ゼミ生みんなが幹事団となってくれて6/20に開いてくれた。本当にありがたい。

15:30から大学でプチゼミ会として集まり、年代ごちゃ混ぜのグループになり近況報告や思い出を共有する会、

18:00から、軍ちゃん高田店でお酒を呑んでの会食となった。

3月末から幹事団が動いてくれて、いちばん大変だったのは、写真のノベルティーの手ぬぐい作成。業者の選定から、デザインの決定、値段の交渉等、幹事長がやりとりしてくれた。

噺家は何かの記念に手ぬぐいを作成して配っているし、私も手ぬぐいは常用しているから、手ぬぐいがいい、と思いつきで言ったのだが、これが大変。とにかく資金がかかる。地元のプリント業者に頼めばいいのかな?と思いきや、やっぱりネット業者の方が安い。安いが、1注文最小単位が100枚という事で、1枚は安くなるが、総額が高くなる。しかし、信用できるネット業者を見つけてくれて、無事に到着した。

それから私のレザークラフトのキーホルダーも記念品にした。


ほぼ全世代の卒業・修了生(13名)が集まってくれて本当にありがたかった。東京から日帰りで参加してくれる人もいた。

初代ゼミ長の話が面白かった。さすがだった。

研究授業等、何か依頼されれば何でも引き受けるようにしている。

授業を作る上で、自分では一応完成したと思うのだが、そうするとリトルカタギリというスタンドが現れて、
「それ、必要なの?」
「それをする意味は何なの?」
と訊いてくるから、不必要なところは削除してどんどん指導案に書かれてある文字は少なく、シンプルになってくる。

きっとみんなにもリトルカタギリというスタンドがいると思う。

なるほど、10年前も今も、それほど違うことは言っていなかったんだと思うし、そういうツッコミを今も自分でできている、その成長が頼もしく思う。

なかなか自分のことにツッコミをする、自己内対話ができる人はいない。

学部2年生の授業で模擬授業を作る学生さんたちは、まだまだいろんな事の拘りや、これまで受けてきた教育からの洗脳で、「本当に教育(学習・授業等)に必要なこと」と、「これまでやっていたから当然と思っていること」の区別がついていない。

模擬授業づくりの事前面談で、「それ、何のため?」と私がツッコむことでハッとする顔を毎年見ている。

そんなことをゼミ生にも10年前からやっていたんだ。

それで、「リトルカタギリ」という「スタンド」だが、ジョジョを知らない世代(現役ゼミ生世代)はピンと来なかったらしいというオチ。(上記の絵参照、左側がスタンド)


片桐ゼミ卒業・修了生は教員を退職した人が少ない(いない?)ということを修了生から聞いた。そういえばそうかも知れない。

大学を去ったとき、教員にならなかった人も、今教員をしているという噂も届いた。

歴史がそれほど長くないし、卒業・修了人数も多くないからなのだけれども、それでもそれは嬉しい情報だ。何でもかんでも続ければいいということではないけれど、それでも教員の多忙化が言われている昨今、自分の仕事の意義を考え、自分の生活とやりくりして続けて行けてるのは、立派だな、と思う。

教師としての職能を大学で身に付けていったんだと思う。

今まで卒業・修了生には次の願いを伝えていた。

1.学校の経費で私を講師として呼び、講座を学校で開いてほしい。
2.飲み会を開いて、教員の仕事として稼いだお金で奢ってほしい。

1.は、ちょっと昔、私の初任校で講座を開いてくれて、それが叶った。
2.は10年経った今でもまだまだだったのだけれど、今回、2次会で会費を払おうとしたら、修了生が、私の分はいい、ということで、しかも現役ゼミ生の分ももってくれた(らしい)。

もう両方の夢が叶ったので、これ以上の願いはありません。健康に各自の仕事を全うしてくれるだけで十分だ。(あ、2つ目はいつでも受け付けていますが。)

あとは、現役生は研究をバシバシ進めて、教職の職能をバリバリ上げてくれれば、言うことはありません。
あ、書きかけの論文、早く提出してね(昨年度の卒業・修了生向けのコメントです)。

