Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

子ども同士の可視化

あべたかさんのブログで、『学び合い』をすると活発な生徒も、そうでない生徒もよく見えてくるという記事があった。そうそう。よく見えるんだよね。

そこでふと考えた。教師に見えるということは、子ども同士にもお互いがよく見えるということじゃないか?いわゆる「可視化」だ。教師が意図して声を上げたり、黒板を使ったりしなくても、『学び合い』自体が「可視化」と同義なのではないか?と思った。

子ども同士でよく見ているから、やる気がない子どもも、何となくやる雰囲気を察してやるようになるという姿をたくさん見ている。そこには『学び合い』での自然の可視化があったからだろう。

一斉授業では、少なくとも自分の後ろの子どもの学習の姿は見えない。しかし『学び合い』では、後ろだろうが前だろうが、見ようと思えば見えるし、感じられる。雰囲気を感じるということが非常に重要なんだなぁ。まさに「空気を読む」である。空気を読める状態を教室に作るのが『学び合い』か。

その空気を作るの(目標設定)が教師の仕事。うーん、こう考えると教師の職能はかなり高度なことだということが分かる。