Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

子ども扱いされて嬉しいのは、50を超えてから


先生は自分のことをなんて呼ぶ?

このシチュエーション、小学校で、体験入学をしに来た幼児が迷っているらしき姿を見た先生が声をかけたというもの。

先生が言う「お父さん」はこの幼児のお父さん。先生が言う「ぼく」は、この幼児のこと。

このシチュエーションのこの発話を聴いて、日本人なら、「ごく当たり前のこと」と思える。

日本の文化では、その場の最年少の人に合わせて人称代名詞を使うというものがある。この絵のシチュエーションもその通りのものだ。

「お父さん」は、先生のお父さんではないし、女性の先生が「ぼく」と言っているわけではない。もしそうだったら、この先生、自分のお父さんが来ているのか、来ていないのかわからない状態ということになってしまう。

「子ども扱い」しているかどうかの目安


次のシチュエーションは、中学校でのこと。中学生が、PTAの行事で保護者とどこかの会場に行くという設定。ところが、この中学生は1人で来て、どこに行けばいいのかわからない状態だったので、先生が案内しようか?というもの。

先生は、少々成長している中学生に対して「わたし」とは言わず「あなた」と読んでいる。

この風景も、「ごく当たり前のこと」と我々は思ってしまう。

しかし、「学校でのみ」ごく当たり前ということなのだ。

この先生は自分のことを「先生」と呼んでいることに注意してほしい。この場面の最年少の人に合わせて人称代名詞を使っているのだが、最年少の人が「こども」の場合、このルールが適応されるのだが、「大人」の場合そうとはならない。

「先生が」とは言わず「私が」と言わないのだろうか?

大学で教師が自分のことを「先生」と呼ぶことはほとんどないのでは?高校ではたまにあるかもしれない。中学校、小学校では、かなりの割合であるのではないか?

つまり、教師が児童・生徒と話をする時、自分のことを「先生」というのは、相手を「子ども扱い」しているということが分かる。

大人が医者にかかったとき、診察で、

先生が処方箋を出しましょうね。

とは言わないのでは?

「いい子」は褒め言葉?

児童・生徒・学生に対する褒め言葉で、

素直でいい子たち

というものがある。個人的には子どもに対してだったらまぁ、許容範囲なのだが、成人した大人に対してこの言葉を使う先生は多い。高校3年生の中には、成人している人もいる。

人に対して、「素直ないい子」って、褒め言葉なのだろうか?

素直であるということは、謙虚さを持っている面がある一方、自己主張していないという面もある。大人になって自己主張できないって、人の言うがままじゃん?これは我々が求める人間像かというと、そうでは無い。

「みんな素直でいい子」という人は、褒めているので、「それほど目くじら立てなくてもいいじゃん?」と思うかもしれないけれど、大人に対して「褒め言葉じゃない」ということは分かってほしい。だいたい、「みんな素直でいい子」のはずがない。子どものうちからそれぞれドロドロしているはずだ。

これを言う人は、「素直でいい子」と思い込みたいのかもしれない。しかし、目を逸らしている可能性もある。「いい子」は「都合のいい子」である場合もある。

50を過ぎたら、「素直でいい子」と言われる機会がめっきり減るので、たまには言われてみたい気もする。子ども扱いされて嬉しい(時がある)のは、50を超えてからだ。