池田さんのブログで『学び合い』の限界について語られていた。私も『学び合い』の限界について考えてみた。
『学び合い』は教師の介入を極力排除する。しかし、教師がいなければ『学び合い』は生じないと考える。ということは、教師自身が『学び合い』の限界の要因になりうると考えた。
もちろん教師の予想を超える『学び合い』の成果が出る可能性は十分にあるが、結局の所目標の設定は教師がするのであるので、その教師によって『学び合い』の成果は変わってくる。
人間誰にも限界はあるし、その限界がある教師が目標を設定し、学びを語るのだから、自ずと『学び合い』もある程度「枠」が生まれてくるというのが私の考えだ。
そうなると、教師の仕事としては自らの「枠」を悟られないようにすることになってくる。ということは、あれこれ多くを語らず、指示をしない。武道の師匠のような感じである。
あれ?結局『学び合い』の大原則にもどってしまった。『学び合い』における教師の仕事は実に大きいなぁ。