皆さんは、情報が××や、■■の工夫で伝わりやすさが変わることがわかりましたね。
はーい。
学習者に学びの意味を勝手に押しつけている授業だ。ビギナー教師は、こうしないと安心できない。学習者の「はーい。」に免罪符を求める。本当に学習者が分かったと思って「はーい。」と言っているわけではないのは、明らかなのだが、ビギナー教師はそれに気づかない。
学習者は
◎◎が分かりましたか?
と言われれば「はーい。」と答えた方が先生に気に入られるというのを体感的に分かっているから、
ちょ、ちょ、ちょっと待って、分かりません。
と言うことはない。しかし、「分かりません。」と言った方が学びになっているのは明らかだ。
同じようにたった一人の学習者ぼそっと呟いた
◎◎を△△で表している。
と言ったことが、今まさに、教師として学習者に答えてほしいことだったので、それをあたかも学習者全員が学んだ結果だと思って、吸い取って(取り上げて)、授業を展開させていくビギナー教師も多くいる。
たった一人のつぶやき、気づき、学びだったのにもかかわらず、それを検証することない。
学習者からの気づき、発言は、どんなものでも他の発言と同じように検証する必要がある。
どうしてそうなの?
どこに書かれてあるの?
本当にそうなの?
何からそう思った?
そう反応できるのは、評価規準がしっかりと教師の頭に入っているかどうかだ。それがないと、言って欲しいものが出ると、飛びついてしまう。発言がない場合、「◎◎を△△で表している。ことだね。」と押しつける。
こんな反応を教師がしていると、学習者は
先生が言って欲しいことを発言すればいいんだな。
と思うようになる。
先に書いた、「ちょ、ちょ、ちょっと待って……」というのが学習者から出なくなる。主体的学びは起こらない。(806字)