Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

絶対に教えられないこと

3年現代文の授業では、「テキストにあたる」ということを目標におこなっている。文章を読み飛ばさずに、こだわって、何か著者のメッセージや思いを感じてほしいのだ。

かといって、「著者のいいたいことはこれだ!」という1つの「正解」を探すのではなく、「自分はこれを読み取った」という自分が納得する「こたえ」を導き出してほしいのだ。

子どもたちの学習風景をみていると、わからないことがあるとそのままにして平気でいる。文章を読むときに「おや?」という引っかかりを探求しようという意識が薄い。さらっと一読してわからないと「わからない」で終わっちゃっている。

それじゃあといって、私がその文章を解説したからといって、それは私の「引っかかり」を説明しただけであって、子どもが引っかかりをみつけたわけではない。その子どもの「読み取り」にはなっていない。

つまり、「テキストにあたる」というのは、絶対に教えられないことだ。絶対に教えられないことはどうやって身につけていくのかというと、授業においては『学び合い』しかないのかな?と思っているが、身についたか身についていないかを測る基準がない。

「この学習(または課題)は自分で納得したものかどうか。」という基準が『学び合い』では必要になってくるのかな?



","nokogirisou�w「テキストにあたる」というのは教えられないけれど、サンプルは示せると思います。もちろん「学びあい」しかなくて、教師の読み方、クラスメイトの読み方から、何か体験的に生徒は学んでいくのではないでしょうか。自分自身、やっぱりそうだったように記憶します。人の深読みを知って、ショックを受けて自分も試してみるとか、反論を考えるとか、そういう繰り返しの中で「テキストにあたる」方法を体得していくのだと思うのですが。�x
F-Katagiri�wnokogirisouさん、コメントありがとうございます。サンプルを示す授業はしています。教師が教師の「読み方」を教えるのではなく、『学び合い』で多様なサンプルにたくさん触れられる授業をしております。<br><br>「正しい」・「深い」読みのサンプルではなくても、ちょっとかじりかけの読み方が交流することで、どんどんリンゴ(テキスト)を食べていく姿も見られるようになります。人の読みに触発され、食べていくという感じでした。�x