本当にこの日が来るとは思っていなかった37年前

あおきや長岡喜多町店

37年前は1989年で、平成元年で、私が六日町高校で仕事をし始めた年だ。

その当時は60歳定年だから、仕事をし始めて数年ぐらいで早く定年になって悠々自適な余生を送るんだろうな、送りたいな、と思っていた。新採用時の同僚にもその年に定年になる人がいて、定年退職って、どんな感じなんだろう?と思っていた。

ところが、何の因果か転職し、定年は65歳になったので、あと5年先になった。県高校教員も定年が60じゃなくなっているので、転職しなくても、今年定年じゃなかったのだろう。

そんな誕生日前日の6/18に、大学時代の同期のY教諭に呼ばれて長岡向陵高校で講義をした。きっと私にとって最後の高校での講座だという決意で行った。どう考えても55分じゃ終わらない内容で、失敗のイメージしか無いままいったのだが、生徒さん達は予想以上にラップにノリノリで、声を出して参加したので、こちらも興が乗り楽しくできた。

そんな中、あるグループが担任教師であるEさんの名前をライムに入れてリリックを作っていたので、

「え?E先生?どこかで同僚だった気がする。E先生に「片桐先生って知っていますか?」と訊いてみてくれない?」

と伝えておいた。後から考えれば、E先生は高校時代のクラスメイトだった。こんなところでこんな日にそんな名前を聞けるとは……。Y先生もE先生もみんな還暦。

長岡向陵高校近くのあおきやは、大昔よく行った店だ。長岡市にも住んでいたことがあったし。

数年前、店舗移転して、広い駐車場がある店になっていた。講座の後はここで食べようと心に決めて、楽しみにして講座を乗り切ろうと思っていた。

高校教師時代テニス部の顧問会議が長岡向陵高校であった時、昼飯に食いに行ったり、新潟出張の帰り、六日町まで帰るとき、長岡ICで降りて、このラーメンを食べたりと、かなり好きなラーメンだったので、是非ここで食べようと数日前から心に決めていた。

が、考えてみれば新潟の亀田ムサシにあおきやがあって、結構通っていることにラーメンを食べた後に気付いた。なんだろう、このぼんくらぶり。でも、喜多町店で食べることに意味があったことにしよう。

60ぐらいになったら、何の憂いもなく幸せに悠々自適に仕事も生活もしているんだろうと、37年前には思っていたのだが、全くそんなことも無く、日々愁いが襲ってくるし、よく眠れない日々が続く。

そんな中、入院をすることもなく、それほど健康を害することもなく、ハーフマラソンを走りきる体力と気力はまだ残っている。

37年前くらいに、思い立って六日町の坂戸山を一人で登ろうとして*1、途中で断念した時に比べたら、今の方が体力がある。体重はかなり増えているんだけれど。未だに坂戸山の頂上に行ったことはないが。

明日、ありがたいことに還暦パーティーをゼミ生たちが開催してくれるという。37年前には思っていもなかったことだ。還暦パーティーなんて、他人から祝ってもらうことじゃないと思っていたし、自分の誕生日はひた隠しにして、「誕生日はない」とゼミ生たちに伝えていたのだが、どういう調査をしたのか、誕生日がバレてしまって、去年も祝ってもらえた。

歳をとるといらぬ拘りが薄れるもので、このパーティーを開催すれば、癖の強い最近のゼミ生たちに癖の有り余る先輩たちを会わせることができると思って、開催を承知した。現役ゼミ生たちは、開催のために段取ってくれて本当にありがたい。

うちのゼミの裏テーマ「幹事力アップ」が上がっていることを実感する。

毎年仕事や生活で憂いやイライラが生まれるのは、ボケないための神様からのギフトだと思って退職まで日々精進するしかない。

明日は地震とか、大雨とか、天変地異がなく、みんな無事に上越に到着できますように。

*1:当時、スキー部顧問で、部員たちはトレーニングでダッシュで坂戸山頂上まで往復していた

わり算のあまりの意味って何だ?

ゼミ生の学部3年生が、9月から教育実習で、算数の細案授業をするというので、昨日はその単元を一緒に考えてみた。

あまりの意味って何だろう?

小学3年

わり算のあまりの意味を考えよう

という単元だったが、あまりの意味って何だろう?

辞書的には整数において割り切れない部分の残りの「数」という意味なんだろうが、

あまりがあることで、何ができるのか?何が分かるのか?

