Pay it Forwad,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教科教育・学級経営実践コース 片桐史裕のブログ

かわら亭

いったいいつぶりのサウナだろうか?本当に久しぶりだった。どんどんふくらはぎがパンパンになっていくのを感じ、これは血流をよくしなければならぬという危機感でいった。

新潟もようやく暑さがゆるんできて、今日は23℃だった。水風呂もいい具合に冷えているかな?と思ったら、それほどでもなかった。しかし、水風呂半身浴をしていると、どんどんからだが冷えていくのがわかる。1回目の水風呂では、ちょっとクラクラするほど冷えて、ととのい度が期待できた。

人がいない時間帯を選んで行ったと思ったのだが、若者3人組が洗い場で大声で喋っている。これは外れだったと思ってしまった。若者だからサウナには興味ないかな?と思い、彼らが露天風呂に来たのを見計らい、露天風呂からサウナに入った。しばらくすると彼らの中の2人がサウナに入ってきて、マットがしいてないところでくっついて座って、喋り出した。何だこりゃ?とたまらなくなって、口に指を立てて、「しーっ」と言ったら、「すみません。」と黙ってくれた。サウナで人を黙らせたのは初めてだ。このご時世、あんな密室で喋るって、完全なるマナー違反だろう。そのくらいわかれよ、若者。

2サイクル目にはいいととのいを感じられた。もうちょっと風が吹いていればよかったのに。3セット目はそれほどでもなかったのだが、休憩時からだが冷えていたので、仕上げの温浴は、気持ちいいものだった。

今日のととのい度→3 ☆☆☆★★

シェイプ・オブ・ウォーター

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2018年日本公開の映画。第74回ベネチア国際映画祭で金獅子賞、第90回アカデミー賞作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞に輝いたファンタジー。どうして劇場で観なかったのだろうと、DVDで観て今更ながら後悔してしまった。ネットで借りるDVDはいまだ「準新作」で値引きしていない。しかし、ずーっと貸し出し中で、たまたまレンタル可になったので、急いで借りた。

2018年は、結構映画を観に行っていた。外国映画では、ジュマンジ、タクシー運転手、デットプール2、スリー・ビルボードデトロイトハン・ソロ、レディ・プレイヤー1、ボヘミアン・ラプソディーなどなど。私が年間ベストと思ったのは「カメラを止めるな!」だった。しかしどうして「シェイプ・オブ・ウォーター」を観に行かなかったのだろう?あれほど話題になっていたのに。自分の映画に対するアンテナが低すぎる。行こうとは思っていたという記憶があるが、何を差し置いても行かねばならなかったと反省しきりだ。

監督はヒロインはわざと不美人の女優を選んだという。映画会社からは美人女優にしないとヒットしないと言われたが、それははねつけたという。外見なんかで勝負しない映画だった。ヒロイン、イライザは耳は聞こえるが、話せない。話せなくなった理由は映画内では語られていないが、トラウマがあったのだと思われる。しかしそれはモンスターの前では全く関係ない。

モンスターも話せない。自分も話せない。どちらもそんなことは気にしない。それで対等な関係だという。映画を観ているとどんどんイライザが美しく見えてくる。モンスターも美しく見えてくる。「神か、怪物か」というキーワードが何度もでてくる。どちらでもあり、どちらでもない。そんなカテゴリに収める必要はない。存在そのものを認めるということがテーマの映画。

一方、1960年代当時の無駄な贅沢を誇ったアメリカの物質文明と、それを支えている無駄なプライドを持った男たちが醜く滑稽に描かれている。そして彼らの心にある差別も露わにしている。彼らは誰も幸せになれない。イライザ、モンスターの優雅さと、男たちの虚しさ。差別しないと自分を保てない哀れさがあった。

イライザの住んでいるアパートは古い映画館の上にある。ちょっとうらやましいのだが、イライザの部屋での水漏れが映画館に降ってくるというシーンが結構好きになった。雨がふる映画でもかけていれば、この当時ながら4DXになったのに……と思ったりして。

教師になろうとする人は新聞を読むべきだということ

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先日連携校に挨拶に行った際、連携校の校長先生から、新潟県内で起こった教育関係者の不祥事をもとに、連携に入る上で注意すべきことのお話をしていただいた。ゼミ生は、その不祥事のことを全く知らなかった。「新聞にあんなに大きく書いてあったのに。」と言っても、新聞を読んでいないから、ぽかんとしていた。

