Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

諦めたらそれで……

これまで様々な状況の授業をしてきたり、参観してきたりした。

整然とした授業もあったし、わちゃわちゃした授業もあった。学習者の学びが多い授業もあったし、教師主導でストーリーに強制的に沿わしている授業もあった。

学習者が明らかに学びに向かわない、向かっていない、取り残されている、諦めている時に、教師は手立てを講じなければならないはずだ。

私は過去に、窓際の学習者が寝だしたら起こし、廊下側の生徒が寝だしたら頭を揺さぶり起こし、ケータイをいじりだしたら取り上げ、マンガを読みだしたらしまわせ、パソコンで他の授業課題をやりだしたらパソコンを閉じていた(於:大学)。

もちろん、私の授業に興味がないから、学習者はそういうことをするのだが、だからといって、「仕方がない」と諦めたらそれで教師失格であると思う。教師である資格は、学習者を学びに向かわせたいという意欲があるかに尽きる。

もう8年以上も前にはなるが、高校教師終盤の授業では、学びに向かわない学習者はいなかった*1

それができるかどうかは経験値や教師レベルが上がっているかどうかによるが、諦めない気持ちは、経験がなくとも、初期レベルでも持てるはずだ。

「自分の思想ややり方は間違っていないから、いつか学びに向かうはず。いや、これでダメならしたがない。」

なんていう教師は学校現場にいてほしくない。

高校までと大学での授業の大きく違うところは、高校はほぼ未成年で、大学は成人しているということ。つまり責任の所在が違うということ。高校生だって自分の責任で学んでいるが、なかなかそこに向かえない生徒には、「学ぶか学ばないかは学習者に丸投げ」ではなく、学ばなかったら学ばせる環境を作る努力はしないとね。(806字)

*1:はずだ。もちろん、体調、気持ちの高低により常時学習意欲が高かったというわけではないけれど、全般的に見て、学びに向かわない生徒はいなかったと言える。