と考えるのが、うちの研究室だ。「意味は自分で見つけろ」がスローガンだから。

1つ分?

それはさておき、この教科書においてあまりのないわり算の単元においては、

[全部の数]÷[1つ分の数]=[いくつ分]

という「公式」が書かれてある。ん?「1つ分の数」って何だ?

20このミカンを、6こずつふくろに入れると、6こ入ったふくろは、何ふくろできますか。

という例題が書かれてある。「1つ分の数」というのは、「1袋に入れる分の数」という意味だったのか。「1つ分の数」で分かるのか?小学生分かるのか?還暦間近な私も分からないのに。

きっと「公式」に使い、汎用性を持たせるための用語なのだろうけれど、分からない、とはいえ、どんな言葉を使えばいいか思いつかない。「同じ量に分ける分の数」か?さらに分からぬ。こうやって、算数/数学の「用語」って、現実生活とかけ離れたものとなっていくのか?

これはわり算なのか?

それはそうと、20この未完を6こずつ分けるのは、わり算なのか?

20このミカンを6人に同じ数ずつ分けます。1人分は何こになりますか?

だったら、わり算になる。「200グラムのホールケーキを6人に同じ重さずつ分けます。1人分は何グラムになりますか?」とほぼ同じ。これは均等に分けられる。

しかし、6個ずつ分けるのは、割り算じゃなくて、「分け算」なのでは?だって、割ってないもん。

割り算というのは、基本的に「均等に分ける」ものであり、あまりが出たらそのあまりを均等に分けなければならないというか、分けている。しかし、あまりを出すというのは、均等にしていないということだ。

現実の生活では、最後まで割れない(ミカンは割れるが、人は割れない)ものがあるから、あまりが出るわけで、それは割り算ができないということだ。

だから「分け算」という語を使ったら?とも思うのだが、適わない夢だろう。

[全部の数]÷[いくつ分]=[1つ分の数]

「20このミカンを6人に同じ数ずつ分けます。1人分は何こになりますか?」の「公式」は、先に出した公式の「いくつ分」と「1つ分の数」が逆になる。

「いくつ分」が「6人分」で、「1つ分の数」が、「1人分の数」だ。

考えてくるとどんどん混乱してくるが、これを考えなければならない小学3年生の集中力が心配だ。公式なんて作らず、それぞれ「6人分」やら「1人分の数」に書き換えてやっていった方が頭が整理される。

割り算と分け算

そもそも、割り算でもないのに割り算にしているのは、

A÷B=C

で、BとCを入れ替えても等式が成り立つからで、それで同じだとして、その後考えさせないからなのだろうけれど、算数/数学が不得意な学習者って、考えるから不得意になる。「おかしいな?」と引っかかるけれど、「いいんだよ、同じなんだから、感がえず、公式に当てはめてやれば正解が出るんだよ。」と、正解至上主義の算数にねじ曲げられる。

「何人に分ける?」と「1人分はいくつになる?」は人とみかんで全く別のものだ。

分け算

20このミカンを、6こずつふくろに入れると、6こ入ったふくろは、何ふくろできますか。

を考えた場合、

[🍊🍊🍊🍊🍊🍊]
[🍊🍊🍊🍊🍊🍊]
[🍊🍊🍊🍊🍊🍊]
[🍊🍊]
となり、

20=6+6+6+2=(6×)+

で、答えは3 あまり2 になる。

「6+6+6+2」が分け算の考え方。

20このミカンを6人に同じ数ずつ分けます。1人分は何こになりますか?

は、6人に1個ずつ振り分けていくと
💁 🍊🍊🍊
👷 🍊🍊🍊
👸 🍊🍊🍊
🙋 🍊🍊🍊
👵 🍊🍊🍊
👲 🍊🍊🍊

  🍊🍊
となり、

20=6(人に1個ずつ分けた)×3(回くり返したから、1人🍊個)+2(個あまり)

となる。

何が違うのか?というと、「同じ数」がもう決まっている(分け算)のと、みんなに均等になる数(同じ数)は何か?ということで、根本的に問題の質が違う。

授業的にはあまりこだわらせない学習者を作って行った方が割り算の単元は上手く行くのかもしれない。

そこで、「あまり」の意味

学生と対話しながら考え、いろいろ煮詰まってきたので、「あまり」が生きる例題を考えよう、ということで、次のようなことを考えた。

22人のメンバーで6チーム対抗リレーをします。でも、1チームで、走るメンバーは同じにしなければ不公平が生まれるので、1人が2回走るチームが生まれます。全員が1回ずつで済むチームは何チームでしょう?

