Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

企業は採用をなぜ学校の成績で判断するか?

クラスが落ち着かないので、LHRの最初に語った。

企業が採用するかどうかをどうして学校の成績で判断するのか、考えたことがありますか?大学や専門学校だったら、そこでする勉強が高校の勉強の延長だと考えれば、高校の成績で合否を決めるのは何となく分かります。しかし、企業で学校でした勉強そのものが活きるんでしょうか?ほぼ活きません。

私だって高校にしていた数学や理科が今の仕事に活きているかというと、その一部分は活きているかもしれないけれど、大部分はすっかり忘れています。この間連立方程式を解こうとして、全く忘れている自分に愕然としました。しかも中学レベルの連立方程式です。

じゃあ、どうして学校から離れればすぐに忘れてしまうようなものを基準に採用を決めるんでしょう?仕事に関係なければ幅跳びの長さや、どれだけ息を止めていられるかで決めてもいいじゃないですか?

それは、みんなが今「生徒」だからです。生徒であるということは、本分は勉強なのです。今、目の前にあることに対してどれだけ一生懸命になっているかを測るために成績で見るのです。部活動だけ一生懸命やって勉強はおろそかにしている人もいるでしょう。しかし、部活動を辞めてもこの学校にいられるけれど、勉強を辞めちゃったら結局のところこの学校にいられなくなります。つまり、今、目の前にあって、しなければならないのは勉強なのです。

好きな教科、嫌いな教科もあるでしょう。好きなものはして当然ですが、嫌いなものはしなくていいのでしょうか?仕事をし出したらイヤな仕事、イヤな人とつきあっていかなければなりません。好きなことだけしていればいいということは絶対にありません。イヤなものでもなんとかやっていけるかどうかを企業は成績で見ているんじゃないでしょうか?

私だってこの仕事を続けて20年になりますが、いつも「向いていない」と思っています。年に数回「この仕事でよかった」と思うことがあるだけです。仕事の半分、いや、仕事の3分の2ぐらいは「嫌な仕事」、「向いていない仕事」だと感じたりします。する仕事、する仕事、もう楽しくて仕方がないということはありません。しかしこれでも何とかやっていけるのは、「何とかうまくやろう。」「何とか頑張ろう。」と思う気持ちがあるからです。

だから例えば私がコンビニの店員になったとして、その仕事が向いていなくても「地域一番コンビニ店員」になる自信はあります。「あの人がいるからあのコンビニに行こう。」と思われる店員になる自信があります。仕事とはそういうものです。

目の前にあるものから目を背けていませんか?背けていたら一生何をやっても「向いていない」と思って生きていくだけですよ。「やるべきこと」「やった方がいいこと」を今やってください。

今日はこれから文化祭準備の時間ですが、自分で何をやるのか見つけて、自分で動いてください。

そこで文化祭準備に移った。これを語ったせいか、初期動作は速かったなぁ。しかし後半はだらけていたけれど。「これから説教をします」と前置きすると姿勢を正す生徒がいることが救われます。