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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

「深い学び」について

新学習指導要領で柱になっている授業実践の視点「主体的・対話的で深い学び」で,「深い学び」が最もつかみ所が無いものだと思う。「豊かな学び」とか,「深い学び」というものは,漠然と当たり前のように使われて,具体的にどのような状態が「深い学び」になっているのかを言語化しないままでいた。

「中学校学習指導要領解説 総則編(2017.7)」から読み取れる「深い学び」について考えて,「深い学び」とはこうなんじゃないかな?というものを探っていく。今回は引用が多い。

解説では「これが『深い学び』だ!」と明確に定義はしていないが,「深い学び」だけに言及している部分はある。


「第1章 総説 1 改訂の経緯及び基本方針 (2) 改訂の基本方針 ③ 「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善の推進」

オ.深い学びの鍵として「見方・考え方」を働かせることが重要になること。各教科等の「見方・考え方」は,「どのような視点で物事を捉え,どのような考え方で思考していくのか」というその教科等ならではの物事を捉える視点や考え方である。各教科等を学ぶ本質的な意義の中核をなすものであり,教科等の学習と社会をつなぐものであることから,児童生徒が学習や人生において「見方・考え方」を自在に働かせることができるようにすることにこそ,教師の専門性が発揮されることが求められること。(P.4)

  • 教科ならではの「見方・考え方」を働かせると「深い学び」に繋がっていく。
  • 教科等の学習と社会が繋がることにより「深い学び」が起こってくる。


「第3節 教育課程の実施と学習評価 1 主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」

主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善の具体的な内容については,中央教育審議会答申において,以下の三つの視点に立った授業改善を行うことが示されている。〔中略〕
③習得・活用・探究という学びの過程の中で,各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら,知識を相互に関連付けてより深く理解したり,情報を精査して考えを形成したり,問題を見いだして解決策を考えたり,思いや考えを基に創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているかという視点。(P.76)

  • 各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら,知識を相互に関連付けてより深く理解する。
  • 情報を精査して考えを形成する。
  • 問題を見いだして解決策を考える。
  • 思いや考えを基に創造したりすることに向かう。

というものが「深い学び」の実現されている姿であると書いてある。

1つ目は「深く理解」とあるので,「深い学び」の説明とは言えないが,様々な情報や既習事項を関連させて新たな考えを持ったり,問題を発見して解決策を得るということだと言っている。

主体的・対話的で深い学びの実現を目指して授業改善を進めるに当たり,特に「深い学び」の視点に関して,各教科等の学びの深まりの鍵となるのが「見方・考え方」である。各教科等の特質に応じた物事を捉える視点や考え方である「見方・考え方」は,新しい知識及び技能を既にもっている知識及び技能と結び付けながら社会の中で生きて働くものとして習得したり,思考力,判断力,表現力等を豊かなものとしたり,社会や世界にどのように関わるかの視座を形成したりするために重要なものであり,習得・活用・探究という学びの過程の中で働かせることを通じて,より質の高い深い学びにつなげることが重要である。

なお,各教科等の解説において示している各教科等の特質に応じた「見方・考え方」は,当該教科等における主要なものであり,「深い学び」の観点からは,それらの「見方・考え方」を踏まえながら,学習内容等に応じて柔軟に考えることが重要である。(PP.77-78)

  • 各教科等の特質に応じた物事を捉える視点や考え方によって「深い学び」が起こり,学びが「社会の中で生きて働く」ものとなり,「社会や世界にどのように関わるかの視座を形成」することになる。


以上のことをまとめるとこのようになるだろうか?

  1. 教科特有の「見方・考え方」を得る
  2. 既習事項と今の学びを結びつけ,新たな考えを得る
  3. 新たな課題を見いだし,解決策を得たり,新たなものを想像する
  4. 学んで得たものがどのように社会に関わっていて,どのように社会で働かせられるのか,どのように影響するのかを得る

最後の方は私の発展的解釈も入っているが,「深い学び」が起こり,現実に社会に働かせることが出来ればいい授業になるなぁと思う。

内田樹さんはこんなことを言っている。

「学び」というのは自分には理解できない「高み」にいる人に呼び寄せられて,その人がしている「ゲーム」に巻き込まれるというかたちで進行します。この「巻き込まれ」が成就するためには,自分の手持ちの価値判断の「ものさし」ではその価値を考量できないものがあるということをみとめなければいけません。自分の「ものさし」を後生大事に抱え込んでいる限り,自分の限界を超えることはできない。知識は増えるかもしれないし,技術も身につくかもしれない,資格も取れるかもしれない。けれども,自分のいじましい「枠組み」の中にそういうものをいくら詰め込んでも,鳥瞰的視座に「テイクオフ」(take-off,離陸)することはできません。それは「領地」を水平方向に拡大しているだけです。(「街場の教育論」ミシマ社,2008,P.59)

自分がおこなっている学びは広い視座を持つことによりどのような価値があるのかわかる。自分は何をわかって何がわからないのかわかる。これらが「深い学び」に通じていると思う。内田樹さんは「テイクオフ」と言って,高い視点を持つと言っている。文科省は「深い」と対称的だが,同じことだ。

簡単に言えば,学んだことの意味がわかると言うことだろう。

意味は自分で見つけろ。(熊徹,「バケモノの子」,2015)