Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

究極の状況での教育

2025年から見始めたアニメとドラマでは、究極の世界が描かれていた。それらの世界で教育は必要なのか?ということを検証し、教育の意味を追究してしてみるのも面白い。

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その1目は「終末ツーリング」だ。アニメでは原因はまだ語られていないが、世の中にたった2人になってしまい、世界は人間のいない状態になっている。

主人公の少女は、アンドロイドらしい少女と一緒に電動バイクでツーリングし、日本の全国の名所を回るという設定だ。

火山や気候変動があり、地形がずいぶん変わっていて、建造物が廃墟化している。道路も崩れていたりするが、スマホに残っている主人公の姉が訪れた場所の写真や位置情報を頼りに「観光」をしていく。

食料は釣りをしたり、各施設に残っている缶詰などを食べながら移動していく。

さて、このような状態で必要な教育(教科)とはなんだろう?

tv.apple.com

www.gqjapan.jp
2つ目は「プルリブス」で、Apple TVで視聴可能なので、誰もが観られるわけじゃないけど、Appleディバイスを新規購入したり、アップルアカウントにチャージすると無料視聴期間が得られるので、ぜひ観てほしい。ただ、現時点でまだSeason1しか観られない。

この世界は、宇宙からのメッセージを受信し、その解析結果を人間が受けとると、人間同士の思考や感情や知識が同一化する。

ウイルスのようなもので、感染した人の粘液等で感染し、数日間で全世界に行き渡り、全世界の知や感情が一つになった。

みんな同じだから、争いや差別は起こらない。もちろん戦争も起こらない。競争も起こらない。テレパシーみたいなもので意思は通じているから、言葉の違いによる意思不疎通も起こらない。

ただ、ウイルスに対する免疫を持っている人もいるわけで、その人は「みんなと一緒」にはならない。それまで通りのアイデンティティーを持っている。主人公もその一人で、世界中に12人くらいいる。

他の人たち(「我々」)は、主人公を「我々」と同じようになってほしいと望んでいるが、無理強いはしない。主人公の意思を尊重する。相手の意思をねじ曲げようという概念がない。主人公はこの状態について「我々」に質問する。「我々」は正直に答える。「噓をつく」という概念がない。

主人公(たち)の生きていくための願いを叶えようとする。「我々」の意思は1つなので、主人公のお世話は近くにいる全ての人が効率的に行う。

主人公は元の世界に戻したいと思って方法を模索するが、先が見えない。そこでまだ感染していない1人の仲間が一緒に世界を元に戻そうと現れる。というところでSeason1終了。

さて、このような世界で必要な教育とはなんだろう?もう全ての教育はいらないような気がするが、いるとしたらどのような教科分野の教育が必要なのだろうか?

対話して追求してみよう。

丙午2026年の目標

出生数及び合計特殊出生率の年次推移(厚労省

*1

なんと、年男であり、還暦である。

今年の目標を立ててみる。

  1. ランニングの距離を合計190㎞以上にする(昨年は150㎞)
  2. アウェイゲームに2試合以上参戦する
  3. 現状維持、年末まで生きる
  4. 私が入っても対話が発生するゼミ運営をする
  5. 過去に起きたことをくよくよねちねち考えると削られるので、前向きに変えられる未来のことだけを考える
  6. 伊集院光さんのラジオで投稿を読まれる

昨年とほぼ同じ。ちょっと後退している分もある。

番号が後になるほど難しさが増す気がする。

新春の一句

ランキング気にしなければナンセンス

生まれ年別人口グラフを見ると、60年前だけガクンと落ち込んでいる。「丙午に生まれた女性は男性を食う」という迷信が60年前にはかなり信じている人が多く、このような状況になっている。

私が生まれた時代は、前近代的な、呪いや迷信が横行している時代だと言えるし、それが社会に影響を与えて、社会を動かしていたということだ。

じゃあ、そんなことは大昔のことなのかというと、ここ数年のコロナ禍で人間たちがどれほど科学に基づかない行動をしていたのかというと、60年前と同レベルだと思う。

勝手に県外人がコロナを感染させると思い込み、県外ナンバーの自動車に石を投げ、マスクをしていない人に奇異の目を向け、医療に携わっている人の子供の保育園入園を拒否する。

むしろ、60年前とほぼ同じなのでは?

こういうことは、全て教育をすることで回避できることなのだ。

そういう自覚を持って教育に携わる人は仕事をして欲しいし、これからなろうとする人はこの自覚を持って欲しい。

教育をすることで逆に「思い込み」、「迷信」、「風評被害」を広めている人は現実にはまだまだたくさんいる。(989字)

「結果」重視の弊害

結果で過程を測ってしまいがちなのが学校教育だ。

テストの得点結果で、そこまでに至る過程(どのように何を学んだか)を測りがちだ。テスト問題に出てこなかった部分を学んで習得していたとしても、それは「運が悪かった」として、学んでいなかったことにされる。

逆に、テスト問題を事前に知っていて、または、カンニングしてテストの点数が良く、それがバレなかったら、「良く学んだね」と過程も評価される。

結果重視の弊害はもう1つある。結果だけにこだわり、結果さえ出れば(出せば)いいと思ってしまうことだ。

酷い指導をして、人間関係がぐちゃぐちゃで、反則まがいのことをしてでも上位大会に出場し、勝ち進めば、その練習、指導過程が肯定される。だから、高圧的な指導、それのはけ口として生じるいじめが無くならない。

最後に、結果が悪かったからといって、それまでの過程を否定してはいけない。結果なんて運に大きく左右されるものだからだ。(407字)

