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上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

目の前の子どもをどうするか

タイトルのようなことを考え始めたのは10年くらい前である。それ以来どのように学習に向かわせるかを考えて教師をしてきた。

その根本には「本来の子どもの学びはこうだ」という考えと、確信があった。しかし最近また揺れつつある。

本来子どもは何も考えずに学んでいて、結果的に生きる力が身に付いているのではないか?と徐々に思い始めている。「何も考えず」というのは、これが役にたつかどうかは関係なく、学び自体がおもしろいから学んでいるということだ。

しかし、私は「これは将来○○に役にたつんだぞ。」と全ての活動において説明してきた(または、説明を用意してきた)。もちろん活動自体がおもしろく、説明が必要ないものもあった。

「●●に役にたつ」という学習から学ぶことは「●●」くらいしかない。「▲▲」を学ぶことはあまりなくなる。しかし、活動自体がおもしろい学習(もしくは、おもしろくさせる学習)だったら、そこから学ぶことは学んだ人数分の種類があるのではないか?

例えば、「日本の文化だから、百人一首をやろう!」で、いいのではないかなー。「百人一首には、古典の文法や修辞法がふんだんに使われているから、学ぼう」なんていったら、それしか学ばなくなるんじゃないかなー。