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上越教育大学 教職大学院 教科教育・学級経営実践コース 片桐史裕のブログ

I have a dream で英語の見方・考え方を学ぶ授業


I Have a Dream speech by Martin Luther King .Jr HD (subtitled) (remastered)

今日は「教科の特質に応じた見方・考え方を働かせる授業づくりの実践と課題」という授業の最終日だった。最終日は岩折君が担当する英語の見方・考え方を学ぶ授業デザインを考えた。

キング牧師のスピーチは、中学3年生の教科書によく載っている。平易な英語で、辞書があれば、中学3年生であれば日本語訳はできる文章だ。だからこそ、訳ができたら終わりではない英語の授業ができると思う。

授業のねらい

キング牧師のスピーチ「I have a dream」は、英語素人の私が聞いてもとっても「かっこいい」。今の言葉だったら「クール」と言う方が当てはまるのだろう。どうしてそれがそうなっているのかを読み取り、単純な日本語訳とどう違うかを比較し、英語の「枠」、日本語の「枠」の「違い」を捉えてみようというのがねらいだ。言語の枠の違いを捉えられると、見方の違いを捉えることができる。

原文と直訳

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.
I have a dream today!

Google翻訳

私は、4人の小さな子供が、肌の色ではなく性格によって判断される国に、いつかは住んでいるという夢があります。
今日は夢があります!

Google翻訳は明らかに「もっさり」している。これは何から来るのか?どのように翻訳を修正すれば、クールな日本語になるのか?それを課題にするだけでも、面白い授業になりそうだ。

I have a dream

原文は「I have a dream」が最初に来ている。「わたしには夢がある」。翻訳では最後に来てしまっている。倒置法を使って「私には夢がある。」として、その後に夢の無いようを述べたとしても、日本語としていけ好かないものにはならない。Google翻訳ではそこができていない。Google翻訳は倒置法を使うようにはできていないからだ。キング牧師スピーチも「dream」を最初の方に持って来て、最後にも「I have a dream today!」で締めるという形式を取っていて、その構成を何度も使うという形にしている。まるで詩のようだ。

英語の文型を変えて、「…………is my dream.」という文章を作ることもできる。しかし、それはしなかった。上記の文型を作るためだと思うし、倒置法という「技」を使わなくてもそれが出来る英語文法(トピックを最初に持ってこられる)というところに英語の見方・考え方が含まれているのだろう。

どうしてその語を使っているのか?

「nation」は「国」、「judged」は「判断」だが、「country」や「decision」を使っていないというところに着目して、日本語と英語のそれぞれの意味範囲を考えることができる。例えば日本で「国」と使ったときは、何を指すのか?現代だったら「政府」の意味合いが強いのかな?とも思う。

国境線のない日本と、国境線がある他の国でも「国」という意味合いの語の指す範囲は違っていたりするだろう。キング牧師スピーチでは「nation」を使った。何を指しているのか?というところで気づくことがある。

they や their

「my four little children」を指している「they」や「their」だが、英語だと「いちいち」書かれている日本語訳において、「彼ら」や「彼らの」といちいち訳すと日本語らしくなくなるし、「クール」とはほど遠い訳になってしまう。なぜ英語は「they」や「their」を使わねばならないのか、使わないとどんな英語になるのか。そこのところは英語素人の我々にはわからないので伝えることができないのだが、英語専門の英語の先生は、その「使わないときの違和感」を上手に伝えてほしい。

「そういう文法だから」、「決まっているから」というのでは、「英語の見方・考え方」とはほど遠いものになってしまうだろう。英語が暗記科目になってしまうだろう。「こういう文構造だから、こういう意識が生まれてくる」というようなものを知りたい。

little

Google翻訳では、「little」を「小さな」と訳している。英語初心者(古典初心者も)だと、辞書を引き、見出しの一番初めに来る語の意味を訳に当てるというのがよくあることだ。はて、「little」は「小さな」でいいのだろうか?むしろ「愛しい」とか、「可愛い」という訳を当てた方がこの文章では適切なのではないか?という試行錯誤もできるスピーチだ。「愛しい子どもたちが将来、肌の色で判別されない」という訳の方が自分の子どもたちを大切に思っている気持ちが伝わり、「dream」が大きい、大切なものということが伝わってくる。

関係代名詞、関係副詞

「that」、「where」が使われて、現代の日本語にあまりはない「後ろから」説明している文体となっている。なぜ短い1文の中に多用しているのか?日本語母語者としては、内容把握がしにくいのだが、
1)英語では関係代名詞等を使って後ろから説明するのが「当たり前」の文体である。
2)キング牧師が意図的にそのように使っている
と考えられる。

2)だったとして、考えてみると、キング牧師は「I have a dream」の後と、「that my four little children」の後で長いポーズを入れている。

I have a dream //that my four little children // will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.// I have a dream today!

そして「that」から一気呵成に話している。「my four little children」に着目させて、愛すべき可愛い自分の子どもたちの「未来」に向けての「dream」だということをアピールしているのではないか?とも思える。

not-but構文

今回の授業で、最も大きな発見は、この「not-but構文」だった。「not A but B」で「AではなくBだ」ということなのだが、私はこのような英語独特の言い回したがとてもクールに感じる。かっこいいなぁと思う。日本語でこんな感じでクールにいう言い回しはないかな?と思う。

not be judged by the color of their skin but by the content of their character

は、Google翻訳では、

肌の色ではなく性格によって判断される

となるのだが、「ではなく」というのがなんだかもっさりと感じてしまう。「肌の色」—「ではなく」という繋がりに対して、「正確によって」—ナシ というように、対応していないところもリズム感を感じられないからだろうか?

それは別として、発見はというと、「not」の後に「be judged」があるのに、「but」の後に「be judged」がないということだ。付けてもいいのかもしれないが、回りくどいから省略したのだろうか?そうだったら、

be judged not by the color of their skin but by the content of their character

というように、「not」と「but」が「by」の前に来るようにした方が、すっきり綺麗に思える。

これは、わざと「be judged」の前に「not」を置くことで、「be judged」も否定するようにしたのではないか?と思える。「判断」、「班別」、「差別」されること自体を否定しているのでは?という推測が立った。

だから、先の翻訳では、真意が全く伝わっていず、

肌の色で差別されず、人柄を認められる

とする方がいいのではないか?という発見だった。

英語の見方・考え方

Googleに頼ることだけではなく、機械的に辞書の意味を当てはめて穴埋めをしていくような機械的な翻訳では、わからないことはたくさんあった。以上の学びをくり返すことで、英語の見方・考え方がだんだん分かってくるのかな?とも思えてきた。

究極的には「原文」そのままを読み取れるのが、発信者の意図に一番近い形で受け取れる唯一の手段なんだと思う。これは古典にも言えることだ。