Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

対話とコミュニケーションと「コミュニケーション能力」


うちの研究室では「対話」を研究している「対話が生まれる授業とは?」というものだ。

その前提として「コミュニケーション」とは?ということも考えなければならない。「対話」は「コミュニケーション」だからだ。

さて、「コミュニケーション能力」が高い人とはどんな人なのだろう?

あの人はコミュニケーション能力が高い

と思う時がある。それはどんな人なのか?また、

自分はコミュ障だから

と言う若者も多い。

コミュニケーションができる人と、コミュニケーション能力が高い人は違う気がする。

コミュニケーションができる人は、多くの人と会話出来る人。コミュニケーション能力が高い人は、コミュニケーションが上手い人という印象だ。

ちょっと古いデータだが、2014年日本経済団体連合会が「選考の際に重視する基準」で、「重視する」と解答したものの中でのトップは「コミュニケーション能力」で、82.8%でダントツトップだった*1。2位の「主体性」が61.1%なのだから、ほとんどの企業が重視しているということが分かる。

しかし、「コミュニケーション能力」の定義は曖昧だ。曖昧なものを基準にしているので、応募者は困る。果たして自分はコミュニケーション能力があるのだろうか?と悩む。以下の項目で、「コミュニケーション能力が高い」と思える人は、どれだろうか?

  • のべつ幕なし喋っている
  • 自分が言いたいことを言って、相手の話は受け入れない
  • 誰とでも会話ができる
  • 自分の都合のいいときに話しかけてくる
  • 相手の顔色をうかがって言うことを変える
  • 何でも相手の言うことに賛成する
  • 相手の迷惑ばかり窺って、言いたいことを言えない

上げればきりが無いが、喋っていれば「コミュニケーション能力が高い」とも言えないし、極度に相手のことを慮ってばかりいて自分は喋れないのも、もちろん高いとは言えない。結局は

相手に対する配慮ができる

という言葉に尽きるのだろうと思えてくる。

あまりにも遠慮して(こんな事言ったら悪いかもと思って)何も喋らないのは、「配慮が無い」といえるし、もちろんその逆で、相手がうんざりしているのにも気づかないで自説を主張するのも「配慮が無い」。どちらもコミュニケーション能力が低い。

学生の私に対する態度で、私が「教授」だからといって、異常に「恐れて」いる人もいる。私の「人」を知らないからかもしれないからだが、ツッコミ待ちでボケているのに、ツッコまない学生もいるし、的確にツッコんでくる人もいる。

こんなこと質問したら悪いかな?といって、分かったフリをして結局そのままにして、分からないままにしている人もいるし、その都度「◎◎って何ですか?」と聞いてくる学生もいる。

ツッコミや質問って、コミュニケーションの発端だ。その機会を逃す、またはその機会を捨てている人は「コミュニケーション能力が高い」とは言えない。今思えば、今年卒業した学生は、これらのことが上手だったな、と思う。

ツッコミや質問ってコミュニケーションの発端だし、対話の発端である。初期段階の「配慮」だ。これが出来なければ、「対話」は生まれないのだろうな。

さらに進んで、「自分の表現がどのように相手に受け取られるかな?」、「相手はどんなことを望んでいるのかな?」という「配慮」により、更なる高い「コミュニケーション能力」が発揮される。

とりあえずの表現、興ざめな返答、空間や時間を埋めるだけの表現をしているだけの人は「コミュニケーション能力が高い」とは言えない。対話も生まれない。

*1:服部泰宏:採用学、新潮選書、2016、P.69