Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

文学読み取りの有時間性

下流志向」には、文学や、音楽は「有時間的」に読む(感じる)ものであると書いてある。例えば音楽は、今聴いている「音」だけでは音楽を感じることができない。もうすでに聞いた余韻と、これからくる音の予想で音楽を味わうのである。

文学も全く同じで、今読んだことがすぐ理解できずに、後を読んだことによって、理解できないことが理解できるというものだ。

しかし授業で文学を扱うときには、無時間性のものとして扱ってしまう。子どもたちに文章の最初から順を追って「わからせながら」扱う人が多い。「あともどり」をさせる余地のないまま、教師の読み方(読む手順)を押しつけていく。

しかし、文学の読み方(味わい方)なんてものは、人それぞれで、疑問に持つところ、わからないところも人それぞれだ。後戻りしたい箇所も全く違う。教師が考えさせるところを押しつけることにより、じつは子どもたちは考えることがなく授業が進んでいくという矛盾がある。

今「羅生門」で、「下人はいつどのように〈大人〉になったか。」という課題を与えて、4時間でみんながわかるようにしようね。としている。

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