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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

なぜ人を殺してはいけないのか?

「なぜ勉強させるのか?教育再生を根本から考える」(諏訪哲二著 光文社新書)を読んだ。

その中に、1つのエピソードが載っていた。これはきっと有名なエピソードなんだろう。私も聞いたことがある。

あるテレビ番組で少年が「なぜ人を殺してはいけないのか?」と質問した。そこに出ていた良識人たちは、誰も少年を納得させる答えを出せなかったというのだ。本では、「きっと、少年も誰も自分を納得させる答えを言わないことを見込んで質問した『確信犯』だろう。」と書いてある。

そしてその後大江健三郎がそのことに関して「そういう質問はすべきではない。倫理性を欠いた質問だ。」とコメントしたそうだ。

本を読みながら、大江健三郎はどうしてこのようなコメントをしたのか?私だったらどう答えるだろう?と考えた。ずーっと頭の中にあったのか、夜中3時頃トイレに起きたときにはっと気づいた。夜中寝ながら考えていたんだろう。何に気づいたのかというと、「この問いは間違っている。」ということにだ。

「人は何のために生きているのか?」という問いを例に取る。この質問に答えは出ない。人は何のためにも生きていず、生きることが目的だからだ。つまり、「生きるために生きている」という答えになってしまう。そういう答えが生み出されると言うことは、この問い自体が間違っているということだ。

「自分は甲子園(大会に出場すること)が目標だ。」と野球部に所属している生徒に対して、「甲子園に行けなかったらどうするか?」という問いは可能だが、「甲子園(大会)が無くなったらどうするか?」という問いはまさに「倫理観を書いた」問いであるし、してななら無い問いだろう。

「生きることが目標」であるにもかかわらず、「生きること」自体を否定する問いはしてはならない問いだし、間違った問いだ。

……と、ここまで書いていて論理的に破綻したことに気づいた。夢の中で考えたことは論理性がないなぁ。でも何かがわかった気がしたんだけれど……。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対する私の用意する明確な答えは「あなたが死なないためだ。」だ。「人を殺してもいい。」となると、「あなたが死んでもいい。」ということになるから、「生きることが目標」を否定するということで、「間違った問い」に繋がったのかな?