「教員になるためには、新聞を読んでいた方がいい。」と伝えたら、「え?ネットのニュースじゃだめですか?」と聞かれた。「ダメだね。」と答えた。

ネットのニュースは、その人の趣味趣向によって、出てくる記事が選ばれている。なぜか?広告収入を得るためだ。つまり、その人が芸能ニュースを多く読んでいたら、芸能ニュースが多く表示されるようになる。スポーツニュースだったら、スポーツニュースが多く表示される。そうした方が、広告のクリック数が多くなるからだ。

結果、自分の興味のある案件ばかり目に入るようになり、興味の無いものは一生触れないで終わる可能性はある。

高校教師時代は新聞記事で、目にとまったものを教室に貼りだし、その記事についてSHRや自分の授業で解説したり、コメントを述べたりしていた。

大学生や大学院生になったら、そういう機会に触れることも皆無だろう。だから自分から進んで読まねばならない。

私は地元の新聞(新潟日報)を読んでいる。家では購読しているのだが、単身赴任先では、図書館で読んでいる。そういう機会が無いと、もしかしたら階段を降りて、歩いてということももしかしたらマットか失い時期かもしれない。今は授業が無いから。

地元の高校と関わることが多い仕事だから、地域欄がとても重宝する。今日も地元の高校がSSHで、賞を取ったという記事が大きく書かれていた。うちのゼミ生で、地元の高校に非常勤講師で働いている人もいるのだが、その新聞を読まなければ、きっとそんなことは知らないでいるだろう。地域の話題、課題、問題について知らないで、教員はやっていけないのではないか?とも思う。その地域に住んでいるのが児童・生徒なんだから、すんでいる地域のことを知る努力も知らなければならない。

今日まで新潟日報で「教師の多忙化」の特集記事が連載されていたのは、どのくらいの本学学生、院生が知っていたことだろう?地元の新聞だから、地元の教員の生の意見が掲載されている。とても貴重な特集だったと思う。

去年だったか、一昨年だったか、学部生の授業で、ある学生さんが話題に出した、グレタさんのことを知らない学生が8割くらいいて、愕然としてしまった。みんなと同じ世代の、世界的に有名なグレタさんもマララさんもきっと知らないで、教師をやっていけるんだろうか?その学生のスマホには、グレタさんもマララさんも表示されないのだ。

なぜ新聞か?ということなのだが、先ほど書いたように、ネットに比べて見る人の趣味趣向に合わせた記事では無い、ということ。じゃあ、ネットの記事では無くて、テレビのニュースでもいいのではないか?とも思えるが、情報量が圧倒的に違う。限られた時間で、動画をふんだんに使っていて、動画からのインパクトは大きいが、それを文字に起こしたら、圧倒的に新聞の方が情報量が多い。

新聞の読み方を、昔、若い頃、NIE研修会で毎日新聞論説委員から教えてもらった。まだそれほど新聞を読んでいなかった時期だったので、それを試してみた。その人は、こんなふうに言っていた。

まずは眺めるんだ、1面からでも最終面からでもいい。ページをめくっていく。

そのうち、気になった目にとまった記事だけ読んでいけばよい。

初心者へのお勧めは1面から読んでいく。なぜかというと、1面の方には硬い記事ばかりで、跳ばしていけるが、だんだん柔らかい記事になり、興味を引くものが多くなるから、面白くなる。逆だと、どんどんつまらなく思えて、長続きしなくなる。

と。なるほどー。当時はそのようによむようにした。今は逆から読むようになった。

新聞は扱いの大きさによって、写真、見出し、記事の量が違っているので、話題の大きさをあっという間に判別できる。その大きさを基準に読んでみるといいし、小さい記事(テレビのニュースだったら、流れないようなニュース)も載っているので、それがだんだん目にとまってくるようになる。経験を積んで、最近は「アルビ」とか、「アニメ」とかいう文字をぱっと見つけて読めるようになった。

そして一番大きい「新聞を読むべき理由」は、「お金を払って読んでいる」ということ。マスコミは権力の監視機関である。それが無ければ、ジャーナリズムたり得ない。それに直接お金を払うということは、市民の義務とも言っていい。NHKを除けば、直接お金を払って情報を得るマスコミは、新聞だけじゃないのか?とも思う。予算と人事を政府に握られているNHKは、正当なジャーナリズムが発揮できているとは思えないところがある。週刊誌は……ピンキリだし。

