Pay it Forward,By Gones

上越教育大学 教職大学院 教授 片桐史裕のブログ

Most likely to Succeed

2015年 アメリ
上越教育大学での上映会に参加


Most Likely to Succeed Trailer- Japanese from Innovation Playlist on Vimeo.

今後AIにより、職が奪われ、その時のための学校教育はどうあるべきか?というテーマの映画。アメリカのチャータースクール「High Tech High(HTH・高校)」のドキュメント映画だ。

HTHはそのために新しく作られた。日本はSociety 5.0を見越してこれからの教育はどうあるべきかと授業改善を謳っているが、現状のカリキュラムをどう微調整すればいいのかというスタンスだが、HTHは全てを新しく作った。その中で語られている内容に耳新しいものはあまりなく、日本で「これが必要だ」と考えられていることとほぼ共通する。しかし、カリキュラムが全く違うので、説得力がある。

映画を見ていて、『学び合い』で語られていることが実現しているんだな、と思った。うらやましいのは、教科の枠に囚われない活動が中心であり、その活動から教科の枠での学びができているということ。2つ活動が紹介され、1つは演劇だったし、もう1つはからくり(機械)を作るというもの。日本の教育活動に当てはめてみると、1つは文化祭であり、1つは「ロボコン」のようなものだった。これを1年間通しておこなう。これが絶対的に日本と違うところだ。

保護者、生徒のコメントも流される。否定的なものは案の定、「大学入試対策をしてほしい。」とか、「大学に行けるかどうか不安だ。」とか、日本でも想像できるコメントだ。国は変われど、人間は同じなんだな、と思った。HTHは、カリキュラム内容をわかって生徒、保護者が選んでいるし、選抜は、クジで行われるのだけれど。好きで来ているんじゃないの?なんて思ってしまった。

このカリキュラムの計画、導入、指導、評価を全部しなければならない教師が一番大変だな、と思った。かなりの能力が無ければ1年間続く「文化祭」を保たせていけない。「この学校にはどんどん優秀な教員が集まってきた。」というコメントもあったが、さもありなん、という感じだ。評価はもちろん数値によるものではない。最後の発表を仲間、教師、専門家、保護者、地域の人が観る。そして全てが終わった後クラスの生徒の前でリフレクションを行う。生徒は自分の活動の意味を十分わかっているが、この時、教師が適切なことを伝えられないと、1年間の活動を更に意味あるものにもっていけない。

今現在日本で行っている教育は、約100年前の社会が要請したものであり、それに応えるために作ったものだ。しかし、これからがらりと社会、世界が変わることに対応しようということで、教育を変えなければと考えている。これまでの枠組みでは必要な能力は育たないということで、授業内容を変えようとする。または実際に変えたものを実践している。ところが、評価が今のままだ。伸ばしたい能力に対応した授業をしているのに、教育の評価はペーパーテストだけでおこなおうとしている。そんなので測れるはずが無いのに、ペーパーテストにこだわる。教師が100年前の評価の枠組みから抜け出せないのだ。それじゃあ適切に評価できないだろう。

数値化すれば適切に評価できると思ったら大間違い。数値化するということは、数値の枠に入らないものを切り捨てているということなんだし、これからの社会には、今まで切り捨てていたものが大切だと、この映画では言っていたのだから。