学校のせねばならぬはなくさねばならぬ

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昭和の学校は「学校に行かねばならぬ」で運営してきた。

「義務教育」という語は「学校に行かねばならぬ」という誤った解釈を児童生徒に植えつけた。「行かなければ……」という根拠のない強迫観念を植えつけ、学校に行けない児童生徒の心を痛めさせた。

高校教育でも「サボリ」じゃなくても、例えば「家族旅行」等で学校を欠席する場合でも、「そんなことで欠席するの?」という空気を作ってきた。

裏を返せば、そういう空気を作らなければ生徒が通う意味を見出せない場だったとも言える。生徒の主体性を育めていない。

「タコピーの原罪」においても、いじめられても学校しか行くところがないから、しずかちゃんは学校に通い、いじめは続いた。「いじめられるから、こっちにいる」という選択肢はなかった。

そうじゃ無い世界の方が健全だ。(409字)

AIロボ先生同士の会話はどうなる?

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からの思考実験はまだつづく。

学校に採用されたAIロボ先生、1人とは限らない。複数人数のAIロボ先生が採用されたら、AIロボ先生同士の会話はどうなるのか?

ja.wikipedia.org
ちょっと昔、「チューリング・テスト」というのが話題になった。人間と人工知能の会話(チャット)で、人間が相手を人間だと見破れなければ、その人工知能の性能は高いというテスト。

2014年、「Eugene Goostman(ユージーン・グーストマン)事件」として、33%の人が見破れなかったということだ。

じゃあ、AI同士の会話はどうなるのか?と調べてみたら、相手をAIと理解して(互いに自己開示して)、マシン語(? ビープ音)で会話をするようになったという。
www.gizmodo.jp
動画で閲覧できるが、こりゃ、R2-D2の会話だ。1977年にジョージ・ルーカスはもうこんな会話を想定していたというのにも驚き。

解説によると、人間が使う言語では、無駄が多いから、マシン語えやりとりをした方が効率的だとAIが判断してそうなったらしい。

面白いのが

  • 自分がAIだと隠さないということ
  • 人間の言語は無駄が多いと判断していること

AIは効率を超重視するということなのだが、これは人間社会から学習した結果なのか?それともAI独自の判断?(804字)

Win-Winと三方一両損

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Win-Win」という語が好きな人は、裏に「得にならないことはしない。」という意識が見えてしまう。

それが「得」かどうかはその人次第なのだろうけれど。

「情けは人のためならず」も同じような意味合いだが、時間的に「Win-Win」よりも緩やかだし、「得」も、それが感じられるんだか、感じられないんだか……という感じだ。

風が吹けば桶屋が儲かる」に至っては、自分に利益が来るわけではない。ましてや「三方一両損」は、みんなが損している(実際は、拾った人がちょっとプラス)ので「Win-Win」とは対極だ。

三方一両損」がいいと思える心の余裕が欲しいし、結果的に「和」という「得」を得られている気がする。(402字)

思想や理念は教育により醸成される

www.nhk.or.jp

ドライブ中にはNHKラジオの朗読をよく聞いている。良質な作品を無料で聞ける。

そしてお盆前後には毎年戦争を扱った作品を朗読する。

リンク先の「朗読 松重豊が読む、司馬遼太郎「昭和という国家」」は、司馬遼太郎が客観的な見方で、資料をもとに太平洋戦争の無意味さを記述している。松重豊の朗読が、淡々としていてよい。

司馬遼太郎の見方では、「昭和前期(元年〜20年、書かれた当時での「前期」ということ)だけがこれまでの日本の歴史において、為政者たちが自分だけのことを考え、国や国民のことを見なかった「異様な」時期だったと断じている。

それまでの官僚はどこの時代でも「まとも」だったが、昭和前期だけおかしかったからあのような負けると分かっている戦争を続けてしまったという。

尊皇攘夷」というチープな思想にかぶれた官僚が大局を見られず、何の根拠もない「日本の兵隊さんは優秀だ(当時、小学校の教科書に書かれてあったことらしい)」という「洗脳」により「何とかしてくれるだろう」と思い、戦いを続けたという話が印象的だった。

1939年ノモンハン事件では、日本の軍事力が劣勢で、しかも、そこで70%以上の兵隊が死んだという。そんな戦いは世界を見てもほぼないという。ヨーロッパでは30%の兵力が無くなった時点で、現場の責任者が上に指示を仰がなくても撤退できるルールがあったという。

そのパターンで測れば、40%の戦死が「無意味」だったという。この事例をもとに、日本は戦争を止められず、確定的な崩壊まで続けざるを得なかった。

「朗読の世界 宮城喜久子「ひめゆりの少女・十六歳の戦場」」では、女優の池間夏海が朗読をしている。これは、25回連載で、1週間前までしか遡って聞けないのだけれど。16歳の女学生の体験をほぼ同世代の池間夏海が感情をほとばしらせながら朗読するのが胸に刺さる。
www.nhk.or.jp

今まで「生きて虜囚の辱めを受けず」と教育されて、捕まるぐらいなら自決すると思い込んで逃げ延びてきた。常に手榴弾を携えていた。しかし、敗戦が決まり、米兵に投降する日本人を後ろから日本兵が狙撃するという光景を見た少女が、今まで教えられたことに疑問を持ち、それが瓦解する場面がある。

「洗脳」はそれまでの教育によってなされていたということ。学校教育がその一番の担い手になっていたということが分かる。無論、教育は学校だけでなされるわけではないが、その「怖さ」を思い知る朗読作品だった。