「読まない記事にもお金を払う」というところに新聞にお金を払う意味がある。

昨今新聞の発行部数が激減しているらしい。新聞を読む人が減っているからなのだが、それがジャーナリズムの衰退、権力の横暴に繋がるのだから、止めなければならない。世論によって社会は変わる。今日までの大きな特集「教員の多忙化問題」、これを機に世論が盛り上がって、いい方向に行って欲しい。

もちろん、収入のない学生さん、院生さんはどんどん図書館の新聞を読んでほしい。読まれなくなったら図書館の新聞の種類が減っていくことに繋がる。そして、就職して新聞を購読できる位になったら、家で読んでほしい。たまに、知り合いが新聞記事に出ていたりするときは、なぜかうれしく感じる。先日カミさんの写真が載ったときはびっくり。

地方新聞社を舞台にした新聞の作り手の物語、「クライマーズ・ハイ」が大好きな小説だ。何度読み返してもウルウルしてしまう箇所がある。

なぜモンテビア山形の佐倉監督の話を選手は聴くのか?

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佐倉監督は、ちゃんとした選手経験も無いのに、ジャパンリーグ一部モンテビア山形のトップチーム監督になっている。あ、マンガ「GIANTKILLING」の話です。詳細は
yourpalm.jubenoum.com
に上手にまとまっているので、お読みください。

一般的に現場で汗をかいたことがない人の話は、現場の人は聞かない。テレビドラマでよくある。刑事ドラマでも、金融ドラマでも、なんでも。「けっ、現場のこと知らないで、頭だけで考えていやがる。」なんて現場で働いている人は愚痴を仲間に吐く。

また、スポーツマンガやドラマでも、同じことがよく描かれる。昨年あったラグビードラマなんかがいい例だ。ラグビーをやったことがない人が経営に口出して、かなりのバッシングを受けた。一方、そのスポーツを一生懸命やり、実績がある人の話は、選手はリスペクトを持ってよく聞く。「あの選手が言っているんだから」と、素直に受け入れる。

私は、全くやったことのないスポーツの部活動の顧問をかなりの種類持たされた。若いときはいろいろ足掻いて、そのスポーツを経験したりして、若いからこそ上達して、指導できるようにもなった。しかし、歳を取ったら一切そのスポーツをチャレンジするのを諦めた。だから、技術や戦術に関して、口を出すのもやめた。部活動経営に関して指導したこともあったが、私の人間性も起因してあまり受け入れてもらえたとも思えない時期もあった。

話題にしているサッカーマンガの「GIANTKILLING」でも。しかし、この「GIANTKILLING」の佐倉監督は、選手の経験はほとんどない。サッカーが下手だからだ。下手だからボールも蹴らなくなった。しかし、サッカーが好きだった。好きだったから試合をよく見て、戦術を研究し、選手をよく見てコンディションを把握し、最終的には一部リーグトップチームの監督となった。マンガだからというのもあるが、ちゃんとマンガを読んでいると、納得できることがある。

監督になれたのは、それまでいろんなチームや下部チームの監督をやり、選手に認められてきたからこそなのだ。結果を出してきたからこそなのだ。どんな素晴らしい戦術でも、選手がそれを認め、ついていかないと、その戦術を遂行しようとしない。選手が信頼したからこそ、佐倉監督の話を選手は聴いてきたのだ。

じゃあ、どうして選手が聴いたのか、というと、佐倉監督の徹底した選手へのリスペクト、スタッフへのリスペクトがあったからだ。自分はプレイできなかった分、サッカーに関して、周りの全ての人がリスペクトできる存在だったのだと思う。

自分は27年間高校現場で働いてきて、大学教員としての現場経験は、十分にあるとは思っているが、しかし、現場を離れて5年、かなりそのアドバンテージが劣化してきていると、今春思わされたことがあった。これから現場経験だけではやっていけないんだろう、と実感した。だからこそ、学校現場で働いている人へのリスペクト、生徒へのリスペクトを持って、佐倉監督のように信頼を勝ち取れないといけないんだろうと思った。

自分は辰巳猛のようにはなれないので、佐倉ヒトシを目指さないとだなぁ。と思う残暑厳しい夕であった。

「ありふれた祈り」〜おいしいコーヒーのいれ方〜

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村山由佳著「おいしいコーヒーのいれ方」が完結した。最終巻は「ありふれた祈り」

1994年に第1巻が発表され、1997年にはNHKFM青春アドベンチャー」でラジオドラマ化され、それを聞いた私は小説を読むようになった。考えてみれば、四半世紀以上の長期連載である。小説の時間は、5年も経っていないんじゃないか?

