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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

味噌汁作りで理科の4領域を学習する


20200721「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」味噌汁作成
「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」では、味噌汁を作った。(院生の高橋さん担当)

理科と家庭科の目標

理科の4領域は、「エネルギー」、「粒子」、「生命」、「地球」なのだが、理科の「見方・考え方」とは何か?を考える時間に、教科書で、それぞれ領域別の事象を学んだとしても、教科書に書かれてあることが、普段の生活から離れすぎているので、イメージが付きにくい。じゃあ、日常生活の中の活動を理科の見方・考え方で分析することで、理科の目標を達成できるのでは?理科の目標は「科学的に探求する技能、力、態度を身に付ける」だが、「科学的に探求する力」は、他の教科では身につかないのか?例えば家庭科、ということで、理科と家庭科の違いを考えてみた。

家庭科の目標は「科学的に探求する力」を養うことではない。よりよい生活を送れるようになることだ。おいしい味噌汁を作るために、科学的に探求する力が必要になり、そこで理科の目標を達成する手段にもなるのでは?と思い、味噌汁を作った。

今回の授業は味噌汁を作る過程で、気づいたことを書きとめ、それをどうやったら検証できるのか?ということを考える授業となった。

エネルギー

ガスコンロに火を付ける。これだけで「エネルギー」の領域を学べる。火の色を見る。オレンジだったり青だったり。色の違いは温度の違い(らしい)。本当にそうなのか?はどうやって検証すればいいのだろう?

火のエネルギーが鍋に伝わり、やがて鍋の中の水に伝わる。本当にそうなのか?はどうやって検証するのか?

鍋の中の水の水面から湯気が立つ。湯気って何だ?どうして湯気って生まれるのか?まだ沸騰していないのに、どうして蒸気が出ているのか?と疑問に感じるのだが、わからないまま味噌汁作りは進む。ここになると「粒子」の領域なのかもしれない。

味噌汁作りが終わって、食した後、今回は火で料理したが、エネルギーといえば、電気での調理というのはあるのだろうか?という疑問が出た。電磁調理器や電子レンジ、ということではなく、通電することで料理を作ることはできるのか?という考えた。調べてみたら、肉に電気を流して作ったり、通電してパンを作るということが試みられているそうだ。電子レンジでの調理と何が違うんだろう?わからない。

粒子

鍋の底に空気の粒がくっついている。これは水の中に溶けている空気だと言う人もあれば、私は蒸発した水蒸気ではないか?とも思った。鍋の底が一番熱いのだから、そこに接している水が蒸発するのでは?と考えたのだが、実際どうなのだろう?水の中に溶けていた空気がでてくるのであれば、鍋の底からじゃなくてもいいだろう。本当に水の中に空気は溶けているのか?この検証がわからない。

顆粒出汁を入れると溶ける。「溶ける」って何だ?細かい粒子がまんべんなく水の中に行き渡ることと、溶けることは違うのか?本当に「溶ける」というのは、「見えなくなり透き通る」というのだが、顆粒が細かく粉砕されれば見えなくなる。それと「溶ける」は違うのだろうか?どんどんわからなくなってくる。化学的な変化を起こし、顆粒じゃなくなったら「溶ける」なのだろうか?

乾燥具材を入れると具材が鍋の中を躍る。上がって下がる。これで「対流」が見えるようになる。どうして上がる箇所と下がる箇所に分かれるのか?どうしてそれが決まるのか?「カオス」なのだろうか?何で対流するのか?温められて膨張して軽くなったから?本当に?

具材はフリーズドライされたものだったが、どうやったらフリーズドライになるのか?ということにもちょっと考えをめぐらせたが、よくわからなかった。

生命

今回はあまりそのことについて考えをめぐらすことはなかった。味噌は何からどうやってできているのか?ワカメはどうやって成長するのか?食べた具材は我々の体の中でどのように消化され、我々は生きていくのか?ということに考えをめぐらせることができただろう。

料理を食べるということは、生命を摂取することだから、結びつきはとても強いのだろう。

地球

調理中この領域について考えることがほとんど出来なかった。この実践後、授業検討で、高地で料理をするとなると、どうなるか?とか、宇宙という無重力状態で料理をしたら?とか、想像で補うことしかできなかった。

例えば使用した「水」に着目すると、「地球」の領域にふれることができたかもしれない。水はどこから来たのか?ということだ。そうなると、コンロの「ガス」はどこから来たのか?ということも「地球」領域に触れられる。

終わりに

理科に限らず、ほとんどの教科について言えることなのだが、教科書は体系的に分野や領域が綺麗に分かれていて、その分野、領域ごとに学習する。しかし、我々の生活はその分野、領域に分かれていず、渾沌としたカオス状態なのだ。そのカオス状態を今まで学んだ分野、領域で切り分けることで見えてくることがある。これこそが「科学的な見方・考え方」なのだろう。この経験を積むことでその見方・考え方が身につく。

初めから切り分けているものを分け与えていたって、切り分ける力は身につかない。と感じた。教科書を学ぶことはとても効率よく分野を学ぶことができるのだが、その学んだ力を活かすには、日常生活という渾沌としたものを分析する経験をする必要があると感じた。