Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

阿智村立浪合小学校

今年の修了生H君のクラスを視察にいった。H君は大学院時代からも気の利く,配慮のある院生さんだったが,仕事をし始めてそれにたくましさが加わったような気がした。3人しかいない1年生の担任をしていて,少人数ならではの問題点に対して奮闘しているという。

教室にいったら,男子2名が大きな声で出迎えてくれて,ティッシュを鼻に入れてそれを吹き飛ばすという見事な芸で歓迎してくれた。1年生って,こんな感じだったかな?自分の息子たちの1年生の時もこうだったような気がすると,懐かしく思いだした。

授業は国語で,音読中心の授業だった。1年生だから集中力が続かないところがある。しかし,そこをH君は怒ることなく「待つ」。待つことができる教員はなかなかいない。校長先生も,我々も見ているからといって,体裁を気にして強制的にやらせようとはしない。「子どもたちは必ず学びたいという気持ちがある。」と信じる覚悟がある。

待っていると自分でやり始める。「◎◎君,準備が整ったら読み始めて下さい。」と待っていると,ふっとテキストを読み始める。群読の授業だ。これには驚いた。教師側で「せーの,」と音頭を取るわけではない。「学び」のゲームにもう入っているんだということを子どもたちは分かっているんだ。しかもそのゲームリーダーは自分なんだと分かれば,やり始めるに決まっている。

ちょっと長い休み時間,3人の子どもたちに,「片桐先生,サッカーしよう!」と体育館に誘われた。よーし,と,久しぶりにボールで体を動かしたくなった。私を入れて4人で,2対2のチーム戦でサッカーができる。いつもはH君が入っているのかな?体育館に行く途中(長い廊下を行かねばならぬ),「うちにはチャイムがなくって,自分で時間を守るためなんだって」などと浪合小学校の教育理念を教えてもらう。よく理解している。

サッカーは,久しぶりにやって,楽しかった。汗かいた。

給食が終わったあと,「ハミガキに行こう」と手をつながれた。小学生の子どもと手をつなぐって,こんな感じだったんだ,と息子と手をつないだ昔を思い出した。ようやく小学1年生との付き合い方を思い出してきた。

実は群読の授業をやってくれと頼まれていたのだが,小学1年生に授業をしたことはなかったし,間合いを間違えて接してしまって,取り返しの付かないことをしたら大変だな,とひるんでしまって,教材だけ提供して臆してしまったのだ。チキンだった。授業をやっていたら,もっと仲良くなっていたな,と思った。でも,H君以上の授業はできなかったな,とも思った。

別れを惜しんで写真を撮った。あんな元気なのに,写真を撮られるときはシャイになっていた子どもたちだった。

上越市から南下して,南信州の地は初めてだったが,愛知に近く,静岡に近い,私の知っている信州とはちょっと違う雰囲気の土地だった。