青春アドベンチャー」で、「え?NHKがここまで生々しい描写をやるの?」なんてびっくりして、そしてヒロインかれん役の長谷川真弓の声が、イメージにぴったりというか、長谷川真弓の声のイメージが確立されてしまって、そのイメージで25年以上小説を読んでいた。

25年以上と言っても、ずーっと連載されていたわけじゃなく、数年のブランクなんてざらだった。初めは文庫本、途中文庫本の出版が待てないからJブックという大判の本、電子書籍でも読んだことがあっただろうか?最近は文庫本を買っていた。最後の「ありふれた祈り」はJブックで買ってしまったのだが、文庫本も同時発売だったらしい。小説を読み直したわけではないのだが、最終刊で過去のエピソードが出てくる旅に、その詳細まで覚えている自分にびっくりした。

25年間も一定のクオリティと雰囲気を保ったまま創作できた村山由佳もすごいなぁと思う。

結末として、「終わらせた」という感じだったが、どんな結末でも、物語を納得のいく形で「終わらせる」というのはとても大切なことだと思った。個人的には「軟着陸」だけれど、ファンであるけれど続編はいらないとも思った。

かわら亭

気温34℃超の上越市、今日も妙高市にあるかわら亭に行く。約2週間ぶりのサウナだ。サウナに入らないとどんどんふくらはぎがパンパンになって、血流が悪くなっているのがわかる。週一で行きたいものだ。しかし、天然水掛け流しの大水風呂なのだが、水温が20℃以上だというのがよくわかる。真夏のプールだ。冷えない。半身水浴でも冷えない。従ってととのわない。

こんな酷暑の中のサウナは、10分以上入っていられない。水風呂で体が冷えず、休憩でどんどん体温が高くなるから当たり前だ。1回目は6分でギブアップ、2回目も10分にもならないうちに出てきた。血流が良くなるのがわかるから、それでもいいか。

しかし、今日は空いていてとても良かった。ストレスを感じることなくリラックスできた。いろんなことも良し悪しだな。

今日のととのい度→1 ☆★★★★

新潟劇場「全山曲木」

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新潟セントラル証券での一場面

伊佐山:「お客様に多大な迷惑を掛けたのはお前の責任だよな」
三木:・・・・
伊佐山:「黙っていちゃわからないんだよ。お前がミスをしたからだよな」
三木:(あなたが勝手にここの担当にして丸投げしたからでしょう)
伊佐山:「ここにお客様代表がいらしている。お前が悪かったと詫びなさい」
三木:(あなたに相談しても、「好きにやれ」と言ったんでしょう)
伊佐山:「お客様の熱い気持ちを踏みにじり、不快な思いをさせたのはお前だろう?」
三木:・・・・
伊佐山:「詫びろ、詫びろ、詫びろ、詫びろ、詫びろ、詫びろ、詫びろ、詫びろ」

三木は土下座させられた。

また、新潟セントラル証券での、別の日の一場面

大和田:「全山君、あなたのやり方、あれ、あれでいいんですか?」
全山:「はぁ、どこか問題でも?」
大和田:「あれじゃあ、利益は上がらないですよね?」
全山:「目先の利益よりも、お客様が今後弊社と長い付き合いをしてもらうために必要なことかと。」
大和田:「そんなものは必要なーい!利益が出なけりゃ、お前がやっていることは、会社のためにならないんだ!わたしの経験ではそんなことやって今までうまくいった例しがない!」
全山:「それでも、市場分析では、長い目でみて、利益が出ているという報告もあります。」
大和田:「ショーコを見せろよ、証拠を!」
全山:「ですからこの資料を・・・」
大和田:「なんだ?こいつが分析した資料か?」
大和田は全山が持って来た資料を分析した研究者の写真を机上に置く
大和田:「こいつの市場研究は、わたしの見方と全く違っている。こんなやつのデータなんて信用するんじゃない。短期的な利益を出さないんだったら、やる価値がない!」
全山:(「損して得取れ」という言葉を知らないのか?長期的視点が無いものは、経営を語る資格がない。損しても得にする、「呼び戻し」だ!

※事実を元にしたフィクションです。


半沢直樹」、見れば見るほど東京中央銀行のブラックさと、中野渡の無能さが際立つドラマだなぁ。比べれば、帝国重工の方が段違いでいい企業だ。