これは「割り算」。「あまり」の数が「全員が1回ずつで済むチーム数」

22人のメンバーで50メートル走をします。コースは5レーンしかありません。タイムも最大5人しか計測できません。でも、2人だけで走ってもレースが白熱しません。1レースなるべく多く走らせたいです(最大5人)。5人で走るレースは何レースですか?

これは「分け算」。「あまり」の数が「5人で走るレースの数」

これでいいだろうか?

何が違うのか自分でも分からなくなった。

2026年度片桐研究室の体制


M1の要君が入り、当分の間6名体制で片桐研究室は進みます。

先日初めて全員そろっての全体ゼミを開催でき、写真撮影をしました。

3月にゼミの半分が卒業・修了し、寂しい気分でしたが、1名入ることで、新たな風が吹いてきて、刺激を違いに与えることができます。

要君はバリバリのアスリートなので、さっそく演習室の時計を外してラベルを貼ってかけてもらいました。頼りになります。

全体ゼミではいつものことながら、

1年後、卒業・修了後の自分が職場で働いている姿を想像し、今の自分と同僚として一緒に働きたいか?

という問いかけをして、卒業・修了までに、「一緒に働きたい」という自分に成長させよう。

という話をした。OB・OGは、どんな風に働いているかな?来月会えそうなので、話を聞いてみよう。

テラ・ロウリュウ


今年の春にオープンということは知っていたけれど、webページを見たら、かなりお高め。2時間4,500円って手が出ない……。と思って過ごしていたのだけれど、いい天気だし、The Saunaの空きはないし、どうしたもんだか?ともう一度webページを見たら、1.5時間で3,800円のコースもあることを見つけた。

The Saunaでも2時間まるまるいたことはないし、ちょうどいいかな?と思って試しに申し込んでみた。直江津の海の近くだし、帰りに楼蘭でご飯にすれば最高のコースだな、と思って行った。

quals.jp

そうしたら、最高のサウナだった。最初に言うと、1.5時間で終わるのはもったいなく、次からは4,500円でも2時間いることにする。

初めに受付で、どのアロマオイルにするか、6種類の中からテイスティングして選ぶ。自分は蓬の入っているものにした。全て野草ベースの落ち着いた香りのオイルだった。いちばん癖のなさそうなものにした。瓶を1本もらう。

冷たいお茶をもらい、初めてなので、施設の説明を受ける。ビジネスホテルのシングルルームのような扉を開け、入り口近くにシャワー室、水風呂、そしてその奥にサウナ室がある。そうして、鍵も閉められ、完全個室であることに驚いた。

ロウリュウは瓶の中のアロマを桶に入れ、柄杓で電気式のストーブにかける方式。瓶をサウナ室に持ち込むと、ガラスが割れるかもしれないということだ。

サウナ室は1人らくらく寝そべられるほどの大きさ。久しぶりに寝そべって蒸された。

適度なヒーリングミュージックがかかり、天気も良かったので、海の景色も美しく、サウナ室の窓からも見える。

そして完全プライベートの外気浴チェアがある。すぐ下に道路はあるのだけれど、盛り土(きっとそのうち芝生で緑になるのだろう)で、かろうじて目隠しがされていた。

何が良いのかというと、このような自然を感じられるサウナ施設で、完全裸でサウナにも入れて、外気浴もできるところ。

自然の中のサウナは、ほとんどが水着着用で、外気浴時、腰回りがぐっしょり濡れいて、そこだけが不快だし、いろんな客と一緒に過ごさなければならないのだが、それがない。水着を着けていない解放感たるや、他では得られないものだ。2時間4,500円でも安すぎるかもしれない。(家にプライベートサウナを作るよりもだんぜん安い。)

水風呂は単身アパートの浴槽並みの広さだが、結構冷たい。これで十分。チラーを使っているのか、今度訊いてみることにする。

帰って寝るときまでも、ロウリュウの野草の匂いがどこからともなく香っている感じがする。肌が吸い込んだような気がする。

月イチぐらいで通うことにする。