Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

「下流志向」を読む③すでにゲームは始まっている

高校教師という職につき、常に悩まされてきたのが「学ばない子どもをどう学ばせるか」というものだ。これは高校だけではなく、全ての校種での悩みの種だろう。

この問題の一番の解決策は「あきらめる」というものだ。「学ばない本人が悪い」と理由をつけ、放棄(放置)する。私もその魔力に取り付かれたときもあった。また、そう考え、放棄している教師はたくさんいる。

しかし、それでは日本はよくならない。よくならないどころか、日本が滅びる方向へ行ってしまう。

じゃあ、解決策ということで、「勉強して大学に入ろう!」とか、「勉強しないと赤点取るぞ。」とか、「勉強しないと職に就けず、生活できないぞ。」とか、そういう正・負の動機づけで頑張らせようとする。でも、学びを放棄した子どもにとって、そんなのは関係ないのである。むしろ、「みんなが学ばなければ、みんなが競争から抜け出て、楽になる。」ということを体感的に知っている。

次には、おもしろおかしい授業を考える。授業に関心を持ち、授業中寝ないようになる。しかし、その時間だけである。「学び」が身についているわけではない。これでは授業が終わったり、学校を卒業したら学ばなくなる。

「学び」とは、「知らないことを知らないですませたくない」という気持ちと、それに伴う行動である。

内田樹先生は子どもが言語を習得する例を出し、
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母語の学習を始めたときには、これから何を学ぶかということを知らなかった。これがたいせつなところです。(中略)
 つまり、期限的な意味での学びというのは、自分が何を学んでいるのかを知らず、それが何の価値や意味や有用性をもつものであるかも言えないというところから始まるものなのです。というよりむしろ、自分が何を学んでいるのか知らず、その価値や意味や有用性を言えないという当の事実こそが学びをどう気付けているのです。(中略)
 学びのプロセスに投じられた子どもは、すでに習い始めている。すでに学びの中に巻き込まれしまっているのでなければならないのです。
(PP.63-64)
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と書いている。また、原始経済(交換)活動を例にとり、
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 すでに交換のゲームは始まっていて、気がついたときには贈与する義務を負うプレイヤーとしてゲームに参加しているというのが交換というゲームの基本的な構造です。これは言語の場合も、経済活動の場合も同じです。
(P138)
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と書いている。

かつて言語を習得するというゲーム(「学び」)をおこなっていた子どもたちをゲームに引き戻す(「学び」に向かわせる)には、「もうゲームは始まっていて、あなたはプレイヤーの一員ですよ。」と思わせる必要があるということだ。

どうするか。『学び合い』である。ゲームに参加しているという自覚が無くても、「もう、ゲームは始まっていて、みんなはもうゲームをプレイしていますよ。と思わせることにより、学びのゲームに引き戻すことができる。というか、それしかできないような気もしてきた。

究極的には、実質クラスの誰一人ゲームに参加していなくても、教師の語りによって、「ゲームは始まっていて、みんなプレイしていますよ。」と個人に思わせることにより、『学び合い』文化を創っていくのが教師の仕事だ。




","jun24kawa�w美しいポエムのようだ・・・<br>内田さんも、片桐さんも�x
F-Katagiri�wそんなにほめていただけるなんて、お恥ずかしい。何かウラがありますね。わかっています。�x
nokogirisou�w最近私は「学び合い」という文化の創造に関わりたくでしかたない。ところが文化を創造するってなかなかむずかしい。自分ばっかり楽しんだり興味を持ったりしていても文化にならないしね。でも教師の語りで生徒個人に「思わせる」というのは文化創造の基本だと思う。文化は思いこみから生まれると私は考えています。�x
F-Katagiri�wnokogirisouさん、コメントありがとうございます。<br>文化はまずは「信じる」ことから始まるんでしょうね。信じれば、それが習慣になり、文化になります。一方的な「一斉授業」もそれがいいとみんなが信じているから日本の文化になっちゃっている。その文化を崩すのもまた、難しいことですが、「信じる」ことから始めないといけませんね。�x
tsmumu�w文化はまずは「信じる」こと、ですか・・・。まだ私には実感を伴っては理解できませんが、とても大事なことなんだろう、と言う気がしています。刻み込みたいと思います。�x
F-Katagiri�wtsumumuさん、コメントありがとうございます。結果が出ない時は笑うか信じるか、どちらかです。しかし、こちらが信じないと、子どもたちはその気になりません。疑うよりも、子どもたちの力を信じた方が幸せですよね。�x