Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

内田樹先生が朝の読書に言及

10月8日(水)付のブログで「朝の読書」に関して言及していらっしゃいました。「活字中毒」の現象に絡めて。

朝の10分やそこら、手近の本をぱらぱらめくったくらいで「読書」になるものか、と思っていたからである。
ところが、卒論の発表の中で「朝の読書は国語の勉強ではありません」という話と、「朝の読書をすると記憶力が向上することが知られている」という指摘に「びびび」と来たのである。
そ、そうだったのか。
私が「朝の読書」ということの有効性をうまく理解できなかったのは、「読書」という語に惑わされていたからである。
あれは「読書」ではなく、「読字」だったのである。

最近私も同じようなことに気づき始めていた。朝読では「集中力が付く」なんていう子どもたちの評価が多い。読書をしていた私にとっては思いもしないことだった。読書をする前に集中力が付いていたような気がしたからである。

逆に集中力がないから読書をしなかったのかもしれない。いわゆる「読書指導」の前段階を朝の読書が担っているのだ。読書をする集中力がない子どもたちに「読書指導」をしても効果は期待できない。

朝の読書が始まったのは、集中力や記憶力を期待してではないけれど、「活字を読むと何かが起こる」という漠然とした見通しがあったからじゃないかなぁ?

「佃煮のラベル」でも「風邪薬の効能書き」でも、毎朝10分舐めるように眺めさせれば「朝の読書」と同様の効果が上がることをどこかの先生が実験してくれないかしら。

うーん、「記憶力」「集中力」レベルでは同様の効果があるかもしれないけれど、「朝の読書は『学び合い』だ!」という論を持っている私にとっては、完全に肯けないなぁ。